仮の宿
一夜の宿に泊まって、気の合った者同士で仲よくなったとしても、一夜明ければ、別れ別れになってしまいます。
また宿に泊まると、今度はまた新しい友ができたりします。
この世の人間関係などはそのようなものだというのです。
ずっと親しいという場合もないわけではないでしょうが、いつどこで、どのようになるかは分からないものです。
昨日の友は今日の怨讐。昨日の花は今日の塵埃という言葉もございます。
杜甫は『貧交行』という詩のなかで、
「手を翻せば雲となり手を覆せば雨となる」と詠いました。
手のひらを上に向けると雲がわき、手のひらを下に向けると雨が降るということから、人情が変わりやすく、頼みがたいことをたとえたものです。
世間の人情などというのは、所詮そのようなもの、ただ頼りとすべきは、仏の教え、真実の悟りのみだと東嶺和尚は説かれました。
そしてこの身は、十二因縁で出来た業の皮袋だと説かれています。
古来この世に生まれることを仮の宿と喩えたものが多くございます。
古くは中国の古典である『淮南子』という書物に、有名な「生は寄なり死は帰なり」.という言葉がございます。
生は寄なりとはどういうことかというと、「寄」というのはは寄付、寄進、寄宿舎という「寄」で寄るという字です。
この世に生まれたということは、少し身を寄せて生きさせてもらうだけのこと、寄宿舎に住まうような仮の宿だと言う意味です。
死は帰なりの「帰」は帰依する、帰るという「帰」です。
死ぬと言うことは帰ることだというのです。
仮にこの世に身を寄せて生きて、死ぬことは本来の場所に帰ることであるというのです。
伊達政宗の家訓と伝えられるものの中にも、
「この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
朝夕の食事うまからずともほめて食うべし。
元来客の身なれば好き嫌いは申されまじ。
今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、娑婆のお暇申すがよし。」
という言葉があります。
江戸期の高僧沢庵禅師には
「たらちねに よばれて仮の客に来て こころのこさず かえる古里」という和歌がございます。
父母に呼ばれて、この世に仮の客として来たが、寿命も尽きたので何も心残さず、ふるさとへ帰りますという意味です。
お互いこの世に生まれたということは「父母に呼ばれて、この世に仮の客として来た」というのです。
父と母が結ばれ、その父母に呼ばれて、この世に生まれてきたのです。
そして生まれてきたことは、この世に「客人」として来たのだというので、かりそめに来た客人なのだから、生命が尽きるときは心を残さず、ふるさとであるあの世へ帰ろうという和歌です。
沢庵和尚はこの歌を詠む前にこう述べていらっしゃいます。
「人間この世に客としてやってきたと思えば苦労はない。
満足する食事が出されたら、ご馳走と思っていただき、満足できない食事が出されたときでも、自分は客であるのだから、褒めて食べなければならない。
夏の暑さ、冬の寒さも、客であるのだから、耐えなければならない。
子や孫、兄弟も、自分と一緒にやってきた相客と思って、仲良く暮らし、あとに心を残さず、さらりと辞去せねばならない」
というのであります。
松尾寺の松尾心空和尚は、「人生往来手形」ということを仰っていました。
松尾和尚には、一度お目にかかったことがあります。
その人生往来手形には次のように書かれています。
「右のもの、あの世より縁あってこの世に生を受けました者ゆえ つまりはこの世の間借り人であります。
されば三度の食べものにも文句を言わず、美味しいと褒め、人と気まずいことがあっても我が身のいたらぬせいと思いなし、愚痴なく、怒らず、貪らずほどよくこの世に暇乞いして元のあの世に帰るものゆえ、親切大事に願います。」
というのです。
「世の中は乗合船の仮住まい
善し悪しともに名所旧跡」
という歌もございます。
みな寄り合い船の仮住まいなのです。
縁あってそれぞれのお家にいのちをいただきました。
大きく言えばこの日本という国にいのちをいただきました。
この頃の言い方ではもっと大きく言って、この地球にといっても良いかもしれません。
いずれにしても、私たちはこの世にかりそめに来た旅行者と思えば、口に合おうが合うまいが食事の贅沢は言えないし、暑さ寒さも我慢しなければなりません。
子や孫、兄弟も、この世に来た同じ旅行者、乗合船に乗り合わせたのです。
そう思えばお互いに仲良く暮らし、やがて立ち去るときが来たら、あとに心残りを作らずにさようならをするのがよいということでしょう。
そんな風に思えば、わがままが減ると思います。
『法句経』の六十二番に
「わたしたちには子がある。わたしには財がある。」と思って愚かな者は悩む。
しかしすでに自己が自分のものではない。
ましてどうして子が自分のものであろうか。
どうして財が自分のものであろうか。」
とあります。
みんな借り物と思えば、執着は減るものでしょう。
そうして理想は、
『法句経』の二百番の
「われわれは一物をも所有していない。
大いに楽しく生きて行こう。
光り輝く神々のように、喜びを食(は)む者となろう。 」
という風に生きたいものであります。
坂村真民先生に「生き方」という詩があります。
「どんなに立派な信仰をもっていても
貧乏のどん底に落ちたり
難病になって苦しんだり
ガンで死ぬこともある
それはどうにもならぬことだ
信仰とは関係のないことだ
大切なのは
その人の生き方である
どう生きたかを
神仏に見てもらうことである」(『坂村真民全詩集第五巻』より)
この仮の宿に来て、お互いどう生きるかが大切なのです。
横田南嶺