慈悲の風を
新年おめでとうございます。
皆様健やかにご越年のこととお慶び申し上げます。
また喪中の皆様にはお見舞い申し上げます。
円覚寺では代々の管長がその年にかける思いを色紙に認めています。
私も先代の管長足立大進老師のおそばにいて、毎年いろんな言葉を揮毫されるのを拝見してきました。
私の代になって、もう十三回目の正月であります。
管長に就任して初めての正月がうさぎ年であり、「安寧」と書いたことを覚えています。
今年は、「慈風」と揮毫しました。
慈悲の慈、慈しみという字に風を書きます。
慈しみの風という意味であります。
これはあまり見慣れない言葉ですが、円覚寺の開山仏光国師の語録の中で見つけたのであります。
仏光国師のことを称えて「時時授道し、処処度生し、慧日を中天に揭げ、慈風を大地に扇ぐ」と書かれています。
これは仏光国師の徳を称賛して、国師はいつも正しい道を授けてくださり、どこにあっても人々を導いてくださり、更に智慧の光をこの大空に掲げて、慈悲の風を大地に吹かせるというのであります。
この智慧と慈悲とは仏教で最も大切にしている教えであります。
仏光国師は、智慧においても優れておられ、慈悲においても実に濃やかに、そして深いものがございました。
閉塞感の強かったこの三年間、自粛の自粛の風が吹きましたが、これから慈悲の風を吹き起こしたいものだと思うのであります。
思えば、三年前には、平成の時代が終わりを告げ、新しい天皇陛下が御即位遊ばされ、令和の時代に期待を抱いたのでした。
ところが、令和二年からというもの、新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、世の中は大きく変わりました。
全国の学校が休みになったり、オリンピックが延期になったりしたのでした。
当初は戸惑うことばかりでありましたが、ようやく感染症にも慣れて、落ち着いてきました。
今年には感染症の分類の見直されるようでもあります。
これからが新しい時代の幕開けかと思っています。
年末にいつも相田みつを美術館を訪ねることにしています。
相田みつをさんの言葉を講演や法話で使わせてもらっていますので、そのお礼を兼ねて出掛けています。
昨年も年末ギリギリになってしまいました。
相田一人館長がいらっしゃればご挨拶させていただくのですが、その日は午前中出掛けていると聞きましたので、どうぞよろしくお伝えくださいとお願いしました。
館内に入ると、「あいだを開けて密をつくらない鑑賞を」という言葉があり、相田みつをさんの名前にかけて感染対策を呼びかける優しさに心が和みました。
何年も通っていると、なじみの書が多いのですが、展示の仕方がいつも工夫されているので、新鮮な思いがします。
また作品のそばに書かれいてる相田館長の解説が、その都度工夫されて書かれているので、勉強になります。
いくつもの言葉をメモにとらせてもらいました。
今回の企画展は「日めくりの世界ーみつをはなぜ日めくりを作ったのかー」であります。
相田みつをさんの日めくりカレンダーは、私の修行道場でも何カ所にもかけています。
修行僧たちにも折にふれて相田みつをさんの書や言葉に触れてもらいたいと思うからです。
美術館でアンケートをなさって、日めくりカレンダーの言葉で、一番人気なのが何かというと、「しあわせはいつも自分のこころがきめる」だと知ることができました。
今回感動したことのひとつは、この日めくりカレンダーのもとになる書が展示されていたことでした。
やはりカレンダーで見るのとは全然違うのであります。
墨の力、迫力、息づかいまで聞こえてきそうであります。
印刷やコピーとほんものの違いをまざまざと拝見した思いでありました。
「ここは孤独なところ 自分が自分になるところ」という言葉の前で私の足が止りました。
ああ、これこそが坐禅だと思っていました。
その脇にある相田館長の解説には、とある青年がこの言葉を「トイレでみるとなるほどと分かった」と書いていて、思わず苦笑しました。
なるほど同じ言葉でも読む人によって受け止め方は変わるのであります。
それから私の目を引いたのは、相田みつをさんが大相撲の元横綱初代若乃花、二子山親方の言葉を書いた作品でした。
相田館長の解説にもありましたが、相田みつをさんは必ずご自身の言葉をご自身の字で書かれたので、こういう他人の言葉を書くのは珍しいと思いました。
「土俵のけがは土俵の砂でなおしてゆくんですよ けがをするたびに休んでいたんでは勝負師になれませんね」という言葉でした。
この言葉を見て、これがプロというものだと感じ入りました。
勝負師という言葉にも時代を感じます。
私どもの修行道場でもこの頃は具合が悪いとすぐに病院に行かすようにしています。
これは今の時代必要なことだと思っていますが、かつては修行僧たる者、病院に行くようでは恥ずかしいという思いがありました。
時代の変遷はやむを得ません。
今時修行道場でのけがは道場の土で治すなどと言ったら、鎌倉は湿気が多く破傷風やいろんな菌あるので、化膿してたいへんなことになります。
病院に行って適切な処置をしてもらうことは必要です。
しかし、心の片隅にでも、修行僧なのだ、禅のプロなのだという自覚を持っていてほしいものです。
そんな言葉をメモにとって、カレンダーなどの買い物をして帰ろうとしたところ、ちょうど相田館長が帰ってみえてご挨拶できました。
なんと相田館長がでかけていたのは、西岩部屋という大相撲の部屋だったのです。
どういうことかというと、この相田みつをさんが若乃花の言葉を書いた書のレプリカが西岩部屋にあるとのこと。
かつてこの言葉を相田みつをさんが書かれて双子山部屋に寄贈していたそうなのです。
それはいま双子山親方のふるさとの青森県立武道館に贈られているということです。
その言葉を見て稽古されていた西岩親方が、ご自身の部屋にも飾りたいと思われて、美術館にお願いしてレプリカを作ったということなのでした。
そんなお話を相田館長からうかがって感動しました。
私が心打たれた言葉ですが、今も大相撲の親方が大切にして稽古されていると知ってうれしくなりました。
プロの世界は今も生きていると思いました。
西岩親方は四十六歳で、初代若乃花の孫弟子にあたり、まだ部屋を創設して数年だそうなのです。
これからの活躍に期待したいと思います。
さて、慈悲の心といってもこれを身につけるのは易しいことではありません。
お釈迦さまも刀を鍛えるようにたびたび繰りかえして、すっかり身につけるようにと説かれています。
若乃花の言葉のような気概をもって新年に臨みたいと思っています。
横田南嶺