石も叫ばん
致知出版社は、森先生の『修身教授録』や『森信三一日一語』を刊行しているところであります。
この度も『続・修身教授録』が上梓されたのでした。
藤尾社長は、昭和六十年九月に初めて森先生と出会ったことを、熱く語ってくださいました。
この話を私などは、何度も伺っていますが、何度聞いても心に響き、胸が熱くなるものです。
森先生が八十八歳、藤尾社長が三十七歳の時の出会いだというのであります。
「その人の生前の真実の深さに比例して、その人の精神は死後にも残る」という森先生の言葉を紹介されていました。
実に森先生没後三十年経って、今も多くの人が森先生の教えを学び、そしてまた新しい本が出版されているのであります。
藤尾社長が、講演の資料として配られた森先生の言葉を紹介します。
『森信三訓言集』からであります。
① お互人間は、何時死ぬかも知れぬと覚悟して、現在の生活の全充実を期すべきである
② 人間は片手間仕事をしてはならぬ。やるからには生命を打込んでやらねばならぬ。
③ 人間の修養は一つずつである。 その時その時、自分の為すべきことを正確に行うことである
④ すべて一芸一能に身を入れるものは、その道に浸り切らねばならぬ
⑤ その人の教養の無さと硬化とは正比例する
⑥ 人は自己に与えられた世界において、常に一天地を拓かねばならぬ
⑦ 真に卓れた師は、容易に弟子をほめないものである
⑧ 世には、 10年一筋の一道を歩む人は少ない。
ましてや20年、30年、 一筋の道を歩き通す人は稀である。
おそらく100人中、 2、 3人しかあるまい。
いわんや、50年一道を歩むに至っては、 1000人中2、3人が危うかろう。
しかしそれには、さし当たり10年一道を歩む。さすれば一応の土台はできる。
99人が川の向こう岸で騒いでいても、 自分一人は志した道を歩くだけの覚悟がなくてはならぬ
⑨ 人間の偉さは、 その人の苦しみと正比例する。 世の中は正直そのものである。
その時代における最高の人物は、最大の内面的苦行をした人である。
つまり天はその人の苦労に等しいだけの価値を与え給うのである
どの言葉も人間の真実を言い得ています。
森先生は、明治二十九年愛知県のお生まれで、祖父は第一回国会議員であり、愛知県会議長を四期十六年も務めた地方の名士でありました。
しかし森先生は、生まれた翌年に母が不縁となって、小作農の森家の養子となりました。
養父母は、とても律儀で実直な人だったようであります。
小学校を主席で卒業されましたが、家庭の事情で中学受験を断念せざるを得ず、母校の給仕となりました。
用務員のお仕事をなさったのでした。
下坐行でありますが、その頃、中学校に進学した仲間と道ですれ違う時に、森先生は電信柱の影に隠れたという逸話を藤尾社長が紹介されていました。
そんな不遇な時代があったのでした。
しかし、そんな時に町の有志者たちが岡田虎二郎先生を招いて静坐会を催し、森先生は給仕の身ですので参加できなかったのですが、その岡田先生のお姿に接して、静坐の大切さを感得されたのでした。
そこから腰骨を立てることの大切さを学ばれたのでした。
逆境にあっても学ぶことがあるのです。
十七歳で愛知第一師範に入学して二十一歳で卒業、二十三歳で広島高等師範へ行き、二十七歳で卒業され、二十八歳で京都大学哲学科に入学し、卒業後は大学院で五年学び主席で卒業されています。
昭和十二年大阪の天王寺師範学校で、倫理・哲学を担当し、修身も受け持つことになりました。
検定教科書は使わずに、自分で選んだテーマで口述し、生徒に筆録させたのでした。
口述は最も筆録の遅い生徒に合わせたといいます。
そうして出来たのが『修身教授録』なのであります。
森先生四十歳前後の講義録なのです。
昭和二十八年五十六歳で神戸大学の教授に就任されています。
その頃の講義の様子を『森信三小伝』には、
「「石も叫ばん」という時代ですよ。
いつまで甘え心を捨てえないのですか。
この二度とない人生を、いったいどのように生きようというのですか。
教師を志すほどの者が、自分一箇の人生観、世界観を持たなくてどうするのです。
眼は広く世界史の流れをとらえながら、しかも足もとの紙屑を拾うという実践をおろそかにしてはなりませんぞ。
教育とは、流れる水に文字を書くようなはかない仕事なのです。
しかし、それをあたかも岩壁にのみで刻みつけるほどの真剣さで取り組まねばならないのです。
教師がおのれ自身、あかあかと生命の火を燃やさずして、どうして生徒の心に点火できますか。
教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事なのです。
民族の文化と魂を受け継ぎ、伝えていく大事業なのです……
火を吐くような激しい口調、気魄のこもったりんりんたる声、その眼は深く光をたたえて澄み切り、腰骨はすっきり立っています。」
と寺田一清先生が書かれています。
また神戸大学を退官するに際して語ったという、
「自分の専門は何かと尋ねられると、生き方の探求であって、学問はその媒介に過ぎません。
したがって、いわゆるアカデミズムともジャーナリズムとも、全く無縁の道を歩んできました。
つまり学問が人生の第一義ではなくて、生きることが第一義である。」
の言葉は森先生の生き方をよく表しています。
そんな森先生の哲学を藤尾社長が熱く語ってくださいました。
深い感銘を受けて二日間の研修を終えて寺に帰って、その熱の冷めぬうちに早速、修行僧達と共に『修身教授録』の読書会を行ったのでありました。
横田南嶺