春風にブッダを思う
一雨一雨暖かくなって、花を咲かせてくれると思っていたら、その雨が今度は花を散らしてしまうのであります。
春の風も同じであります。
暖かい春の風が、花を咲かせてくれますが、その風がまた花を散らしてしまうものでもあります。
春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり
とは、有名は西行法師の和歌であります。
禅語に
「風吹けど動ぜず天辺の月」というのがあります。
どんなに風が吹いても天の月は微動だにしないのであります。
また「八風吹けども動ぜず」という言葉もあります。
この八風とは何かといえば、
「利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)」の八つをいいます。
「利」は、目先の利欲にとらわれることです。
「衰」は、衰えること。年をとって衰えることや、生活が困窮してしまうことをいいます。
「毀」は、謗られることです。
「誉」は、褒められることです。
「称」は、賞賛されて舞い上がり、増上慢になって自分を見失うことです。
「譏」は誹りです。人から謗られて自分を見失ってしまうことです。
「苦」は、思うに任せないこと、さまざまな苦境に負けてしまうことをいいます。
「楽」は、思うがままに行えるので、いいことのようにみえても、逆に調子に乗り享楽に負けてしまうこともあるものです。
八つの風を挙げていますが、要は、自分の思うがまま順風満帆、調子がいい場合と、何をやっても自分の思うようにいかない、逆風逆境にある場合との、二つに分けられます。
そういう中にあっても、動じることがない、この揺るぎないものを求めていくことが、禅の生き方であります。
お釈迦さまの言葉から学んでみます。
この世のものを浄らかだと思いなして暮らし、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。ー弱い樹木が風に倒されるように。(『ダンマパダ』七)
自分の欲望のままに、怠けたい時に怠けている。そんないい加減な、努力をしないような人間の在り方では、弱い木が風に倒されてしまうように、欲望に負けてしまうという意味であります。
この世のものを不浄であると思いなして暮らし、(眼などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。―岩山が風にゆるがないように。(『ダンマパダ』八)
今度は逆に、目に見える情報などに振り回されないように心を調えて、しかも食事も食欲に任せて食べたいだけ食べるのではなく節度を知って、そして信念あり、勤めはげむ人は、岩山が風にゆるがないように、欲望という名の悪魔に打ち負かされることはないということです。
そうしますと
一つの岩の塊りが風に揺るがないように、賢者は非難と賞賛とに動じない。 (『ダンマパダ』八一)
というようになります。
岩というのは、風が吹いても動じません。
そのように賢い者は、褒められようと謗られようと、動じることはない。こういうふうに言われております。
風が吹いても微動だにしないように、どっしりと坐るのが坐禅であります。
よく先代の管長が、私たちに、下っ腹を前に推し出して、デーンと坐るのだと教えてくださいました。
この「デーン」と坐るのが、微動だにしないことを表わしています。
そのように外の情報に振り回されず、自分の感覚器官にも乱されずに修行してゆくと、次の言葉のようになるのであります。
花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。
しかし徳のある人の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。(『ダンマパダ』五四)
ということになるのです。
花の香りは風上から風下に香ります。
逆に香ってゆくことはありません。
けれども、徳のある人、しっかり修行した人、目で見たり耳で聞いたりするさまざまな情報に振り回されずに、自分を調えて、なすべき勤めをきちっとやっているような人の優れた香りは、風に逆らっても伝わっていくというのです。
『スッタニパータ』にも、風について説かれたものがございます。
寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽と熱と、虻と蛇と、ーこれらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。 (『スッタニパータ』五二)
音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。 (『スッタニパータ』七一)
「網にとらえられない風のように」というところには、禅的なものを感じます。
網でとらえようとしても、風はすり抜けてゆくのであります。
世の中にはいろんな風が吹いていますが、それに振り回されないように、どっしりと、デーンと坐ってまいりましょう。
本日は四月八日、降誕会、お釈迦さまのお生まれになった日であります。
お釈迦さまのお言葉を読みながら、風に振り回されずに、インドの大地を歩いて、苦しむ人々のために揺るぎない真実の教えを説き続けられたブッダのお姿を思います。
そして、その徳のある香りが、インドはもとより、今日世界中に香っていることを思うのであります。
横田南嶺