重荷を背負う
それは、毎日新聞の一月十三日の夕刊一面に、
「「最後のカラス部隊」が籠下ろす 行商列車に揺られて70年」という記事があり、この記事を読んで涙がにじんだのでした。
「もうこの籠を背負うこともないかね」という言葉が添えられている、石山文子さんの笑顔の写真がなんともいえないのです。
写真に写る石山さんは、九十三歳、ボロボロになりながらも丁寧に修繕されている大きな竹製の籠がそばにあります。
記事には
「駅ホームに設置された行商台から体重の2倍近くある籠を背負い、前かがみになり行商列車に乗り込む。
東京・銀座の「最後のカラス部隊」が約70年間、毎朝繰り返した日常だ。」と書かれています。
この石山さんが毎日行商をしながらも、「新型コロナウイルスの感染拡大で休止して間もなく3年」、足腰も弱くなってしまって、ついに籠をおろしたというのです。
さて、この行商の歴史が記事に書かれていました。
もともとは、
「1923年の関東大震災後、茨城や千葉の農民が野菜を担いで国鉄(現JR)常磐線、成田線で東京に通い、行商が始まった」そうなのです。
さらに「戦後、東京の食糧難を補い、農家の現金収入獲得のために本格化」したということです。
この記事の石山さんは、一九五〇年ごろから長男を連れて、東京・銀座に行商に通い始めたのだそうです。
「生活のため、子どもを育てるために、おれには籠背負いしかできなかったから」という言葉が胸に響きます。
「午前4時半に起き、米5斗(75キロ)を背負う。
もんぺにげた履き姿で約20分自転車に乗り、県境を越えて成田線布佐駅に向かう。
午前5時51分発上り2番列車に乗り、上野駅から都電で銀座へ。料亭や企業の社員寮が得意先。「持っていけばいくらでも売れた」」
と記事に書かれていました。
戦後の苦労された頃の話であります。
更に記事には、
「戦後10年ほどで米不足は緩和され、商品は野菜や魚へと変わった」そうです。
その行商の方々の「黒っぽい服装で1列になって駅ホームを歩く姿から、行商人は「カラス部隊」と呼ばれた」のでした。
「ピーク時には茨城、千葉だけでも1万人を超えたとされる。
国鉄は行商専用の行商列車を走らせた」とも書かれています。
私が、感慨深かったというのは、その「カラス部隊」の光景を学生時代によく目にしていたからでした。
学生の頃の懐かしい常磐線の車内の様子がありありと思い浮かんできたのでした。
昭和の終わり頃のことでした。
私は大学時代に出家して寺に入ったのですが、大学の一年と二年生の頃は、授業が多いので、大学の寮に住いながら、お寺に通っていました。
後半の三年と四年の頃になると、お寺に住いながら大学に通っていたのでした。
大学から寺に通っていた頃に、よく朝の坐禅と独参に間に合うようにと、常磐線の朝早い電車に乗っていたのでした。
そうしますと、この行商の方々と一緒になるのでした。
電車の車内では、この方々が物々交換して楽しそうにしておられるのでした。
そして日暮里の駅で降りると、自分の背丈よりも高く、重い重い荷物を背負って、駅のホームから階段を一歩一歩上ってゆかれるのでした。
そんな様子を見ると、まさに人生は、重荷を背負おうて長き道を行くが如しと思ったのでした。
精一杯生きている姿でありました。
今のIT社会とは対極にある労働の姿でありました。
これはこれで実に尊い光景でありました。
その姿がもう見られなくなるのかという思いと、まだこの令和の時代になっても続いていたのだという思いと複雑に交錯したのでした。
記事には
「しかし、食品の流通が発達し、大型商業施設ができて便利になり、行商の需要は激減。
常磐線は2017年に行商人優先の行商用車両を完全撤廃した」とのことです。
「以前は1000人ぐらい仲間」がいたというのも、「でも数年前から、3人だけになった」と石山さんが語っています。
その「石山さんも20年2月28日を最後に、行商に行っていない」のです。
「翌日も行くつもりだったが、コロナ禍で家族に止められた」とのことで、「仲間の2人も同様に行かなくなった」のでした。
「90歳まで70年間、いろいろな人に助けられ、感謝しかない。
お客さんたちの顔を見るのが楽しみで、おれの生きがいだった。
籠は今は空っぽだけど、思い出がいっぱい詰まっているよ」という言葉に涙がにじんだのでした。
学生時代に行商の方の姿をみながら、徳川家康の遺訓を思っていました。
「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。
不自由を常とおもへば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。
勝つことを知りて負くることを知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり」
というものです。
また『論語』には、
「任重くして道遠し」という言葉もあります。
これは、「士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己れが任と為す、亦た重からずや。死して後已む、亦た遠からずや」
というものです。
意味を岩波書店の『論語』にある金谷治先生の訳を引用させていただきますと、
「士人はおおらかで強くなければならない。任務は重くて道は遠い。仁をおのれの任務とする、なんと重いじゃないか。死ぬまでやめない、なんと遠いじゃないか。」
ということです。
重い重い荷物を背負って行商なさる姿を見ていると、まだ学生だった私も、自分は自分の荷物を背負って生きねばならないと思ったのでした。
私が持っていたのは、軽い書物でしかありませんでしたが、電車の中では、金剛経や首楞厳経、禅林句集などを読んでは暗唱するように努力していたものです。
おかげでほとんどの経典や禅語は、そんな常磐線の車内で覚えたものでした。
行商の方々の姿の写真を見て、そんな頃を懐かしく思いだしたのにもまた涙がにじんだのでした。
そして、まだまだ重荷を背負うて歩まねばならないと思いました。
横田南嶺