お釈迦さまの苦行
その一分を引用して紹介します。
お釈迦さまが出家して苦行なされたことについて、
「その後六年の間、太子は日に一食をとり、また半月一月に一食をとり、足をくみ、威儀を正して坐り、雨風 電にもめげず、唯黙然として、恐れ戦き給うことはなかった。
或る時は歯と歯と噛み合わせ上顎に舌を引き付けて心を制え、恰かも力の強い人に押し伏せられたように両脇から汗を流されたが、精進の心は退かず、正しい念は乱れないで、却って元気に満ちてその大きな苦に勇み立たれた。
また或る時は無息の禅定を修めて、口と鼻との呼吸を止められると、内にこもった息は、凄まじい音をして耳から流れ出た。
ちょうどそれは、鍛冶屋の鞴のように凄まじい音であった。
尚進んで耳の呼吸までを止められると、激しい風気(いき)が頭の頂を衝き上げるので、鋭い刃に衝刺されるようであった。
また或る時は、内の風気が陶器の破片で刺すように烈しい頭痛を起こし、また或る時は鋭い庖刀で刳るように腹を刺して、燃ゆる炭火に身を投げ入れるような烈しい熱を起こした。
しかも太子の心は、少しも退き給うことはなかった。
これを見て、或る者は喬答摩は死んだと思い、或る者はやがて死ぬであろうと思い、或る者は覚をひらいて聖者の生活に入られたと考えた。
太子は、更に進んで食を断とうと思い立たれた。驚いた神神は「断食をなされてはいかぬ、もし食を断たれるならば、私たちは神神の漿水を毛孔へ注ぎいれて聖者の生命を支えまいらせよう」と叫んだ。
しかし太子は、断然としてこれを斥けたもうた。
太子は今や僅かの豆小豆の類を取り給うたので、身体が見る見る痩せてきた。
足は枯葦のよう、臀は駱駝の背のよう、そして背骨は編んだ縄のように顕れ、肋骨は腐った古家の垂木のように突きいで、頭の皮膚は熟しきらない瓢箪が陽に晒されたように皺んで来、ただ瞳のみは落窪んで深い井戸に宿った星のように炯(かがや)いて居る。
腹の皮をさすれば背骨を摑み、背骨をさすれば腹の皮が掴める。
立とうとすればよろめいて倒れ、根の腐った毛は、はらはらと抜け落ちる。
太子は思い給うた。 「過ぎし世のいかなる出家も行者も、または今の世、来たるべき世の如何なる出家も行者も、これより上の烈しい苦しみを受けたものはないであろう」。」
というものであります。
もっともこのような記述のどの程度まで真実なのか、知るよしもありませんが、すさまじい修行をなされたということなのでしょう。
しかし、こういう苦行では駄目だと気がつかれたのでした。
徒らに肉体を苦しめるよりも、食事を取って今のこの身体を養って、身体ではなく心の上から解脱を得ようと思ったのでした。
そして尼蓮禅河に沐浴なされてとある村の中に入りました。
そのときウルビラ村のセーナパテの娘スジャーターが、牛の乳を搾って、乳糜を作り、樹の神に捧げようとて林に入ってきました。
そこで痩せ衰えていながらも何処となく気品のある修行者をみて、敬いの心を起こし、乳糜を捧げたのでした。
「尊い修行者よ、どうぞわたしを愍んで供養をお受け下さい」と拝んだのでした。
そして乳糜をいただいて体力を回復し気力を振い起こして、之をよすがに証りを得るであろうと思ったのでした。
そうするとそれまでずっと一緒に苦行してきた憍陳如等五人のものは、そんな様子を見てさげすんだのでした。
そしてベナレスの鹿野苑に赴きました。
乳糜を受けて体力を回復し、林に入ったのでした。
そこに大きなヒッパラ樹が枝を張っていて、そのヒッパラ樹が後に菩提樹と呼ばれるようになりました。
たまたまそこにいた草刈の童子から、吉祥草の供養をうけてそれを座としてそこで自ら誓いを立てました。
「いま悟りを得られぬなれば、生きてこの座を立たぬであろう」というのでした。
かくして苦行を捨てて菩提樹のもとに坐ったのです。
苦行の否定というのは仏教においては大事なところです。
しかし、修行を否定しているわけではありません。
自分中心、自我中心にしかものを見ることのできない心を変えてゆくには、修行は必要であります。
そこで、長い仏教の歴史のなかでそれぞれの宗によって修行の方法が確立されてゆきました。
私たち禅宗は禅宗独自の修行がございます。
そのなかでもこの十二月の臘八の修行などはそのひとつであります。
しかし、修行も心しないと間違った方向に行きかねません。
『中外日報』の12月2日号に、正木晃先生が「修行という難題」という題で書かれていました。
その中に、次のようなことがございました。
一部を引用させていただきます。
「修行して皆が皆、人格を向上できるか?と問われると、答えに窮する。
なぜならば、修行することで、かえって人格をすり減らしてしまい、ひいては仏教者としてあるまじき行為に走った事例に出合った経験があるからだ。
よくあるのは、いわゆる増上慢である。
天狗になって、他人を見下ろす者がいる。
修行の目的と手段を取り違えて、手段に埋没してしまい、修行そのものが、生きがいという修行オタクになる者もいる。
修行を成就するためなら、他人に迷惑をかけても全く気にならないという困った者もいる。」
というのです。
こういうことにはならないように、何の為の修行であるのか、そして常に謙虚な心を忘れてはなりません。
横田南嶺