どこも同じ風が吹いている – 千里同風 –
そして、今回は、七十五周年記念号なのであります。
その記念号特集の巻頭が、金澤翔子さん、金澤泰子さんと私の鼎談記事なのであります。
実に光栄なことであります。
特集は、
「人生、うまくいくときばかりではありません。
でも、そんなときこそ、心の持ちようで
未来はいかようにも
変わっていくのではないでしょうか。
逆境に負けないコツは?
前向きな気持ちになるためには?
うまくいっている時こそ大切にしたいことは?
あなたにとっての「いい心の持ち方」を
ぜひ見つけてください」
という主旨であります。
金澤泰子さんの
「翔子を見ていると、とても幸せに生きているなあと感じます。
とことん疲れるハードな仕事が続いても、「楽しかった」と言うんですね。
あれを楽しかったと言うのか、とびっくりすることがあります。
同じ現象の中に地獄を見る人と、天国を見る人がいるじゃないですか。
翔子はどこにいても天国。いつも幸せ。いつも楽しいんです。」
という言葉には私も深く感銘を受けました。
そして、翔子さんはニューヨークの国連本部でもスピーチをされたことがあるのですが、そんな大舞台でも、近所の公民館で話すのも全く同じなのだというのです。
私などは、やはり、大舞台で満席だと、喜ぶ心が残っています。
この心があると、小さなところで、少人数だと寂しいと感じてしまうのであります。
般若心経に「心に罣礙無し」という言葉がありますが、翔子さんは全く心に区別や差別がないのだと恐れ入ったのでした。
PHPには金澤翔子さんの書と、泰子さんの解説文が連載されています。
今月は「天上天下唯我独尊」という書です。
いつもながら、小さな誌面でも迫力の伝わる書であります。
その数ページあとに、「心に禅語をしのばせて 生きるための禅の言葉」という私の連載がございます。
つたない書で、「千里同風」と書いています。
これも毎月のことながら、翔子さんの書と並べられると恥ずかしいものです。
もっともこういう比べる心が分別心でよくないのであります。
千里同風という言葉は、『広辞苑』で調べてみると、
「論衡(雷虚)「夫れ千里風を同じゅうせず」
遠隔の地にも近くにも同じ風が吹く意から、天下がよく治まっている太平の世。万里同風。」
と書かれています。
『論衡』というのは、中国の後漢時代の書物であります。
千里同風は、禅語としては玄沙禅師の言葉として知られています。
玄沙師備禅師(835~903)は中国唐代の禅僧です。
もと漁師であったといいます。
毎日父と共に漁に出ていましたが、一説によれば、父が水中に落ちてしまったのを、救おうとしたものの救い得ずに、そこで無常を感じて出家したとも伝えられているのです。
既に三十歳であったともいいます。
また「謝三郎」とも呼ばれ、禅語に「謝三郎、四字を知らず」とあるように、字も読めなかったという説もございます。
後に雪峰義存禅師について修行します。
師匠の雪峰禅師も一目置いていたほどの、熱心な修行ぶりでありました。
ある時に、師の雪峰禅師から、諸方を行脚してくるように勧められました。
四度も勧められて、ようやく旅に出ました。
旅支度を終えて嶺上に到り、道の石ころにけつまずいて、忽然と大悟したのでした。
その折りに「達磨東土に来たらず、二祖西天に往かず」と言われました。
どこにも出かけてゆく必要はないということであります。
玄沙はその後生涯福州を出ることはありませんでした。
行脚するといって出かけた玄沙が、すぐに帰って来たので、不審に思った雪峰禅師が子細を聞きました。
玄沙は自分が体験したことを話すと、雪峰禅師も大いにその悟りの心境を認めました。
そして玄沙は雪峰禅師の教えを受け継いで禅風を大いに挙揚しました。
後に寺に住してからは大いに教化活動をなさっていました。
ある僧が「私はまだ入門したばかりで、どのように修行したらいいか分かりません。どこから手をつけたらいいでしょうか」と聞きました。
玄沙禅師は「川のせせらぎが聞こえるか」と問いました。
「聞こえます」と答えると、「そこから入れ」と答えました。
ある時に、玄沙禅師は、師の雪峰禅師のもとに一通の手紙を修行僧に届けさせました。
雪峰禅師が、久々の玄沙からの書状を開いてみると、何とそれは白紙でありました。
届けてくれた僧に、「これはどういうわけなのか」と問うても、僧は答えられません。
雪峰禅師は、白紙の手紙を取りあげて、「分からないのか、君子は千里同風だ」と説いたのでした。
「千里同風」です。
千里離れた土地であっても、同じ風が吹いているのです。
どこにいても、心と心は通じ合っているのです。
このように白紙の手紙を見事に読み解かれました。
師弟の心が一枚になっていて実に奥ゆかしいのです。
PHPには「オンラインもない昔の人は、たとえ遠く離れていても、同じ月を見ていると思って、心が通じ合えたのでした」と書いておきました。
玄沙禅師は石にけつまずいて開悟しました。
思わず「痛い」と叫ぶ、それはいのちある確かな証拠です。
川のせせらぎを聞くのも、いのちあればこそです。
そのいのちはどこから来たのでしょうか。
計り知れない無限のいのちを今ここにいただいて生きているのです。
吹き渡る風にも無限のいのち、仏のいのちを感じることができます。
吹く風に「千里同風」を想い、この世の争いが無くなることを祈ってやみません。
横田南嶺