蚊に刺されないには
円覚寺なども夏には大きな蚊がたくさん出てくるものです。
はじめて修行道場に来た者にとっては、夏の蚊というのは嫌なものであります。
それにどういうわけか円覚寺の蚊というのは大きいのであります。
坐禅中というのは、蚊にとっては絶好の機会なのであります。
なにせ叩かれる心配がないので、心ゆくまで人間の血を吸うことができるのであります。
蚊に刺されないにはどうしたらよいのかと、よく新しく入って修行僧に質問してみます。
今の人でしたら、虫除けスプレーを使うとかいろいろ考えるでしょう。
蚊取り線香などいうのもあります。
寺は広いし、夏は窓も開けておきますので、少々蚊取り線香を焚いたからといって蚊に刺されないようにはなりません。
蚊に刺されるところを覆うように服を着るという手もあるでしょうが、夏の暑い時期ですので無理であります。
蚊に刺されない実例として釈宗演老師の話をするのであります。
毎年話をしていますので、三年修行道場にいる者は三回聞くことになります。
こういう毎年聞く話というのもいいもので、聞く度ごとに受け止める側が変わってくるものです。
私ももう何十回と話をしていますが、何回話をしても飽きることがないのであります。
釈宗演老師の話であります。
宗演老師は、安政六年福井県高浜のお生まれでありました。
十二歳で妙心寺の越渓老師のお弟子になりました。
十五歳で建仁寺の両足院で修行し、更に四国の大法寺、三井寺などで修行をして、明治十一年二十歳の時に円覚寺に来て今北洪川老師について修行を始めました。
俊発怜悧な宗演老師は、明治十六年には二十五歳で印可証明を受けられました。
禅の修行を一通り完成されたのでした。
明くる年には横浜永田の宝林寺で提唱を始めています。
しかし宗演老師は伝統的な修行を終えただけでは飽き足らずに明治十八年二十七歳で慶應義塾に入って学問をなされました。
そこで、福沢諭吉ともご縁ができました。
塾を終えたあと、明治二十年二十九歳でセイロンに行って更に仏教の原典を学ぼうとされたのでした。
当時としては実にいのちをかけた修行であります。
二年ほどセイロンに滞在して明治二十二年に日本に帰ってきます。
そして明治二十五年には洪川老師がお亡くなりになって宗演老師が円覚寺の管長に就任されました。
その明くる年にシカゴの万国宗教会議に出席されたのでした。
そして禅が世界へと広まってゆくおおもとを築かれたのでした。
さてその宗演老師が、セイロンに行って仏教の原典を学んで、その帰りにタイの国に寄って戒律を受けようとされています。
南方仏教の正式な戒を受けようとされたのでした。
残念ながら、タイ国での願いはかなえられなかったのですが、そのタイに行く船で、ご自身の前半生の修行の力を試す体験をされたのでした。
それは、すでに旅費も尽きかけて、船に乗っても甲板の上で過ごすという有様でした。
デッキパッセンジャーとなったと『宗演禅話』には、書かれています。
一日にわずかのパンと水ももらえないこともしばしばあったというのです。
蒸し熱くて、飢えと渇きで死に瀕していたというほどでありました。
かくして船は、バンコクのメナム河の河口で低潮の為にとどまりました。
夕暮れから、気圧が低く、雨が降り出しそうで降らず、蒸し熱くてどうしようもない状態でした。
そこに、無数の蚊の大軍が襲ってきました。
船室に入れない宗演老師は、甲板の上で、逃れようもありません。
手で追えば、足に蚊が群がり、足を払えば、手に群がるといった有様でした。
船の上ですし逃れようもありません。
どうにもならなくなって、宗演老師は、古人の修行を思いました。
思えばお釈迦様は前世において、飢えた虎にわが身を施して食べさせたり、子をはらんだ母鹿のためにわが身を犠牲にされたりしています。
二祖慧可大師は自分の腕を断ちきって修行されました。
処刑される前に命がけで書物を著した方もいました。
みんなわが身のことなどかえりみずに修行されたのだということを思ったのでした。
そこで宗演老師は決意しました。
よし、この蚊の群れに、自分の血を施してあげようと。
今まで、自分は幼少から出家して親に対して何の孝行も出来なかったことを思いました。
多少修行したつもりでいたが、蚊の大軍に襲われて心を乱してしまうとは、いったいどういうことかと反省して、こんなことなら、いっそ、蚊のお腹がいっぱいになるまで血を吸わせて施してあげようと思ったのでした。
そのように意を決して、甲板の上で素っ裸になって、坐禅をしました。
もちろん蚊の大軍は容赦なく襲ってきます。
坐っていると、段々蚊と自分と相和してひとつになってゆきました。
暑さも渇きも飢えも感じなくなりました。
なんとも言えぬ心地好い心境になってゆきました。
静まりかえった海の面にあらゆるものが映し出されるような心境になっていったのでした。
これを海印三昧と申します。
そんな折に、雷が一声鳴り響き、にわか雨が勢いよく降ってきました。
頭から滝のように水が流れました。
ふと我に返って坐禅からさめて当たりを見ると、真っ赤なグミの実がまわりにたくさん落ちているではありませんか。
どういうわけかと思って、よく見ると、それはグミではなく、血をお腹いっぱいに吸って死んだ蚊の群れだったのです。
このように、甲板の上で、蒸し熱い中、飢えと渇きとそれに蚊の大軍に襲われて逃げ場もない中で、
「よし、蚊に血を施してあげよう」と意を決して坐禅して、深い心境に達することができたのでした。
宗演老師のその時の姿は、外から見れば船の甲板の上で飢えと渇きに苦しむ青年が蚊の群れに血を吸われているようにしか見えないかもしれません。
しかし、違うのです。
蚊に刺されているのではなく、宗演老師は蚊に施しをしているのであります。
同じ状況に見えてもその心持ちで全然異なるのであります。
蚊に刺されないようにするには、蚊に血を施してあげることですというのが答えなのです。
しかし、一般の方にはお薦めできません。
私などこんな話を毎年聞かせてもらって修行してきて、今も毎年話をしてきています。
おかげで蚊に刺されても平気にはなったものです。
あまり自慢にもなりません。
しかし、逆境から逃げずに、むしろその中で坐禅三昧になるという生き方もあるのであります。
横田南嶺