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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.21
今日の言葉

姿と勢い

先日は西園美彌先生の講習を修行僧皆と共に受けて学びました。

今年は、いろいろな出会いがありましたが、この西園先生との出会いも忘れられないものであります。

藤田一照さんのご縁で、出会うことができたのでした。

魔女トレと呼ばれているのですが、足指のトレーニングに始まり、長年のバレエの訓練から得られた独自のトレーニングを学ぶのであります。

私もいろいろ勉強してきて、足の指に注目しかけていた頃に、ちょうどご縁があってめぐりあうことができたのでした。

この出会いによって、新しい世界に触れることができました。

新しい世界といってもどこかにゆくものではなく、私の身体の不思議なることに気がついたのであります。

まだまだこの身体は開発される余地がたくさんあるのだと教えていただきました。

毎回大きな気づきと発見なのであります。

西園先生の講座には、毎回一照さんもご参加くださっています。

また尺八演奏家の工藤煉山さんも参加されています。

こうして皆で学ぶことは実に楽しいものであります。

西園先生のセミナーは今やとても人気で、募集開始と同時に満席になるらしく、予約を取るのがたいへんらしいのです。

それを私たちは、寺にお越しいただいて学ぶことができるのですから、有り難い限りであります。

お忙しい中をご教示いただく先生には感謝しかありません。

修行僧も会を重ねるうちに、いろいろと気づくことがあるようで、熱心に受講してくれています。

やはり興味関心をもって自分で学ぼうと思う心を起こさないことには、坐禅にも修行にもなりはしません。

坐禅は座布団の上に、腰を立てて坐るだけのことなのですが、これがまた実に奥深いのであります。

毎回感動するのは、西園先生は講座の時はもちろんですが、控え室にいらっしゃっても常に姿勢がきれいなのであります。

それは無理なく腰が立ち、姿勢が調っているからだと思います。

どうしても力で腰を立てて坐ると、終わった後には腰が抜けてしまったりします。

これでは不断坐禅とはなりません。

そうかといって一日中力んでいるわけにもゆきません。

長年の鍛錬を経て身についた自然の姿なのだと察します。

有り難いことは、そうして姿勢のきれいな方のそばにいるだけで、こちらの体も心も調ってくるものです。

同じ場にいるだけで、大きな影響を受けます。

もちろん、メソッドの素晴らしいことは言うまでもないのですが、そんな先生と共に同じ場にいるだけで、こちらも調ってくるのです。

セミナーが人気なこともよく分かります。

この姿勢というのは決して身体だけを調えればいいというものでもありません。

やはり内面から湧き上がってくるものが姿形となって現れるのであります。

大森曹玄老師の『驢鞍橋講話』を拝読していると、姿勢について大森老師は、次のように仰っていました。

引用しますと、

「姿勢という字は、姿という字の下に勢いという字を書く。

あの勢いという字はどういうことか。〝息競(いききお)う”の詰ったものだ。

呼吸が競い立つように燃え立っていることであろう。

呼吸が整い、深い息ができれば、自然に背骨はスーッと立ってくる。

呼吸が整わないからすぐグンニャリするのである。

姿というのは外の形、勢いというのは中の呼吸の仕方、気力の充実の仕方。

だから、姿という外の形は勢いという中の呼吸の充実、気力の充実が伴わなければ正しくならない。」

と書かれているのです。

姿は外形でしょう、勢いは内面の充実なのであります。

呼吸はもちろんのこと、考え方、思い、志などが関わってきます。

我々は専ら腰を立てるということについて学んでいるのですが、大森老師は、

「そうして腰を突っ立てるということが人間が人間としての主体を保つ根本的条件である。

で、昔は「腰抜け」とか「腰砕け」とか言われるのは最大の侮辱の言葉だった。

「お前は腰抜けじゃないか」と言われる。

それは度胸がないとか元気がないとかいうことではない。

人間としての主体性が確立していないということを「腰抜け」といった。

なぜならば、人間はもと類人猿の時代には四つんばいしていたかも知れない。

四つんばいの状態で全面的に地球の引力に引かれて、引力を退けて自ら立つということはできなかった。

動物の時代はそうであったろう。

ところが、人間として自らを自覚する段階になった時、スーッと前足を地球から放して突っ立った。

突っ立つ時には、腰の力で立った。

具体的に言えば、人間が両手を地球から放して、地球の引力に半ば背いて自らを立てた時、自己の主体性を確立したのである。

言いかえれば、人間の主体性は腰を立てるということによって確立された。

それが砕けてしまっていては、動物に帰って、全面的に引力に引かれる、ただ受動的に生きる存在にすぎない。

人間ではない。

いやしくも人間であるからには、スーッと腰を突っ立てなければならぬ。

うなじは天を突き、腰を伸ばして立つ。」

と書かれています。

これは森信三先生が説かれたことと全く同一であります。

森先生は、

「腰骨を立てることによって、われわれ人間は、自らの主体性を確立しうると共に、さらにその持続的実践力の根源たる意志力を鍛錬しうるのである。」

と説かれています。

学ぶにしても修行するにしても主体性を持たないとどうにもなりません。

ただやらされているだけでは何も身につきません。

学ぶ姿勢、生きる姿勢が大事なのです。

西園先生と話をしていても、いまはご自身のセミナーなどでもお忙しいのですが、休みの時に他のセミナーを受講するように努力されいているということでした。

教わる内容も同じでは無く、常に学び工夫されて、そしてその最先端のことを惜しまずに教えていただいているのであります。

この西園先生の「姿勢」には、大いに学ばせてもらっています。

 
横田南嶺

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