怨親平等
今回登壇するパネリストがみな集まって沖宮で正式に参拝させてもらいました。
昼食に沖縄そばをいただいて、会場となる琉球新報ホールに移動しました。
打ち合わせの後、シンポジウムが始まりました。
シンポジウムは二部構成であり、第一章が「空手道の道標ー船越義珍ー」というものです。
第一章のファシリテーターは、瀬戸謙介先生、瀬戸塾の師範でいらっしゃいます。
瀬戸先生は昨年月刊『致知』の七月号で記事を拝見していました。
パネリストは、剛柔流拳志會総本部 会長の外間哲弘先生、
全日本空手道連盟 元専務理事·副会長JOC顧問の蓮見圭一先生、
熊野速玉大社 宮司の上野顯先生と私であります。
四人のうちお二方が空手の方であります。
外間先生は、沖縄から見た船越先生の果たした役割、目指したものは何かについて語ってくれていました。
次に蓮見先生は、本土から見た船越先生の功績と思い出を語ってくれていました。
三番目が私でした。
シンポジウムの始まりに船越先生の紹介ビデオが放映されていましたが、その中に、
「空ー人間は様々な要素が集合してできたものであり 、それ自体の本質は存在しない 。この世に存在するすべてのものは因縁によって生じたものであり 、不変的な実体ではない」という言葉がありましたが、この空思想をもとにして「怨親平等」について語りました。
はじめにダライ・ラマ猊下の言葉を紹介しました。
「砂に一本の線を引いたとたんに私たちの頭には「こちら」と「あちら」の感覚が生まれます。この感覚が育っていくと本当の姿が見えにくくなります。」
そこから一本の線を引くことによって、区別ができ差別が現れること、そしてこちらとあちら、大きいと小さい、強いと弱い、敵と味方と別れてくることを述べました。
「そして強い者は弱い者を征服しようとします。
その結果争いが生まれます。勝つ者と負ける者とが生まれてきます。
勝った者は驕り、負けた者は恨みます。」と話しておいて、ブッダの言葉を紹介しました。
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」という法句経の言葉です。
そこから怨親平等の説明に入りました。
古く仏典に見られる言葉で、身内も他人も平等に接するという意味だったこと、更に敵も味方もともに平等であるという立場から、敵味方の幽魂を弔うことを言うようになったのです。
文永・弘安の役の蒙古軍撃退ののちに敵味方の霊を弔ったことは、民族や国の対立を超えることを意味すると『仏教辞典』にあることを紹介し、鎌倉時代の元寇に話をつなげました。
当時の元の国は、西は東ヨーロッパから東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する大帝国でした。
そんな元が二度日本に攻めてきました。文永の役と弘安の役であります。
その時に北条時宗が執権として対応し、鎌倉武士の一所懸命のはたらきと、折から台風の時季であったこともあり、元軍は退いたのでした。
弘安の役の翌年、執権北条時宗は無学祖元禅師を開山に円覚寺を開創しました。
本尊は毘盧遮那仏です。
これは、華厳の仏さまであり、「光明返照」と訳します。
あらゆるものが仏性に光り照らし出されていくのであって、そこには悪とか煩悩、汚濁などはみな仮の存在であり、全部仏のなかに包まれていくので消えていくのです。
敵も味方も区別ない、空の世界を説きました。
そこで無学祖元禅師は、元寇で亡くなった多くの御霊を敵味方の区別せずに平等に供養しました。
この時に「怨親平等」という言葉を用いました。
円覚寺には、此彼両軍戦死溺水諸精霊というお位牌が祀られています。
「此彼」とありますように敵と味方というよりこちらとあちらの違いなのです。
かくして無学祖元禅師は華厳思想をもとに仏典に説かれる身内にも他人にも平等という怨親平等を敵味方の供養として行ったのでしたと数分でお話しました。
次に上野宮司がお話くださいました。
宮司様は、シンポジウムの前に紀乃國之塔と魂魄の塔にお参りされたことに触れていました。
毎年宮司様は慰霊を続けておられるそうなのです。
ある年紀乃國之塔の掃除をなさっていると、地元の方からとてもひどいことを言われたそうなのです。
そのときには、もう慰霊には来ないとまで思われたそうなのです。
しかし、ある時に若者達が慰霊の碑に集まって、これから地元を離れて出て行く前に、その碑の前でお互いに決意を固め合う姿をご覧になって、また思いを改められたという話をされました。
怨親平等といってもそう簡単に怨みを乗り越えることができるものではないのです。
魂魄の塔は、米兵も日本兵も地元の方も区別なく遺骨をお祀りしたのでした。
これは怨親平等の精神そのものであり、この魂魄の塔のことを大切にすべきだと説かれていました。
最後にそれぞれ思いを述べる時間があったので、私は、
1951年(昭和二十六年)九月、サンフランシスコ対日講和会議で、スリランカのジャヤワルダナ氏は、日本への賠償を放棄してブッダの言葉を引用されたことに触れました。
「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む。」という言葉です。
英語の原文では
“hatred ceases not by hatred,but by love”この言葉こそ怨親平等の心です。
幾多の苦難を乗り越えられた沖縄の皆さんの愛の心によって、乗り越えられない憎しみはないはずですと結びました。
有り難いことに大きな拍手をいただいたのでした。
しかし怨親平等という崇高な精神の実現は容易なことではありません。
おりしもシンポジウムの日の朝沖縄タイムスの朝刊の一面は、自衛隊石垣駐屯地にミサイルが搬入され、市民らが抗議集会をなされたという記事でした。
難しい問題でありますが、決して未来へ向けて希望を捨ててはならないのであります。
横田南嶺