宗教の功罪 – 其の五 –
ある方から、「管長は、福山、岡山、京都と各地を積極的に講演にまわっている」と言われたことがありますが、決して積極的ではありません。
どうしてもお断りできないところを、やむなく消極的に出掛けているのであります。
福山の講演も岡山の講演も、そもそも令和二年に行われる予定だったものなのであります。
滋賀県の彦根の講演は、何度か「虹天」という冊子の紹介をしたことがありますが、その「虹天塾」を主催されている北村遙明先生の御依頼で引き受けたものでありました。
北村先生というのは、滋賀県の高校教師でいらっしゃいます。
毎月いろんな講師を招いて、勉強会を催されて、その講演内容を「虹天」という冊子にまとめて、多くの方に配っておられるのであります。
私ももう何年か前からお送りいただいて、毎月勉強させてもらっています。
しかも毎月かならず手書きのお便りを同封してくださっているのであります。
そうしますと、私も毎月お送りいただいて、それに対してお礼と感想を送っていました。
そんな毎月のやりとりが何年も続いていたのでした。
そういう熱心な先生からの講演の御依頼なので、受けないわけにはまいりません。
毎月の虹天塾とは異なり、夏は合同学習会ということで、土曜日の午後に開催されました。
私の他に講師の方がもう一名いらっしゃいます。
高校の体育教師である岡本武司先生でした。
岡本先生は、私より二つ年上のラグビーをなさっている先生であります。
いかにもラガーマンというにふさわしい堂堂たる体格でいらっしゃいます。
その先生がラグビーの話をするのかと思うと違っていて、なんと鉛筆画セミナーというものだったのです。
鉛筆画というのがどういうものなのか、絵心のない私にも画けるのか、興味を持ちましたので、早く現場にいって私もその第一講のセミナーを受講したのでした。
九十分があっという間の素晴らしいセミナーでした。
さすがに学校の先生ですので、教えることがとてもお上手で、ひとつひとつ教えられたことをその通りに行ううちに、簡単な鉛筆画が描けるようになっていったのです。
それから、感心しましたので、先生は何度か課題を出されるのですが、そのたび毎に、会場をまわって一人一人の絵をご覧になって声をかけてくれているのであります。
だいたい褒め言葉なのです。
私などは絵など全く下手なのですが、「南嶺先生やさしい絵ですね」などと褒めてくださるので、調子に乗って描くことができるのでした。
教わって一番感激したのが、鉛筆で影を描くことなのです。
輪郭や光は描かずに、影だけを描いていくと、それで光が現れ、輪郭もはっきり現れるのです。
影があるということは、光があることでもあります。
鉛筆で影を濃淡をつけて描くだけで、立体的に浮き上がって見えるのであります。
セミナーの最後には、各自のイニシャルを描いたのでした。
さて、この影を描くことで光が現れるというのは深い意味があります。
宗教の功罪についても、同じなのであります。
宗教の功罪シリーズも5回目になってしまい、またかと思われるかもしれませんが、この鉛筆画セミナーを受講してもう一度書こうと思ったのでした。
功罪の罪の部分、影の部分を学んでこそ、宗教の本当の意味がはっきりすると思ったのであります。
ちょうど彦根に赴く道中で、鵜飼秀徳先生の『仏教の大東亜戦争』という本を読んでいました。
今年の七月二十日の発行されたものであります。
この本のはじめにというところで、鵜飼先生は、ご自身のお寺の本堂に、太平洋戦争当時の「開戦詔書」が掲げられているのをお若いころに見つけたという話が書かれています。
鵜飼先生のおじいさまは、そのお寺の先々代のご住職でもありました。
志願兵であり、「開戦詔書」を本堂に掲げていたことからも「軍国青年」であったことは間違いないと書かれています。
鵜飼先生は、
「不殺生(生き物を殺してはならない)を戒とし、慈悲や寛容を説く立場の仏教者が、侵略戦争に加担していたとはどういうことか。
私は、この矛盾を前に、頭が混乱した」と率直に書かれています。
お寺の梵鐘が、戦時中の金属供出のために回収されたことはよく知られています。
円覚寺の梵鐘のように、国宝は供出を免れましたが、多くの寺院は鐘を供出したのでした。
私も本書で初めて知ったのですが、四天王寺には、高さ八メートルの世界一の梵鐘があったのだそうです。
これは明治の末期に国家プロジェクトとして鋳造されたそうです。
しかし完成したものの、戦時体制に入ると真っ先に供出の対象となったそうのです、
鵜飼先生は、
「超巨大な金属の塊だったからこそ、それを兵器に転用させることを社会に見せつけ、国威発揚につなげる目的があったと考えられる」と書かれています。
それのみならず、日中戦争の勃発以降、仏教教団が軍用機を軍部に献納しているという事実もあるのです。
鵜飼先生は、日本の仏教は、明治維新のはじめに廃仏毀釈という大きな打撃を受けたことから話を始められています。
仏教教団が解体的出直しを迫られて、そこから新たに仏教と国家の関係が構築されたというのです。
その過程を島地黙雷などを例にしながら丁寧に検証してくださっています。
「仏教界が生存をかけて、いかに国家にすり寄り、植民地政策や戦争に加担し、自らを正当化していったのか」その課程を説かれています。
西洋の宗教のように教団内や教団通しで争う宗教戦争は、仏教にはあまり無かったのですが、こういう負の一面があるのです。
こういうマイナスをしっかり見つめてこそ、宗教のあるべき姿も浮かび上がります。
やはり、ブッダが
「 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」(『法句経』一二九)
「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」(『法句経』一三〇)と説かれたことを忘れてはなりません。
横田南嶺