恩に報いる
思えば二年前の二月の末、新型コロナウイルス感染症が少しずつひろがってきていた頃にお亡くなりになったのでした。
僧侶の葬儀の場合、まず密葬を行って、ご遺体を荼毘にします。
その後四十九日の頃に、本葬にあたる津送という儀式を営むのであります。
足立老師の折にも、まずは密葬を円覚寺山内や、近在の和尚様方で行って、津送を行うべく、諸準備をしていました。
まだ一昨年の二月か三月の頃には、コロナ禍がこのように長引き、これほどまでに私たちの暮らしに大きな影響があるとは思ってもいなかったのでした。
一昨年はじめて緊急事態宣言が出されて、全国の学校が休校になるという、かつて経験したことのない状況になりました。
円覚寺の前管長の津送ともなると、何百名もの方々をお招きすることになります。
とてもそのようなことは出来るはずもなく、津送にあたる頃に、内々に納骨の法要のみを行ったのでした。
一周忌の時には、皆さんをお招きして法要を行おうと思っていたのですが、昨年もまたコロナ禍の最中となってしまい、円覚寺の中の和尚様方のみにて行ったのでした。
そして今年の三回忌を迎えることになりました。
とてもコロナ禍以前のような儀式はできませんものの、隣の建長寺の管長さまはじめ、有縁の管長老師方、円覚寺派の和尚様方、円覚寺の僧堂で修行した和尚様方をお招きして法要を務めることができました。
もともと足立老師は、花園大学で学ばれていたころ、当時の学長であった山田無文老師の影響を大きく受けておられました。
私どもに常々仰っていたのは、無文老師が、お釈迦さまは葬式などなさらなかったと言っておられたということでした。
「金剛の舎利は、我らが任にあらず。正法を結集して末後に留めんには如かず」という言葉があります。
お釈迦さまは、自分の亡き後、お骨をお祀りするようなことは、在家の者にまかせて修行僧たちは、自分の教えを守って後世に伝えるようにすべきだと仰せになったということです。
その教えを受けて、お釈迦さまのお骨のことは、私たちが関わることではなく、自分たちはお釈迦さまの正しい教えを末代に伝えることだと説いているのであります。
その言葉を常に仰せになっていて、葬儀などは無用というのが足立老師の教えでありました。
もっとも無用とはゆきませんので、できるだけ簡素にということでありました。
私どもが修行道場でいつも読んでいる経典の中に、大灯国師遺誡というのがあります。
そのなかに、自分が死んだ後に、弟子達が、どんなにお寺を立派にして、素晴らしい建物を建てて、大勢の者が集まるようになったとしても、そんなことだけで、本来の修行をおろそかにしていれば、自分の弟子とは言わせない、しかし、もしたとえ一人でも専一に己事究明する者がいれば、自分と日々出会い、真に恩に報いる者だという意味の言葉があります。
己事究明とは、自己とは何かを明らかにしてゆくことで、禅の修行の本質を言っています。
足立老師もそのお考えなのでした。
大きな儀式を行うことには、否定的であったのです。
もっとも、そうはいってもお世話になった方がお亡くなりになると、何か恩に報いるためにもしなければと思うのが人情であります。
コロナ禍にあって、亡くなった方と十分なお別れができないということがあります。
もっとも葬儀などで大勢の方を集めることができないからやむを得ないのでありますが、葬儀が終わった後に、亡くなったことを知らされることも多いのです。
とりわけ、更に香典も供花も無用と言われてしまいますと、実になにもしようがないのであります。
どうにも気持ちの収まりがつかないという一面があります。
儀式というのは、節目節目に行うことによって、心にけじめをつけることができるのであります。
足立老師に言わせるならば、よけない儀式などするよりも、僧侶は修行に励めということになるのでしょうが、やはり香典を捧げ、集まってお経をあげて焼香し、お墓にお参りして、記念品をいただいて帰ってくるという営みが、心のけじめになるのであります。
それでも足立老師の三回忌のみを行おうとすると、泉下の老師から、いらぬことをするなとご叱正が聞こえてきますので、ちょうど百年忌を迎える老師方がお二人いらっしゃいましたので、その二人の老師の法要と併せて行うことにしたのでした。
宮路宗海老師と広田天真老師の百年忌と足立大進老師三回忌を合同でお勤めしたのでした。
そんな法要の前、お彼岸の折に東京のお寺に行っていたときのこと、夕方茶の間でテレビに大相撲中継が映っていました。
東京のお寺の先代の住職はお相撲が好きでよくご覧になっていましたので、お亡くなりになっても大相撲のテレビをつけているのかと懐かしく思いました。
とある親方が、ご自身のお師匠さんの親方のことを語っていて、とにかく稽古しろ、稽古しろ、シコ踏め、シコ踏めと叱られっぱなしだった、今でも夢で叱られていますよと語っていた言葉が耳に入りました。
何の世界でも同じだなと思ったのでした。
禅の修行は己事究明で、自分とは何か、自己の根を深く掘り下げろ、どうして自分がここにいるのか、深く深く究めてゆけという、足立老師の叱声が今も聞こえてきます。
三回忌の法要を務めながらも、こんなことをするよりもしっかり坐禅修行しろというお声が聞こえてくるのでありました。
せめてもの報恩にと、法要の記念品に、岩波文庫の『臨済録』を特別装丁で作ったのでした。
ただいまの岩波文庫『臨済録』は、入矢義高先生の訳注になっていますが、その前は朝比奈宗源老師訳注でありました。
朝比奈宗源老師訳となっていますが、現代語訳を担当なされたのは、まだ若き日の足立老師でありました。
ですから、朝比奈老師と足立老師師弟の合作といってもよろしいものなのです。
ただいまはすでに入手困難となっていますので、岩波書店の許可を得て、布製の表紙にして、記念品としたのでした。
せめて法要に際して、『臨済録』の一節を読んでもらいたいという思いなのであります。
朝比奈老師がよく揮毫なされていた『臨済録』の一節があります。
「此の深心を将って塵刹に奉ぜん。是れ即ち名づけて佛恩を報ずと為す」という言葉です。
足立老師の現代語訳には、「この深心をもって無数の衆生に奉仕する、これが真実に佛恩に報謝するものである」というのであります。
実に恩に報いるということは容易なことではありません。
横田南嶺