沖縄の旅
まず赴いたのは、糸満にある轟壕(とどろきごう)です。
東西に延びる自然の洞窟であります。
ここは、昭和二十年三月に米軍による空爆や艦砲による攻撃が始まって、真壁村名城(まかべそんなしろ)の住民が避難したところで、日本軍の南部撤退で司令部を摩文仁に移した五月末頃から戦禍に追われた地域外からも多くの住民が避難してきたのでした。
何百人もの住民・県庁職員が生き残り、別名「沖縄県庁最後の地」とも言われるのだそうです。
こういう壕のことを沖縄では「ガマ」と呼んでいます。
「轟壕」は内部に川が流れていて、東西におよそ約100メートルも延びる巨大なガマなのです。
なんと戦中は最大1000人以上の住民や日本兵が避難していたとされるのであります。
昭和二十年六月五日、当時の島田叡(しまだあきら)沖縄県知事以下、県庁職員幹部がここに避難してきました。
そして十五日、島田知事は、部下に行動の自由を与えるため警察部を含む県庁解散を、ここで宣言したのでした。
それで「沖縄県庁最後の地」とも言われているのだそうです。
その後、島田知事は摩文仁の軍司令部壕に向かうため壕を出立しました。
島田知事は、摩文仁でお亡くなりになったと言われています。
そんなガマが残っているというので、お参りしてきました。
もう言葉にならないものでありました。
こんなところに何百名もの人が避難していたとは、想像を絶します。
ガマに入り、その岩に触れただけでも貴重な体験でありました。
今回の沖縄の旅では、とてもお世話になった青年僧がいます。
沖縄の生まれで、円覚寺に来て私のところで修行して今も沖縄で僧侶になっている者であります。
地元に教え子がいますと、実にたすかりました。
ガマに入るにしても、私は足袋と草履なので、彼が長靴を用意してくれたおかげで入ることができたのでした。
それからもう一つ、行きたいと思っていたのが沖縄の円覚寺なのであります。
首里城を、沖宮の上地宮司をはじめスタッフの皆様が案内してくれました。
案内の方が丁寧に一時間ほどかけて説明してくれたのでたすかりました。
首里城のそばには、円覚寺跡地があります。
沖縄の円覚寺は、琉球における臨済宗の本山なのです。
そして琉球第二尚氏の菩提寺でもあるのです。
第二尚氏というのは、初代国王である尚円王が即位した1469年から1879年までの410年間、沖縄の琉球王国を統治した王家であります。
第3代国王尚真(在位1477年‐1526年)が、父王尚円を祀るために、1492年から三年がかりで建てたのが円覚寺であります。
開山は南禅寺の芥隠禅師とかで、鎌倉の円覚寺にならった七堂伽藍の形式を備えていたと案内板には書かれていました。
首里城と共に沖縄戦で焼失してしまったのでした。
今は、総門が昭和四十三年に復元されています。
池にかかる放生橋は重要文化財となっています。
円覚寺の形式を模したということなので、親しみを覚えたものであります。
首里城は、令和元年の十月末に焼失してしまって、ただいま再建の最中でありますが、この円覚寺も復興されてくれればいいとお祈りしてきたのでした。
もうひとつ訪ねたかったのが首里城のすぐそばにある興禅寺でした。
ここに崎山崇源老師という禅僧がいらっしゃいました。
崎山老師は、円覚寺の朝比奈宗源老師について修行された沖縄の禅僧であります。
私も修行時代に、この崎山老師にずいぶんと目にかけていただいたのでした。
私が今までお目にかかってきた禅僧の中でも、群を抜いた禅僧でありました。
沖縄から密入国して久留米の梅林寺で修行し、更に京都の妙心寺僧堂で修行し、三島の龍沢寺で山本玄峰老師に参禅し、更に円覚寺に来て朝比奈老師に参じたのでした。
私が修行していた頃は、師家は足立大進老師でしたが、この足立老師にも沖縄から来ては参禅なされていたのでした。
その当時修行僧であった私もお世話になりました。
各道場を遍参して来られた方でしたので、いろんなお話をうかがったのでした。
先頃お亡くなりになったとうかがっていたので、一度お参りしたいと思っていたのでした。
ところが、崎山老師は、献体なされてお墓はないということでした。
お寺の今のご住職もご不在のご様子でありました。
なにも後に残さない禅僧の面目躍如たるものを感じたのでありました。
墓参りなどに来ても、わしはそんなところにいないぞという老師のお声が聞こえてくるようでした。
かくして駆け足でありましたが、シンポジウムに参加するほかに、平和祈念公園、ひめゆりの塔、轟壕、首里城、円覚寺跡、興禅寺を訪ねて帰って来たのでありました。
沖縄の多くの皆様にお世話になったのでした。
禅ではよく過去を振り返るな、今を生きるというのでありますが、過去の歴史があってこその只今であります。
過去の歴史をしっかり学んでおくことは必要であります。
沖縄戦のことは書物などでしか学んできませんでしたので、現地でお参りできたことは、有り難いことでありました。
いろいろと言葉にならないものを感じた旅でありました。
横田南嶺