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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.19
今日の言葉

『臨済録』に学ぶ

この年末には三冊の本の出版がほぼ同時になってしまいました。

一冊は初めての絵本『パンダはどこにいる?』です。

次は、椎名由紀先生との共著『ZEN呼吸』です。

そして三冊目が『臨済録に学ぶ』であります。

『ZEN呼吸』と『臨済録に学ぶ』は年明けの発売となりました。

それにしても一冊の本を作るのもたいへんだのに、三冊も同時進行となるとずいぶんと苦労しました。

どの本の出版も感慨深いものがあるのですが、年末ギリギリまで苦労していたのが『臨済録に学ぶ』であります。

この本は、令和二年の九月から令和三年の一月まで毎月一回致知出版社主催のセミナーで講義をしたものをまとめました。

セミナーは何度も行ってきていましたが、令和二年の講座ですから、完全なオンライン講座となったのでした。

校正の作業で読み返していると、コロナ禍に行ったことがありありと思い出されて感慨深いものであります。

「コロナ禍」、「緊急事態宣言」、「ロックダウン」、「三密」、「オンライン」、「リモート」、「対面」などなど、こんな聞いたことのない言葉や、あまり使わなかった言葉が、世の中にあふれるようになったのでした。

思い起こせば令和二年四月には、全国の学校が休校になり、五月のゴールデンウィークには、ほとんど誰も外出しないという事態になりました。

著名人がコロナ感染で急にお亡くなりになるという報道も衝撃的でした。

これから世の中はどうなるのかという言い知れぬ不安に襲われた頃でした。

将来歴史に残る一ページに、今自分たちは置かれているのだろうと感じていたものでした。

令和二年の春から、お寺の暮らしも大きく変わりました。

それは激変と言っていいでしょう。

それまで大勢の人が集まっていた、お寺の坐禅会、法話会、研修会などはすべて中止せざるを得なくなり、文字通りの閑古鳥の鳴く寺になったのでした。
 
多くの人が不安になっている時こそ、何かできることはないか、いろいろと考えて行ったのが、オンラインの活動でありました。

これまで寺ではあまり取り組むことのなかった分野です。

慣れないことでありましたので、試行錯誤を繰り返しました。

致知出版社主催の『臨済録』に学ぶ人間学講座もそんな中で始めたのでした。

歴史を学ぶと、唐代の禅僧たちは、激しい歴史の変動の中にあっても実に生き生きと主体性を失うことなく活動していたことがわかります。

武宗の仏教大弾圧もありましたが、禅僧たちは、たとえ寺が潰されても、仏像が壊されても、経典が燃されても、それにめげることなく、却って生き生きと生き抜いていたのでした。

『臨済録』には、そんな激動の時代を生き抜いた臨済禅師の力強い言葉が満ちあふれています。

「よし、今こそ『臨済録』だ」と思ったのでした。

 そこで古来難解と言われる『臨済録』から今学ぶべき事として次の三つを掲げてみました。

一 無位の真人 自己の素晴らしさに目覚める

二 随処に主と作る どんなところでも主体性を持つ

三 活潑潑地 いきいきと生きる

 この三つの事を伝えたいと思って講義をしました。

五回の講座を一冊の本にしましたので、五章に分かれています。

まず第一章は、「心を伝える」と題して「臨済録に到るまで」の過程を話しました。

禅の初祖と呼ばれる達磨大師の教えから学び、そして臨済禅師の思想の根幹になると言ってもいい馬祖道一禅師について語っています。

第二章は「自己に目覚める」と題して、「臨済の開悟」について語っています。

臨済禅師がどのように道を求めて、どのように真の自己に目覚めたのかについて講義をしました。

そして第三章は「真の自己とは」と題して、「無位の真人」という臨済禅師の教えの中核について講義しました。
 
第四章は「正しい見解を持つ」と題して、臨済禅師が繰り返し説かれた「真正の見解」即ち正しいものの見方について話をしました。

そして第五章は「いきいきと生きる」と題して、「臨済録の実践」について語りました。

こうしてどうにか一冊の本に仕上がりそうなのです。

一冊の本に仕上がるのは有り難いのですが、同時にまた次の臨済禅師のお言葉も思い浮かぶのであります。

『臨済録』には、

「当今の修行者が駄目なのは、言葉に捉われて理解しようとするからだ。大判のノートに老いぼれた坊主の言葉を書きとめ、四重五重と丁寧に袱紗に包み、人にも見せず、これこそ玄妙な奥義と言って、後生大事にする。大間違いだ。愚かな者ども!お前たちは干からびた骨からどんな汁を吸い取ろうというのか。
世間にもののけじめもつかぬやからがいて、経典の文句についていろいろとひねくりまわし、一通りの解釈をでっちあげて〔人に説き示す〕ものがいる。これはまるで糞の塊を口に含んでから、別の人に吐き与えるようなものだ。また田舎ものが口づてに知らせ合うようなものでしかなく、一生を虚しく過ごすだけだ。」(岩波文庫『臨済録』)という実に手厳しい言葉があります。
 
こんな本を上梓して、真っ先に聞こえてくるのは、臨済禅師の叱責でありましょう。

「ワシの言葉など講義して本にして何になる!」と。

臨済禅師が、終始一貫して、仏とは遠くに求めるものではなく、「今わしの面前でこの説法を聴いている君こそがそれだ」と示されたように、「自心是れ仏」であることに気がついて欲しいものです。

それこそ、『パンダはどこにいる?』に書いたように、今まで求めていたのは自分自身であったと気がつくことを目指しているのであります。

『パンダはどこにいるの?』は年末に発売されます。

『臨済録に学ぶ』も年明けに発売されるのが楽しみであります。

 
横田南嶺

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