生きている人よりも死者の方が多い
いろんな人が引用する話であります。
先日も細川晋輔さんと小池陽人さんとのラジオの般若心経で、この話をなさっていました。
キサー・ゴータミーという母親がいました。
大事な一人息子がまだ幼いうちに亡くなってしまいました。
悲しみに打ちひしがれてその母親は、息子を生き返らせてくれる薬を求めてお釈迦さまのもとを尋ねます。
お釈迦さまは、母親に、芥子の実をもらってきなさいと言います。ただし、一人も死人が出たことのない家からもらってくるようにと言ったのです。
町中の家々を尋ねたキサー・ゴータミーは、ようやく気がつきました。
「今まで、自分の子供だけが死んだのだと思っていたけれども、どこの家も皆大切な人を亡くしていたのだ」と。
そうして我が子の死を受け止めてゆくという話です。
大事な子を亡くして悲しみにくれる母に、すぐに諸行無常だと説いてもそのまま受け止めることが出来がたいでしょう。
そこで、芥子の実を探すことで、死を受け入れいる時間を与えたのだと話をされていました。
この話の一番のもとはどこにあるのかと思って調べてみると、『法句経』の註釈にあるようです。
春秋社の『仏の真理のことば註(二)ーダンマパダ・アッタカターー』にありました。
『法句経』の114番の詩を解説した話にあるのです。
もとにある話はずいぶんと長いものなのです。
春秋社の本をもとに概略を記します。
すべては長いので前半を省略します。
キサー・ゴータミーは、男の子を生みました。
その子はよちよち歩きの時に死んでしまいました。
彼女は思いがけない死であったので、その子を火葬にすべく運んで行く時、それを拒んで、
「私の息子が生きかえる薬を私は尋ねましょう」と、死体を胸にだいて、
「もしかして私の息子が生きかえる薬を知っていませんか」
と尋ねつつ家を順々にめぐって行きました。
すると人々は彼女に、
「あなたは気の狂った女になりました。死んだ息子が生きかえる薬を質ねてめぐり歩くとは」
と言いました。
彼女は、
「必ず私の息子が生きかえる薬を知っている人を私は得るでしょう」と言います。
さて、一人の賢者が彼女を見て、
「私は、お子さんを生きかえらせる薬を知りません。しかし私はその薬を知っている人を知っています」と言いました。
「誰が知っているのですか」
「お釈迦さまが、それを知っています。行ってその方に質ねなさい」と。
彼女は、「私は行きましょう。そして薬について質ねましょう」と言って、お釈迦さまのところに近づいて行って、礼拝して質ねました。
「聞くところでは、あなた様は私の息子が生きかえる薬を御存知である、とのことですが、尊師さま」
「はい。私は知っていますよ」
「何を得ればよいのですか」
「ひとつまみほどの白からしを得るがよろしい」
「私はそれを手に入れましょう。尊師さま。でも、どなたの家で得たらよろしいですか」
「誰でもその人の家で、息子でも、誰もこれまでに死んでいない家で得なさい」と言ったのでした。
彼女は「わかりました」とお釈迦さまを礼拝して、死んだ子を胸にだいて、村の中に入り、最初の家の戸口に立って、
「この家に白からしがありますか。聞くところでは、これが私の息子のお薬である、とのことです」と言うと、
「ありますよ」と言われて、
「では、下さいな」
と言いました。
彼等がもって来て白からしが与えられる時、
「この家の息子さんか娘さんで誰か以前にお亡くなりになった方はいませんか」と尋ねて、
「何をおっしゃいますか。あなた。生きている者たちは実に少ないのです 。死者の方こそ多いのです」と言われて、「それでは白からしは私の息子の薬ではありません」
と返しました。
このようなやり方で最初からずっと尋ねてめぐり歩いた結果、例外なく全ての人々に死がおとずれることを覚るのです。
彼女は一軒の家ですらも白からしを得ないで、夕刻に考えました。
「ああ、大変なことだ。
私は「私の息子だけが死んだ」と思っていた。けれども実に全村で生きている人々よりももう死者の方がもっと多いのだと気づきました。
そしてお釈迦さまのもとに行き礼拝して一方に立った。
するとお釈迦さまは彼女に、
「あなたはひとつまみほどの白けしの粒を得たかね」とおっしゃった。
「得ませんでした。尊師さま。なぜなら、全村で生きている人々にくらべて死者たちの方がもうずっと多いからです」と。
するとお釈迦さまは彼女に、
「あなたは「私の息子だけが死んだ」と思っていた。
これは有情たちが常恒だという考え方だ。
しかし実に死王は思うところがまだ満たされない全ての有情たちをそのまま、大暴流がまさに運び去るように苦界の海に投げ入れるのだ」
と述べて、法を示しつつ、この偈を調えられた。
「子や家畜が確実にあるものだと思い、心に執著するその人を、眠った村を大暴流が流し去るように、死神が連れて行く」(『法句経』287)と。
偈が終わった時、キサー・ゴータミーは預流果という悟りを得ました。
そして彼女はお釈迦さまに出家を乞い、お釈迦さまは彼女を出家させました。
彼女は具足戒を得て、「キサー・ゴータミー上座尼」と知られました。
彼女は或る日、布薩堂で灯火をともす当番になって、灯明を燃やして坐っていました。
そして灯明の焔が消えかけるのを、またおこるのを見て、
「まことにこのようにこれらの有情たちは生起し、また同時に滅する。
寂滅(涅槃)を得た人々のみが存在を認められないのだ」
と、悟りました。
お釈迦さまは香室に坐ったまま光線を放って、彼女の面前に坐って語りました。
「まさにそのように、ゴータミーよ。
これらの有情たちは灯明の焔のように生じてはまた滅する。
寂滅(涅槃)を得た者たちだけがその存在を知られない(輪廻の流れの中には見あたらない)。
まさにこのように、寂滅(涅槃)を見ないで一〇〇年間生きるよりも、寂滅(涅槃)を見る人がたとえ刹那だけでも生きる方がより勝れているのだよ」
とおっしゃって、結論に結びつけて法を示しつつ、この偈を誦えられた。
「また誰でも、不死甘露の境地を見ないで一〇〇年生きようとも、不死甘露の境地を見る人の一日の生命の方がより勝れているのだ」(『法句経』114)と。
という長い話なのです。
人は必ず死を迎えるということ、そして、すべては生じては消え去ることが真理であることを説いているのであります。
この真理に目覚めて生きることが尊いという教えなのであります。
横田南嶺