至福のひととき
よそで泊まる時には、一泊のみにしていますが、珍しく二泊することになりました。
岡山から京都への移動で、まっすぐに行くと少し時間が早すぎることになり、これまた珍しく寄り道をしました。
いつも講演の会場に行って、そのまままっすぐ帰っているのですが、途中の時間が空いたのでした。
そこでどうしようと思って、神戸で降りて須磨寺にお参りしてきました。
須磨寺の小池陽人さんとは、円覚寺でのYouTube対談以来、懇意にさせてもらっています。
須磨寺に行って先方のYouTubeに出たこともありました。
ですから一度お参りしているのですが、その時は、大学の講義を終えて、夕刻に須磨寺について、ざっと拝観してすぐ対談に臨み、終わると真っ暗になっていたのでした。
いつも小池さんのYouTubeを楽しみに拝見していて、特に須磨寺散歩というのは、なんとも微笑ましく楽しいのであります。
真鍋さんとの掛け合いも絶妙で飽きることがありません。
須磨寺散歩というのは須磨寺の商店街を訪ねて紹介しているものです。
いつも動画で拝見している須磨寺商店街を歩いてみたいと思って、ぶらりと訪ねたのでした。
時間があるといってもその日の午後から花園大学で所用があるので、午前中のみ空いていたのでした。
須磨寺駅で降りて、ぶらぶらと商店街を歩きました。
そして静かに須磨寺にお参りしました。
小池さんはお忙しい方ですので、そっとお参りして帰ろうと思っていました。
突然訪ねては迷惑になります。
源平の庭の前に腰かけて、置いてあったパンフレットを拝読していました。
そのなかから一部を引用します。
「源平合戦と須磨寺」という文章でした。
「須磨寺の名前が全国的に知られるようになった大きな要因は、源平一の谷合戦の舞台になったことであります。」というのです。
「海側に陣を構えた平家に対し、山が海にせまった地形を利用し、義経は山から崖を馬で駆け下り逆落としの奇襲をかけます。
不意を突かれた平家は、海へと逃げることしかできず、源氏の歴史的な勝利となりました。」
ということはよく知られています。
「その戦の時、源氏の武将で熊谷直実という男がいました。」
「一の谷合戦で直実が浜に着いた時、ほとんどの平氏は海に逃れた後でした。
その中でただ一騎、波打ち際で逃げ遅れた立派な鎧を着た平家の武者を見つけます。
そこで、直実は扇をかかげ「敵に後ろを見せるは卑怯なり。返せ返せ」と呼びかけます。
するとその武者は振り返り、直実に一騎打ちを挑みます。
しかし、あえなく倒され、直実が首を取ろうと兜を取ると、なんと直実の息子と同じ、年の頃十六、七歳と見える紅顔の美少年でした。」
というように、この少年が平敦盛だったのでした。
直実は「自分の息子小次郎が少し怪我を負っただけでも心辛かったのに、この若武者が討たれたことを、この方の父上が聞かれたならどれだけ嘆かれるだろうかと思いを巡らせました」のですが、やむなく討ち取ったのでした。
そんなパンフレットを読んで、はるか昔に思いを馳せていると、お寺の奥の方から太鼓の音が聞こえてきました。
須磨寺は真言宗のお寺ですので、祈祷でも始まっているのかと思って、太鼓の音に引かれて護摩堂の方に行きました。
すると、私の僧侶の姿が目立ったのか、須磨寺の方に声をかけられました。
「円覚寺の横田管長では」と問われて、隠すわけにもゆかずその通りですと申し上げました。
そうしましたら、その方が、ただいま祈祷の導師を小池陽人が務めていますということ、護摩祈祷の後に法話があることを教えてくださいました。
これはありがたいと思って、お堂の外で祈祷の読経を拝聴していました。
コロナ対策の為に堂内に入る人数を制限しているのでした。
祈祷の最後に参列の方が、お堂の内陣にお参りできると聞いて、わたくしもどうぞと言われましたので、最後尾に並んで内陣にお参りさせてもらいました。
すると導師の前に行きますので、小池さんと目が合ってしまいました。
その時の小池さんの驚いたお顔はいまも覚えています。
それは驚くことでありましょう、突然わたくしが目の前にいるのですから。
法話を拝聴しようと思ってこれも最後列に立っていたのですが、法話の始まりに小池さんに紹介されて、一言をしゃべるように言われてしまいました。
そこで正直に
「実は須磨寺散歩をしていました。そしたら太鼓の音が聞こえてきて、その音につられてこちらにまいった次第であります。」
とだけ申し上げました。
小池陽人さんの法話をお聴きになっている皆様の中には、わたくしのYouTubeを聞いてくださっている方も多くいらっしゃるようでした。
突然わたくしが現われたものですから、多くの方が喜んでくださいました。
そうして小池さんのすぐおそばで法話を拝聴させてもらいました。
護摩祈祷が一時間もかけて行われたあとでありますし、暑い中を炎の前で祈祷されて全身汗だく、きっとお疲れなのだろうと思いながらも明るく楽しく、そして深い話をしてくださっていました。
森口智聡さんという方のことを紹介されていました。
その森口さんという方は、十年以上にわたって、須磨海岸のごみ拾いの活動を続けておられるのだそうです。
NPO法人を立ち上げて、海開き中、海岸に、ごみステーションを設置し、来場者にごみの分別の呼びかけや、地元の漁師の方たちと協力しながら、ビーチクリーンを毎月一回、今までに合計二百回以上続けてこられたというのです。
その森口さんが「楽しくなければ続かない」と言っていたことに小池さんは心打たれたというのです。
そこから、『論語』の、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」 という言葉を紹介して、
その意味を分かりやすく「物事を理解し知っている者は、それを好んでいる人には及ばない。物事を好んでいる人は、それを心から楽しんでいる者には及ばない。というような意味になるかと思います」と語ってくれていました。
そうしてご自身の学生時代のこと、修行時代の体験を話されて、最後には楽しみから遊ぶという遊戯三昧のことにつなげて話をされました。
弘法大師様の著作「吽字義」という聖典のことを話してくださり、更に「お地蔵様のご真言の「オンカカカビサンマエイソワカ」の「カカカ」が」笑い声に当たることを教えてくださいました。
最後に梅原猛先生の
「自ら生きることは楽しい。
他人を利することもまた楽しい。」
という言葉を紹介して
「ゴミ拾いから、自利利他を実践されている森口さんを見習って、私自身も「好む」「楽しむ」から「遊び」の境地を目指していきたいと思います。」
と法話を終えられました。
このように書くことができるのは、小池さんはこの法話の原稿をみんなに配ってくださるからでした。
なんとも親切な心遣いであります。
ぶらりと訪れた須磨寺で思わず小池陽人さんにお目にかかり、ご祈祷にあずかり、その法話までは拝聴できて至福のひとときでありました。
横田南嶺