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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.11.09
今日の言葉

厳しさと優しさ – 盤珪と白隠 –

鈴木大拙先生は、白隠禅師と盤珪禅師について次のように述べておられます。

「白隠の悟道は、萬夫不當の大勇者が、剣を揮つて、向ひ来る敵を前後左右に薙ぎ倒してから、血刀を杖いて昂然として立つが如きものである。もはや誰も近傍し難い。

が、盤珪の場合は、氣の好い中年の田舎男でもやうに、さてさて今まで色々の苦労をして来たが、求むるところのものは、元来何でもない事であつた。

どうかして、これを友達仲間にも知らしてやつて、いらぬ苦労をさせぬやうにしてやりたいものだと。

まあ、こんなやうな心持が盤珪の態度に読まれる。

両者がもつ始めからのこんな心持の相違は、固より環境や生立ちの上からのものと思ふが、これがその一生を通じて認められるやうだ。」(「盤珪の不生禅」『盤珪禅の研究』より)

と書かれています。

武士が刀を振るってバッタバッタと敵をなぎ倒してゆく気概が白隠禅師に見受けられ、盤珪禅師は、田舎のおじさんのようだというのであります。

田舎のおじさんが、朴訥として、ワシも色々苦労してきたが、あなた方はそんな苦労することはないよと説いてくれているようだというのです。

おもしろい表現だと思いました。

ただ龍雲寺様に展示されていた曝涼展の墨蹟から受ける感覚はまた異なるものであります。

むしろ逆で、白隠禅師の方が、田舎のおじさんのような泥臭さ、穏やかさを感じます。

盤珪禅師の書の方に寄りつきがたいものを感じるのであります。

こういうことを考えると、どちらが本当かという問題ではないと思います。

その両面を具えているのが、お二人の祖師だと思います。

白隠禅師の修行ぶり、そして弟子達を厳しく鍛える様子というのは、あたかも千人万人に敵に一人で立ち向かうが如き激しいものでありました。

しかし、多くの方には穏やかに接しられたように感じるのであります。

もっとも穏やかそうに、泥臭いように書かれている禅画でありますが、その賛を読んでみると、かなり難しい、手厳しい内容が書かれています。

盤珪禅師は確かに法語を拝見しますと、

「人々皆親のうみ附てたもったは、仏心ひとつで、よのものはひとつもうみ附はしませぬわひの。」というように、「わいの」という語尾をつける穏やかで柔らかな感じであります。

しかし、やはり盤珪禅師の御修行ぶりも、千人万人の敵に孤軍挑むような激しいものでありました。

如法寺という愛媛県の大洲にあるお寺には、寺の裏の山の高いところに、選りすぐりの弟子達を鍛えたという建物が残っていました。

大洲藩のお殿様も途中までしか登らせなかったというのです。

そんな場所を訪ねてみると、盤珪禅師のお優しいお説法と、やはり誰も寄せ付けない激しさを覚えるのであります。

そんな盤珪禅師だからこそ、

「手度の弟子四百余員、法号を受けて弟子の禮を取るもの五万余人、諸国に創興せられし寺院四十七、滅後勧請して開山とするもの百五十に及ぶ」

というような多くのお弟子や信者さんが集まったのだと思うのであります。

厳しさと優しさ、その両方をお二人の禅僧はお持ちでありました。

盤珪禅師が説かれたのが「不生の仏心」でありました。

不生とは、なにも造作をしない、ありのままということであります。

その「不生」について大拙先生は、

「不生はそのままであることには間違ないと云つても、只のそのままではない。

矛盾を一度通つて來たそのままである。

山は山でない水は水でないと云ふ否定があつて、それから山は山、水は水と云ふところのそのまま禪である。

否定前のそのままと否定後のそのままとは、原始人又は嬰兒とお釋迦さんなどの違ひがある。後者は無限の内容を入れて居るが。前者は感性的に見えるだけしかない。」

と実に見事に説かれています。

更に、

「『至道無難』と云へば、如何にも無難であらう。

大道坦坦として長安に通ずるところからすれば、眼を閉ぢてあるいても危な気はない。

併し道がさうなるまでには、迂餘曲折を経過してこなければならぬ。

而してここで始めて坦坦なるものの眼前に展開するを見る。

原始人も孩提の児も、同じく山を見る、水を同じく冷たく感ずる。

併し彼等には否定がない、そのままのそのままでは禪にならぬ。」

というのであります。

ただ単にそのままでよいというのでは禅にはなりません。

古くは中国唐代の馬祖禅師は、「平常」でよいと説かれ、臨済禅師は「無事」と説かれました。

「平常」はありのままです。

「無事」は求める必要はないということです。

何も求める必要は無く、ありのままでよいというのが「平常無事」でありました。
しかしその「無事」を説いた臨済禅師も、「体究錬磨して一朝自ら省す」と言われているように、「体究錬磨」という体験があったのでした。

「山僧往日(そのかみ)、未だ見処有らざりし時、黒漫漫地なりき。 光陰虚しく過ごすべからず、 腹熱し心忙わしく、奔波して道を訪う。」と語録にありますように、若き日の臨済禅師は、何も分からない真っ暗な中を、気は焦り、心は落ち着かず、諸方に駆け回って道を求めた体験がありました。

その上での「無事」にたどりついたのでした。

大拙先生が「山は山でない水は水でないと云ふ否定があつて、それから山は山、水は水と云ふところのそのまま禪である。」というのは、青原惟信禅師のことです。

大拙先生がよく用いられた話であります。

岩波文庫の『禅の思想』には、

「まだ禅も何もわからなかった時節には、世間並に、山は山、水は水と見て居た。

それが後来お知識の下で入処(さとり)があったが、そのときは反対に、山は山でなく、水は水でないと云ふことになった。

近頃、休歇の処-即ち落著くところへ落著いた此頃は、山を見ると山、水を見ると水と云ふことになった。」

と説かれています。

「まづ常識的に分別上の肯定がある。それが全然否定せられて、分別はその根源のところで足場を失った。が、もう一つの転機に出くはしたら否定がもとの肯定に還っだ。無分別の分別が得られた」というのです。

盤珪禅師も厳しい体験を経て、ありのままに至ったのです。

あまりにも厳しい、もう死ぬだろうというまでに自分を追い詰めて修行されたので、もうそんなことはしなくても良いと説かれたのだと察します。

しかし、ただなにもしないで「そのまま」ではいけないのです。堕落してしまいかねません。

そこで白隠禅師は、その否定の修行を重視されました。

一度常識分別を否定しないと、本当のありのままにはならないと道筋を教えてくださったのです。

お二人とも説かれたことは逆のように見えて、共に厳しい修行経ての親切なのであります。

盤珪禅師と白隠禅師共に、厳しさと優しさと両方兼ね具えたお二方なのだと思います。

 
横田南嶺

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