ひとしずく – 今何ができるか –
以前にも紹介したもので、これは南アメリカの先住民に伝わる話だそうです。
今一度引用して紹介します。
森が燃えていました。
森の生きものたちは
われ先にと
逃げて
いきました。
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちは
「そんなことをして
いったい何になるんだ」
といって笑います。
クリキンディは
こう答えました
「私は私にできることをしているだけ」
という話であります。
その話を聞いて、仏典にもある話と同じだと思ったのでした。
森が火事になりました。
動物たちも火を消そうとしましたけれども、火の勢いが強くてもはやあきらめました。
しかし、一羽のオウムが何度も谷川に行き、水で体を濡らし、山の火事にその体の水をかけました。
その水といってもほんの2~3滴しか落ちませんでした。
動物たちが「そんな水で火は消せない」といっても、せっせと水を運び続けたという話です。
燃えている森というのは、この地球のことです。
今の地球温暖化を引き起こしているのは、私たちひとりひとりの行動によっているというのです。
そこで、ハチドリのひとしずくとして出来ることをこの本ではあげてくれています。
冷房を一度あげる、暖房を一度さげる、冷蔵庫の設定温度を冬場は強を中にする、冷蔵庫のモノをつめすぎない、テレビをみる時間を一日三時間減らす、ジャーの保温をやめるなどなどであります。
そして本には、いろんな分野の方が提言を寄せています。
C.W.ニコルさんも書かれていました。
「大切な自然を守れるかどうかは、
自分の住む家の軒先をツバメに貸すという、
ちょっとしたやさしい
心づかいにかかっている。」
というのです。
ニコルさんは、
「私がはじめて来た頃の美しい日本は、ツバメを大事にする人々の国でした。家々の軒先はもちろん、家の中にまでツバメがたくさん巣を作って、まるで家族や友だちのように一緒に暮らしていた。
害虫をたくさん食べてくれるツバメは、豊作をもたらす縁起のいい鳥。
人々はツバメが雨を運び、夏を運ぶものだと信じていたんです」
ところが、今の日本人はかつての友人であるツバメを邪魔者にして、不潔だといっては追い払おうとする。
それは、経済成長のために美しい山河を壊して平気でいられる日本人の姿に重なる。」
と書かれていました。
考えさせられる話であります。
それからジュディ・アロージョというコスタリカの民宿経営者の方の言葉にも注目しました。
ナマケモノを抱いている写真が載っています。
「ナマケモノは必要以上のものを求めない。
自分にとって大切なことを、
じっくりゆっくりやっている。
平和って、きっとそういうことね。」
という言葉がありました。
民宿を経営するジュディさん夫妻は、民宿の周囲に私営の自然保護区を作られたそうなのです。
90年代になると、そこに森にひっそりと棲んでいるはずの動物ナマケモノが次から次へと運び込まれるようになり、気がついたら、世界ではじめて、そして唯一の「ナマケモノ救護センター」ができていたというのです。
「ナマケモノの受難について考えることを通して、周囲の生態系の破壊が、さらに地球全体の環境破壊が次第にはっきりと見えるようになった」とジュディさんは語っています。
そして、本には次のように書かれています。引用します。
「ジュディがナマケモノに学んだことは多い。
彼らの暮らしに、循環、共生、省エネ、非暴力、平和といった人間の理想がそっくり実現しているようにも思える。
高温多湿の熱帯雨林で、わざわざ排泄のために危険を冒して木から降りるのは栄養分を確実に根元に届けるため。
動きが遅いのは筋肉が少ないため。
またそれは省エネと、天敵の少ない樹上で小枝にもぶらさがれる軽量を保つため。
ブラジルに「ナマケモノが空を支えている」と信じる先住民がいるそうだ。ジュディにもそれが信じられるようになった。」
と書かれています。
そんなナマケモノの話を読んで、私の『いろはにほへと』という本にもナマケモノのことを書いたことを思い出しました。
こちらも、『いろはにほへと』から引用します。
「ナマケモノ的生き方」という題であります。
「ナマケモノという動物がいます。
人間が勝手に「怠け者」という名前をつけましたが、ナマケモノにしてみれば怠けているつもりはさらさらないと思います。
世の中をみる、人間をみる、社会をみる、仏法の世界を学んでいく場合に大切なことは、一つの価値観に執着せずに、いろんなものの見方、いろいろな価値観、尺度を持っていることであります。
生存競争、弱肉強食、自然淘汰などのそういう価値観からではこのナマケモノという生き物は推し量ることができません。
ナマケモノは実に不思議な生き物で、何をしているかというと、別段何をしているわけでもありません。
一日に二十時間以上寝ていて、起きて何をするのかというと同じ木の葉っぱをほんの二、三枚食べるだけで、あとは木にぶら下がってじっとしている。
それでは、生存競争の激しいジャングルで、あのナマケモノがどうして生きているのでしょうか? 当然何もしないでぼやっとしていれば獲って食われるのが森の世界であります。
食べてもまずい、ろくに動かないから肉がついていないなど諸説ありますが、一つの真理として「争わないものは攻められない」。「戦わないものは攻められることはない」
「戦わない! 争わない! という生き方をあのナマケモノが選んだのでしょう。
われわれ人間というものはいろんな文明・文化を生み出し、なんだか偉そうにして、そういう価値観で「あんなナマケモノは全くの役立たずだ」と見ていますが、時には長い長い大きな目で見れば、われわれ人間のものの見方がいかに狭く小さいかがわかるはずです。
地球上には、かつて恐竜やマンモスなど様々な生き物が現れては滅んでいきました。
無常の法則ですから、いつかは人間の時代も終わることがありましょう。
遠い将来、地球の歴史を振り返ったとき、「あの人間という生き物は何をしたのか?」という議論になったら、私ならば、「たえず殺し合いを繰り返し、そしてこの地球をこれだけ汚したのが人間であります」と言わざるを得ません。今のままではそうなりかねません。
そこへいくとナマケモノはどうでしょうか?
別段人間から見れば怠け者かもしれませんが、大地を何一つ汚すことなく、その中で暮らしています。
そういう目から見たら、ひょっとして、ナマケモノの方が立派な生き方をしているのかもしれません。」
というものです。
環境の問題からいろんなことを考えさせられます。
真剣に考えるべきでありましょう、今自分に何ができるかを。
横田南嶺