健やかに生きる
1997年の資料に基づくものらしいのですが、なんでも「近代医療を適応しても80%の患者は別によくも悪くもならず自然に落ち着くところに落ち着く。
医師の働きはそれが有害でない限り原則に経過に影響することはない。」そうで、
「10%をやや上回る症例においては、確かに医療的な介入が劇的な成功をみせている。ただし残り 7, 8%は医師の診断や治療が適当で無かった為に不幸な結果を招いている」
というのであります。
患者の80%は、医療の影響を受けず、10%は劇的によくなり、10%弱は医療の影響で悪化しているというのです。
また江戸時代の永富獨嘯庵という方の「吐方考」というものには、
「凡そ病者百人、 治せずして癒ゆる者六十人、 その余四十人、十人の者は治すといえど必ず死す。 十人のものは治を得て必ず活く。 十人のものは死せずまた癒えず。
其の命、治、 不治の間に在りて権衝し、 医人に属するもの十人のみ」
と書かれているそうです。
どういうことかというと、
江戸時代の治療においては、
60%は治療しなくても治る (医療の影響を受けない)
10%は治療しても死ぬ (医療の影響を受けない)
10%は治療の効果でよくなる
10%は良くなったり悪くなったりを続ける
というのであります。
そこで桜井先生は、医療は我々が思うほどには影響していないと仰っていました。
私などは、もう少し医療の効力が大きい気がするのですが、先生はそのように仰せになっていたのでした。
特に寿命ということで考えると、かなりそういう一面もあるような気もします。
それから「人は地球に紐づいて生きている」ということを仰っていました。
人の生き死には月の満ち引きと大きく関係しています。
今のように暖房の調った施設のなかにいても、やはり人は冬に亡くなるのが多いのだそうです。
夏になれば早く起きるのが理にかなった生き方だというのでした。
二千年前は病気になれば死に直結していたので、病気にならない生活はどんなものなのか経験則で集めていたというのです。
地球に従って生きることで病気を防いでいたのでした。
興味深い話があって、中国の古代周王朝の医師の順位です。
紀元前千年の周王朝の制度習慣が書かれた「周礼」にあることだそうです。
医師の中でも一位は、食医といって、食事の指導をする医師なのだそうです。
二位が疾医といって内科医だそうです。
三位が瘍医といって外科医だそうです。
四位が獣医という順なのです。
一位が食事の指導をする医師だというのが興味深く思いました。
桜井先生もはじめは全く腑に落ちなかったそうなのですが、長く医学を学んできて全くその通りだと思うようになったそうです。
自分で食の量、質の影響を自覚して暮らすのが一番いいのであります。
現代においては、食事の食べ過ぎが病気の原因になることが多いのであります。
人間の体というのは飢餓の時代にも生き抜いてきましたので、食べたものを蓄えることができるようになっています。
それが現代のように必要以上に食べるものが手に入って、単においしいから、お腹がすくならといって食べているとどうしても栄養が過剰になりがちなのです。
昔から腹八分目というように少なめがよいのであります。
諏訪中央病院で講演と対談を行った翌日長野県上田市で、椎名由紀先生の稲刈りが行われるというので、駆けつけて参加してきました。
椎名先生は、神奈川にお住まいでありながら、長野県上田市に田んぼを買って、無農薬で稲を育てているのであります。
田植えも草取りも稲刈りも人の手で行っているのであります。
今の時代には貴重なことです。
修行僧たちも田植えから参加させてもらってきて、草取りにも行き、今回は稲刈りなのであります。
周囲も見渡すかぎり田んぼが広がっていました。
もうすでに刈り取ったあとの田んぼも見受けられました。
修行僧達もわずかのお手伝いでありましたが、田植えから関わってきたので感慨深いものだと思いました。
もっとも大変なのは、草取りだと思います。
椎名先生に伺うと週に二回は草取りに通っていたというのですからご苦労は察するにあまりあります。
田んぼにいって一番驚いたのは、台風の影響があって、周囲の田んぼの稲はほとんど皆倒れてしまっているのに、椎名先生の田んぼの稲だけは倒れることなく、すっくと立っているのです。
椎名先生は、まわりの田んぼは肥料が多いからだと仰っていました。
やはり栄養が過ぎると弱くなるのかなと思いました。
これは人間も同じことなのだと思ったのでした。
もっともその分、椎名先生の田んぼの収穫量はまわりの田んぼよりは少ないのだそうです。
手で草を取ったりするので、稲と稲との間もかなりの間隔をとって植えないといけないと仰っていました。
なるほどそういうものかと思いました。
農薬も使わず、健やかにすっくと立っている稲の姿に、人間本来の在り方も学ぶことができて、実に有り難く尊いものでありました。
横田南嶺