仏はどこで選ばれる – 選仏場 –
講師は駒澤大学教授の小川隆先生でした。
小川先生には、このところ大慧禅師の『宗門武庫』という書物を講義していただいています。
今回も、大いに学ぶところがありました。
漢文の原文は省略して、小川先生が当日の資料でご用意くださった現代語訳を引用させてもらいます。
「雲頂山の徳敷(とくふ)禅師は、成都府の知事に招かれ、府の役所のなかで説法を行った。
そこに役所おかかえの楽人(がくにん)の頭がおり、出て来て師に礼拝した。
彼は、起ち上ると、表通りの下馬台の方を振り返りつつ、こう言った。
「“一口で西江の水を飲み尽くせ”とまでは申しませぬ。
さしあたっては、表通りの下馬台、あれを丸呑みにしていただきとう存じます」。
すると師は両の掌(たなごころ)をひろげつつ、歌うようにいった。
「細こう~粉にしてまいれ~」
楽人頭は、ここでハッと何かに気づいた。」
という内容の話なのです。
「細こう~粉にしてまいれ~」という箇所は歌うように独自の節をつけておられました。
この中にある「一口に西江の水を飲み尽くせ」というのは、馬祖禅師と丹霞禅師との問答がもとになっています。
こちらについては、小川先生の御高著『禅僧たちの生涯』(春秋社)から引用させてもらいます。
この現代語訳なども小川先生ならではの、明解なものです。
『祖堂集』の丹霞禅師の章であります。
「丹霞は、石頭希遷の法をついだ。諱は天然。
若くして儒家 墨家の学に親しみ、あらゆる経書に通暁していた。
初め、龐居士とともに都に出て科挙に応じようとしたが、漢南道で寄宿したおり、突如、まばゆい光が部屋に満ちる夢を見た。
占い師が「それは空を会得する瑞祥である」と予言した。
さらに一人の行脚僧にゆきあい、いっしょに茶を飲んでいたところ、僧からこう問いかけられた。
「秀才どのは何処へ行かれる?」
「選官にまいりたいと存じます」
「なんと惜しいことを! なぜ、選仏にまいられぬ」
「では、仏はドコで選ばれるのです?」
すると僧は、湯飲みをスッと持ち上げて見せた。
「どうだ、おわかりかな?」
「いえ、ご高旨を測りかねます」
「江西の馬祖が現にこの世にあって法を説き、道を悟る者が数え切れぬほどだ。かしここそ、まさに選仏のところである」
前世からの優れた機根を具えていた両人は、そこで長安に背を向けて、馬祖のもとへと向かったのであった。」
という話なのであります。
今でも円覚寺には「選仏場」という建物が残っています。
仏殿に向かって左側にある建物です。
只今は居士林が建て替え中なので、この選仏場で坐禅会が行われています。
それまでは、年に数回薬師講という行事以外に使われることの無い建物でした。
もともとは、ここが坐禅堂でありました。
円覚寺の中に住む僧侶は、毎日このお堂で坐禅をしていたのでした。
江戸時代の終わり頃に、誠拙禅師が今の舎利殿のある正続院に禅堂を建てて、修行の道場としましたので、この選仏場は使われることがあまり無いようになったのでした。
選官というのは科挙という試験を受けて役人に選ばれることをいいます。
この選官にかけて、選仏と言ったのであります。
しかし、この「選仏」という言葉があまり好きになれないのであります。
選官という言葉にかけているので、どうしても特別な試験でもして仏に選ばれるように思われてしまいます。
人は誰しも仏のはずであります。
それを特別な者だけを選ぶというのには違和感を覚えるのであります。
ともあれ、この問答の中に、一口に西江の水を飲み尽くせとあるのを用いて、この『宗門武庫』にある徳敷禅師の問答が成り立つのであります。
徳敷禅師がお説法なさる時に、役所おかかえの楽人の頭が質問したのでした。
これは真摯に道を尋ねるというのではなく、新しい禅師を試してやろうというものです。
一口に西江の水を飲み尽くせとは言わないけれども、表通りの下馬台という大きな岩を丸呑みにしてみせよと言ったのです。
随分意地の悪い質問であります。
ここに小川先生が「表通りの下馬台」と訳されたのは、「街前の下馬台」という言葉です。
ここでいう「街」は町のことではなく、「大通り」のこと。
前は、場所を表わす言葉なのだそうです。
「通りの前」ではなく、「通りでと」いうことです。
庭前は庭の前ではなく、庭でという意味になのです。
そこで「街前の下馬台」を「表通りの下馬台」と訳されているのです。
このようにひとつひとつの訳語が綿密に検証されているのであります。
「表通りの下馬台を丸呑みに」と言われて、徳敷禅師は、両手の手のひらを広げながら、「それならその大きな岩を細かく粉にしてまいれ」と言ったのです。
まつでとんちのような答えであります。
小川先生も一休さんの虎退治のような話だと解説されていました。
一休さんの評判を聞いて、殿さまがお城に一休さんを招き入れました。
「そこにある屏風の虎をしばりあげてくれないかと」
一休さんは、「それでは、しばりあげてごらんにいれます」といって「なわを、用意してください」と頼みます。
そうしてねじりはちまきをし腕まくりをし、なわを受け取って言いました。
「それでは、トラをびょうぶから追い出してください。
すぐに、しばってごらんにいれましょう」というのです。
さすがの殿様も一本取られたという話であります。
表通りの大きな岩を丸呑みにせよと言われて、すこしも慌てずにそれでは細かく粉にしてくださいといったのです。
私などは、この問答はそれだけのものだと思っていました。
機転の利いたやりとりですが、禅の問答は、元来自身の心を悟るためのものですので、このような機知が必ずしも必要とは限りません。
これはこれでこれだけの話だと思っていたのです。
しかし、小川先生は「細かく粉にしてまいれ」という「「細抹將來」の句には、もう一つ、「演奏開始!」という意味がある。」
と指摘されていました。
いただいた資料には「役所の公的な宴会で楽営将がこう唱えると楽団の演奏が始まるのである。
ここで徳敷が歌うよう高らかにこう言ったのには、楽営将の口調・節回しをまねてお株を奪い、その身分をからかう意味があった。」
と解説されていました。
ご講義で小川先生は、「細こう粉にしてまいれ」を歌うように独特の節をつけておられたのは、このような理由があったのです。
「細抹請来」がなぜ「演奏開始」になったのか、詳しい解説は省略しますが、この最後の言葉は掛け詞のようなものだったというのであります。
しかし驚いたのは、江戸期の禅僧たちは、この掛け詞に気がついていたということです。
寺に帰って『諸録俗語解』を調べてみると、「細抹請来」は「物をはじめよと案内する言葉なり」とあって、演奏を始める言葉である典拠が示されていました。
もっともこの様な機転の利いた答えができると「仏に選ばれる」という話ではありません。
銘々が仏さまなのです。ただそのことに気がついていないのです。
気がつくことができたらそれでいいことなのです。
どこで仏に選ばれるかといって、特別な試験場があるわけではありません。
今この場で、自身これ仏であると気づけばその場で仏なのであります。
簡単にまとめましたが、たっぷり二時間小川先生の綿密で、それでいて聞いて楽しく勉強になるご講義でありました。
横田南嶺