自分をちゃんと見よう
ところが、先日十五日の日曜日の朝は、新聞を開いて、思わず「アッ」と声をあげました。
その日の朝刊の日曜くらぶに心療内科医の海原純子先生が連載されている「新・心のサプリ」を読んでのことです。
題名が「パンダのものがたり」でした。
パンダの話かと思って、本文を読むと、なんと冒頭の一文が、
「元日に鎌倉・円覚寺管長の横田南嶺老師からご著書をいただいた」
と書かれていました。
なんと私の名前が出ていて、驚いて声をあげたのでした。
暮れに『パンダはどこにいる?』の絵本を、冊子『円覚』などと海原先生にお送りしたのでした。
いつも海原先生から、新著やCDなどをいただいているので、お礼の気持ちに送っていたのでした。
記事にも
「老師には世界肺がん学会や日本ポジティブサイコロジー医学会の学術集会で講演をお願いしている。
そのご縁で何度もお話しさせていただくようになった。」
と書かれていますが、そもそものご縁は、私がこの毎日新聞のコラム記事を愛読していて、円覚寺の夏期講座にお招きしたのがはじまりでした。
そうして、海原先生に円覚寺で講演いただいたあと、控え室で、なんと肺ガン学会での講演を頼まれたのでした。
普通であれば、そんなところで話ができるような知識も経験も何もありませんので、お断りさせてもらうのですが、こちらが先生に講演していただいた後でしたので、断りづらくてお引き受けしたのでした。
講演では死生観について話をさせてもらいました。
おかげさまで、仏教や禅の死生観を自分なりにまとめることができて、また医師の会からの講演も頼まれるようになり、ご縁も広がったのでした。
さて、この記事で、少し本を紹介してくれたのかと思いきや、なんと記事全文が私の絵本について書いてくださっていたのでした。
しかも実に深く読み込んでくださったのでした。
海原先生は、
「絵本だが、子ども向きではない。
もちろん子どもは、楽しいお話としてとらえるだろう。
さて、大人が読めばどうなるか。
この内容をどのようにとらえるかで、その人の資質が見えるような気がする。
そのくらい奥が深い内容が詰まっているので読んだ後、心が静まるのを感じた。」
と書いてくださっているのであります。
確かにいろんな方から感想をいただきます。
深い内容ですねと言っていただくこともありますが、海原先生ほど深く読み込まれた方は初めてであります。
このあと、海原先生は、絵本の内容を簡潔にまとめて紹介してくれていました。
パンダの絵本の内容を申し上げますと、大勢の人が動物園のパンダを見ようと、押すな押すなの行列を作って並んでいます。
その行列の中にパンダがいたのです。
行列の中にパンダがいたら、周りの人は言います、「あなた、パンダですよ。あなたはパンダなんだから、パンダを見るために並ぶ必要はないですよ」と。
ところがそのパンダは、自分がパンダであることが分からないので、自分も見たいと思います。
でも、行列から押し出されてしまって、愕然としてしまいます。
パンダを見たいと思って図書館でパンダの図鑑を見たり、どんな暮らしをしているのか調べたりしました。
とうとうパンダになろうと、一生懸命修行を始めます。
目の周りを黒くすればパンダになるかなと思ったり、笹をかじればパンダになれるかなと思ったり、一生懸命パンダの真似をしました。
でも、いくらパンダの真似をしたとしても、パンダであるという自覚がありません。
なんとかパンダになりたい、どうにかしてパンダを見たいと思っているうちに、水溜りに足を滑らせて転びました。
水溜まりから顔をあげて、ふっと泥水を振り払いますと、その動作とまったく同じ動作をしているパンダが、水溜まりにありありと映っています。
それを見た瞬間に、「ああ、これは自分であった! 自分はパンダであった!」と、気づくのです。
すると、パンダは、もうパンダを見に行く必要はなくなって、自分がパンダであるとくつろぐことができます。
その後はごく普通に日々の生活を送りながら、パンダであるのです。
そんなパンダの姿を見てはまわりの人も癒されていくのです。
こんな話です。
海原先生は、
「このお話を読んで私は多くの相談者との会話を思い浮かべた。
気持ちが落ち込んで「自分はダメだ」「もっともっと足りないところを直さなきゃ」と悩んでいる人は、自分の姿が見えていないことが多い。
自分の持っているきらりと光るものは全く目に入らず、足りないところばかりが目に入る。」
とご自身のお仕事の場に置き換えて考察してくださっています。
まずこの点が有り難いのです。自分の身に引き合わせて考えてくれています。
そして、
「人は自分を客観的に見ることができないものだ。
だから自分を過剰に大きくとらえている人もいれば、過剰に小さく見ている人もいる。
自分の悪いところを全く見ない人もいるが、自分の良いところを全く見ない人もいる。」と指摘なされています。
そこから「パンダの物語でパンダが水たまりに映る自分の姿を見たのは等身大の自分をとらえた瞬間といえる。」と書かれています。
「それは修業の末に得たものといえる」というように、実に私が修行の大切さを表わそうしたのをよく読み取ってくださっています。
そこから海原先生は、
「修業によりはじめて自分の真の姿を見ることはできるということが示唆されている。
「自分はダメだ」と嘆いている相談者に「じゃあ、こういう人がいたら? どんなふうに声をかける?」と聞くことがある。
「貧しい環境の中頑張って勉強して、バイトしながら卒業、就職して実家の家計を助けている人がいたら?」。
これはその相談者の客観的な物語だ。
するとその方は必ず「頑張ってるね。えらい。体大事にして自分をいたわって」と答える。」
というのです。
自分自身の姿を自分で気づかせる方法であります。
「他人にならかけられるそうした言葉を、自分にはなかなか与えることができない。
自分をちゃんと見よう、自分のもつ光に気がつこう。そんなパンダの物語だ。」と記事を終えてくださっています。
心療内科医の先生ならでは、深い考察であります。
相談者に真摯に対応されている先生のお姿も思い浮かびました。
「自分をちゃんと見よう、自分のもつ光に気がつこう。」
という言葉が深く心に残りました。
横田南嶺