宗教の功罪 – 其の四 –
宗教戦争とは何かというと、『広辞苑』には、
「宗教上の衝突に起因する戦争。
特にヨーロッパにおいて宗教改革後、カトリックとプロテスタントの間に行われ、政治的・経済的利害ともからんだ激しい戦争。
ユグノー戦争・三十年戦争など。」
と解説されています。
ユグノーというのは、
「16~18世紀フランスのカルヴァン派の通称。
政府の弾圧やカトリックとの衝突の結果、ユグノー(宗教)戦争(1562~98年、前後8回)をひき起こした。
1598年アンリ4世のナントの勅令で信仰の自由が認められたが、1685年ルイ14世がこれを撤回したので多数がドイツなどに亡命、1789年の革命によってカトリックとの同権を獲得した」
と『広辞苑』には解説されています。
「三十年戦争」というのは、
「1618~48年の30年間に、ドイツを舞台に行われた戦争。
ハプスブルク・ブルボン両家の国際的敵対とドイツのプロテスタント・カトリック諸侯間の反目を背景に、皇帝のカトリック化政策を起因としてボヘミアに勃発。
プロテスタント国デンマーク・スウェーデン、のちカトリック国フランスも参戦、ウェストファリア条約によって終了。
スイス・オランダの独立、皇帝権の失墜、ドイツ国土の荒廃・国内分裂などをもたらした。」
と書かれています。
東洋にも宗教戦争がないわけではありません。
この場合は、宗教間の戦争ではなく、政治と宗教の争いであります。
白蓮教徒の乱というのが、中国の清代にございました。
そもそも白蓮教というのは、『仏教辞典』によると、
「中国、南宋の慈照子元(じしょうしげん)(?-1166)によって興された、浄土信仰に立つ民衆仏教。
<白蓮菜><白蓮宗><蓮宗>ともいう。
東晋代に廬山(ろざん)の慧遠(えおん)が結んだ念仏の結社、白蓮社を慕って始められたもので、五戒の実践(たとえば、殺生戒にもとづく酒肉の禁止など)が厳しく求められた。」ものです。
それが清の時代に反乱を起こしてやがて弾圧されるのであります。
日本でも、僧兵というのがありましたように、比叡山などが武力を持つようになってしまい、やがて織田信長によって焼き討ちに遭ってしまいました。
焼き討ちの原因もいろいろあったのであろうと思います。
また織田信長と石山本願寺の戦いもよく知られています。
元亀元年(1570年)から天正8年(1580年)にかけて行われたものです。
これもどちらが悪いということは難しいのですが、本願寺が武装勢力となっていたのでありました。
同じ宗教の中で争う場合と、政治と宗教の戦いという相違があって、いろいろの場合があるものです。
ですから一概に論じることは難しいのでありますが、宗教が関わる戦争であることには違いありません。
戦ってもつらぬく信仰というのは、尊いものだと称賛されるのかもしれませんが、私は、坂村真民先生が、詠われたように、「信仰が 争いの種となる そんな信仰なら 捨てた方がいい」という言葉が胸に響きます。
かつて紹介したことがありますが、禅の歴史を学ぶと、禅の栄えた唐の時代には、武宗皇帝による仏教の大弾圧がありました。
会昌の破仏です。
会昌四年西暦八四四年のことでした。
当時の仏教界が壊滅的な打撃を蒙ったのでした。
潙山霊祐(八五三没)禅師などは、還俗を求められると、事もなげに俗人の帽子と衣服を身に着けて平然としていました。
巌頭禅師は、湖で一介の渡し守となっていたと言われます。
こういう禅僧の姿にこころ惹かれます。
また『碧巌録』には、破竃堕和尚の話がございます。
岩波書店の『現代語訳 碧巌録』から訳文を引用します。
「嵩山の破竈堕和尚は、姓でも字でも呼ばれず、言行は伺い知れぬ。
嵩山に隠居し、ある日弟子たちを率いて山の村落に入ってゆくと、霊験あらたかな廟があった。
建物の中には一つの竈が安置され、遠近の者の祭祀が絶えることはなく、生き物の命を(供え物のために)煮て殺すこと甚だ多かった。
師は廟の中に入ると、杖で竃を三回叩いて言った、「こらっ。お前は元々煉瓦や粘土が合わさってできたものなのに、霊妙なはたらきがどこから生じ、聖なるはたらきがどこから出てきたとて、かように生き物を煮殺すのだ」。
又三回打つと、竈は自ずと傾き崩れ、壊れてしまった。
しばらくして一人の青い服を着て高い冠をかぶった者が急に師の前に現れて、お辞儀をして言った、「私は竈神です。
久しく、(自分の作った)業の報いを受けていましたが、今日先生に生も(死も)無い法を説いて頂き、ここを脱却して天上界に生まれました。
そこでこうしてお礼を述べにやって来たのです」。
師は言った、「お前が元々もっていた本性であって、わしがむりに言ったものではない」。
神は今一度拝して消えた。」
というのであります。
竃を拝むのも宗教といえば宗教なのかもしれません。
しかし、生きものの命を奪ってまでお祀りすることはないというのです。
宗教は、この弱い人間に大きな力を与えてきた素晴らしい一面があることはたしかであります。
しかしながら、信仰のために争いの種になった歴史の事実もあります。
功罪をよく学ぶことが大切であります。
よく学んだ上で、自らの信仰を持つことであります。
私はやはり、争わず、ものの命を損なわい、禅僧たちの生き方に心が惹かれるのであります。
横田南嶺