かちかち山考 – なにが正義か? –
『桃太郎は盗人なのか?-「桃太郎」から考える鬼の正体-』(新日本出版社)という本を読んで思ったことです。
この本は倉持よつばさんという少女が書かれた本です。
文部科学大臣賞を受賞された本でもあります。
本のはじめの方に、福沢諭吉の桃太郎についての見識が紹介されています。
「桃太郎が、鬼が島に行ったのは、鬼の宝を取りに行くためだったということです。けしからぬことではないですか。
……鬼の物である宝を、意味もなく取りに行くとは、桃太郎は、盗人ともいえる悪者です」
というのであります。
また、現代ではジブリの高畑勲さんが
「元々「桃太郎」は、もう明治初年からきわめて侵略的な物語だったことを忘れるわけにはいきません」と『熱風』2015年2月号に書かれているそうなのです
桃太郎についていろんな見方があるものです。
哲学者であり、教育者である大竹稽さんから最近の著作をいただきました。
『自分で考える力を育てる一〇歳からのこども哲学 ツッコミ!日本昔話』という本と『日本昔話で学ぶ心のあり方』という本であります。
どちらも日本昔話がもとになっています。
かちかち山について考えてみました。
『自分で考える力を育てる一〇歳からのこども哲学 ツッコミ!日本昔話』には、次のようにあらすじがまとめられていました。
あらすじの部分をそのまま引用させてもらいます。
「畑を耕しながら暮らしているおじいさんとおばあさん。 そんな二人のところへ、ちょいちょい顔を出していたのが2匹の動物、ウサギとタヌキ。
このタヌキがとんでもないイタズラ好きで、しかも大食い。
作物を盗んで食い荒らし、仕事をしているおじいさんをバカにするなど、やりたい放題。
ある日、頭にきたおじいさんは、タヌキを捕まえて縄でしばり、天井から吊るしておばあさんに、「ぜったい、縄をほどいちゃダメだよ」と言い残して仕事に出かけていった。
殺されてタヌキ汁にされてしまうと思ったタヌキはおばあさんに、
「ごめんなさい~」
「もうしないから許して」
「心を入れかえていいタヌキになります」
などなどウソ八百を並べ立てる。
タヌキがかわいそうになったおばあさんが、縄をほどいてあげると、なんとタヌキはおばあさんを殺して逃げてしまった。
帰ってきてあまりのショックで倒れ、寝こんでしまったおじいさんを気の毒に思ったウサギは正義の味方のように、「私がカタキを討ちましょう」と約束する。
まず、ウサギはタヌキに薪を背負わせ、こらしめるために火打ち石をカチカチ鳴らして火をつけた。タヌキは背中を大ヤケド。
ウサギのおしおきはまだつづく。 「ヤケドに効くいい薬だよ」とウソをついて、タヌキの背中にトウガラシをぬりたくった。
あまりの痛さでタヌキは気を失ってしまう。
それでもウサギはタヌキを許さず、最後には「きみはこの舟に乗るといいよ」とタヌキを泥の舟に乗せた。泥は水にとけ、タヌキは川に沈んで死んでしまった。」
というものであります。
さて、この話を深く読み解いてゆくのです。
まず第一には、イタズラってそんなに悪いことですか?と問いかけています。
タヌキは、イタズラ好きで食いしん坊でおじいさんを毎日困らせていました。
しかし、天井からつるされるほどのことなのかというのです。
そこから大竹さんは、この「欲望」について深く考察されています。
フランスの思想家ラカンが「欲」を「欲求」「要求」「欲望」の三つに分けていることを紹介されています。
「欲求」は体の声で、お腹がすいたからご飯を食べたい、寒いから暖房をつけて、疲れたから休みたいというものです。
これは体が満足すれば終わりになるものです。
欲求は満たされるものだというのです。
「要求」は、誰かにしてもらいたいという気持ちだそうです。
欲求は自分一人で満たされるのですが、要求はだれかに満たしてもらうものだというのです。
たとえば、赤ちゃんがミルクを欲しがるのは身体的な欲求ですが、「ミルクが欲しい」と泣いて母親に求めるのが「要求」なのだそうです。
ミルクを欲しがることで、単に身体的に欲求を満足させるだけではなく、母親の愛情を確かめているのです。
そこで大竹さんは、タヌキがイタズラをしたのは、おじいさんやウサギたちと仲よくしたいと「要求」していたかもしれないと考察されていました。
第三の「欲望」が一番やっかいだといいます。
これは満たされないからです。
お金が欲しいと思っていくら手にしても、もっと欲しがってしまうものです。
この「欲望」を捨てることが大事だと本書にも説かれています。
そのためには自分自身の「欲望」を知ることだというのです。
欲望を知ることによって、簡単に欲望に振り回されなくなると書かれています。
それから次に正義について書かれています。
ウサギのしたことは、悪くないのかという問題です。
たしかに悪さをしたタヌキをウサギが懲らしめたわけですが、そこまでする必要はあったのかという問題です。
そして三番目には罪と罰について、ウサギの行ったことはやり過ぎではなかったかという考察であります。
ウサギはタヌキの背中に背負わせていた薪を燃やして大やけどさせました。
やけどに唐辛子を塗りました。
さらに泥舟に乗せて沈めたのでした。
これほどの罰を受ける行為だったのかという問題です。
そして最後に考えるのが「許し」です。
「タヌキを許せないか」という大きな問題が残っています。
大竹さんからいただいたもう一冊の本は、
『日本昔話で学ぶ心のあり方』で、その本には、六名もの和尚さまがそれぞれの思いを語っておられます。
その本の中で小坂興道和尚が、次のように語ってくれています。
「おじいさんは、「コイツのいたずらにも、なんか事情があるんじゃないか」と想像できたならよかった。
もしかしたら、人よりちょっとばかり寂しがり屋なのかもしれない。
もしかしたら、「構って!」をうまく表現できないのかもしれない。
「こいつは悪いヤツだ」という決めつけを基に考えてしまうと、すべての結果を自業自得だと突き放すことになってしまう。
おじいさんは自分自身に「タヌキがひどい目にあったとしても、それはタヌキの自業自得だ」と言い聞かせたかもしれません。
それを言い訳に、タヌキを縄で縛り吊るし上げた。
自業自得という言葉をよく耳にします。
使い方を誤った自業自得は、慈しみも寛容さも木っ端微塵にしてしまいます。
こういう話の持って行き方をすることで、「悪いことをすれば必ず天罰が下るんだよ」と道徳めいたことを子どもたちに教えることができるでしょう。
しかしこうしたやり方は、子どもたちを一つの価値観だけにはめ込んでしまうことにもなりかねません。」
と書かれていました。
なるほどと思う言葉であります。
そのようにして昔話も考えてみると深いものがあります。
そんな昔話を臨済宗の若手の僧侶たちが自由に語ってくれているのが、『日本昔話で学ぶ心のあり方』です。
横田南嶺