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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.06
今日の言葉

慈悲のあらわれ

『家庭画報』という月刊誌があります。

昭和三十三年の創刊というのですからとても古いものです。

その『家庭画報』の2023年1月号に私が載っているのです。

どうして私のような者に取材に来たのかというと、いつも懇意にさせてもらっている川野泰周さんを通じての依頼でありました。

分厚い月刊誌ですが、その終わりの方の336ページから339ページまで4ページにわたって載せてもらっているのであります。

それがなんと

「その言葉が心の杖となる
世界の叡智に学ぶ
 2023年からの生き方」

という特集に載せてもらっているのです。

世界の叡智といってどなたが載っているのかと思ってみると、第一番はなんとエリザベス2世であります。

女王も4ページにわたって掲載されています。

それからマイケル・サンデルさん、上野千鶴子さんの次に私なのであります。

私のところは、

「鎌倉から、心に火をともす
横田南嶺
詩人・坂村真民さんの純粋で一途な言葉を支えに
念ずれば花ひらく」

というのであります。

円覚寺の掲示板に坂村真民先生の詩を書いている姿や、かつて書いたたくさんの詩などが写真で載せてもらっています。

それから毎日のYouTubeラジオを録音しているところ、そして坐禅堂で坐禅している姿などもございます。

発酵食品を研究していると話をしたら、出版社の方が興味をもたれて、その時に作って出した甘酒の写真もございます。

甘酒の写真なんか撮ってもしかたないですよと申し上げたのですが、ちゃんと載せてくれています。

そして『家庭画報』読者向けの五分ほどの法話を録画して、それが見られるようになっているのであります。

最後のところで、2023年に私たちが持つべき心とはと
聴かれて、慈悲の心だとお話したのでした。

短い文章にまとめてくださっていますが、慈悲の心がどうしたら育つかについて、

「人は支え合って生きている。

自分に何ができるだろうか、と思いを巡らす。

やがてそれぞれの場所で何かしら見つかるものです。

たとえば今、隣にいる人に温かい言葉をかけてみるのも慈悲。

世の中に明るさを取り戻すのは、一人一人の慈悲の積み重ねにほかなりません。」
と書いて終わっています。

やはり慈悲の心は大事です。

朝比奈宗源老師の言葉に

「心に慈悲を持つ人の顔は常にあたたかい。

慈悲は人生のともしびである」

というのがあります。

仏教や禅を学ぶにあたって、学ぶことによって自分が救われたいと思って学ぶ場合と、学んで人を救いたいという場合があろうかと思います。

もっともはじめから人を救いたいと思うのは稀であって、はじめはやはり自らの救いを求めるのでありましょう。

そして自ら救われたならば、今度は人を救ってあげようと思うようになるのでしょう。

白隠禅師が二十四歳の時に、正受老人からなぜ出家したのかを問われて、白隠禅師は、地獄の苦しみから逃れたいと思って出家したことを告げました。

すると正受老人から厳しく叱られたのでした。

「自領の漢」と言われたのでした。

自分の救いだけを考えているのかと叱られたのでした。

後に白隠禅師が五十九歳の時に、同じことをお弟子の東嶺和尚に聞いたところ、東嶺和尚は、自分は地蔵菩薩のように地獄に落ちている人を救いたいと思って出家したと答えたのを聞いて、白隠禅師は、その思いこそが、正受老人の心にかなうことだと褒めたのでした。

もっとも白隠禅師もご自身が救われたという体験をされてからは、大いに慈悲心を発揮して人々の為に尽くされました。

また何が慈悲であるのかは難しいものです。

ただやさしくすればそれが慈悲かというとそうでもありません。

臨済禅師が、黄檗禅師のもとで修行していた頃、佛法の大意を質問して三度棒で打たれたということがありました。

そのことを後に臨済禅師が振り返って、今思うとヨモギの枝で頭を撫でてもらったようなものだと仰っています。

柳田聖山先生は、「猫をじゃらすように可愛がること」、つまり老婆心であると説明されています。

中国の道教の習慣で、よもぎの枝で子どもの頭を撫でて成長を祝う儀式があるそうです。

臨済禅師にとって、黄檗禅師のところで棒で打たれたというのは決してひどいことではなくて、あたかも親が子どもの成長を祝ってよもぎの枝で頭を撫でてくれたような懐かしい思いがすると言っているのです。

そして、今もう一度棒で打たれてみたいというのでした。

もっとも今日では、暴力は決して行ってはならないことでありますので、推奨するものではありません。

しかし、修行というのは辛いことが多いものです。

暴力ではないにしても時に厳しい指導も慈悲の表れであります。

私なども今思うと、老師方や諸先輩方の厳しいご指導も有り難いことだったと感じるのであります。

 
横田南嶺

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