禅僧の姿
どうして小学生の頃からと問われると、不思議なご縁でというほかありません。
一番のもとには、祖父の死があると思っています。
私は満二歳の時に祖父が亡くなったことが、自分の記憶のはじまりとなっています。
一緒に暮らしていた祖父が亡くなり、葬儀をおこない、とりわけ火葬場に行ったときのことをよく覚えています。
この頃のようなきれいな火葬場ではなく、薄暗い「焼き場」でした。
手に黒い手っ甲をはめた職員が祖父の棺桶をかまどにくべた様子を見ていました。
今のようにわずかな時間で焼けるわけではありませんでしたので、一度家に帰ったと思います。
その折りに火葬場を出て振り帰ってみると、煙突から白い煙が上がっていました。
その煙を母に手を引かれながら眺めていました。
母は私に「おじいさんはあの白い煙になってお空に昇っていくの」と教えてくれました。
初盆の時のこともよく覚えています。
私は紀州熊野の新宮市で生まれ育ちました。
生家のそばには熊野川が流れています。
お盆の終わりには、熊野川の川原で各家でご先祖を送りました。
精霊流しです。
とりわけ一家の主が亡くなりますと、当時は小さな船を造って御霊を送りました。
私の生家でも何日も前から家の前で船を造っていました。
いよいよお盆の最後に河原で船にたくさんの提灯や灯籠を灯して流しました。
その時にも母は私の手を引いて「おじいさんはあの船に乗ってあちらの世界に帰るの」と教えてくれました。
ところが、その船は船の専門家ではなく素人の造ったものだったためか、わずか数メートル進んだけで、私たちの見ている前でズブズブと沈んでしまいました。
その様子を見ながら子供心に「これではいったいおじいさんはどうなるのか、本当にあちらの世界に帰れるのかな」と心配したものです。
人は死ぬ、その様子が私の記憶のはじまりです。
そしてどこに行くのか分からない、漠然とした不安を持っていました。
更に小学校に入って、同じクラスの同級生が白血病で亡くなりました。
人は死ぬ、そしていつ死ぬか分からないという事実は、子供心にも切実な問題となりました。
そんな頃にまだ小学生でしたが、お寺の坐禅会に参加しました。
そこではじめて坐禅を習いました。
そのときに坐禅を教えてくださったのが、清閑院の後藤牧宗和尚でした。
まだ四十代の和尚様でした。
声が大きくて、いかにも禅僧らしい方でありました。
禅僧というのは、こういう方なのだと思ったものです。
牧宗和尚は学校の先生もおつとめになったいました。
学校の先生であり、和尚様というと、当時子供心にもお偉い方だと思っていました。
そして、その坐禅会に由良の興国寺から目黒絶海老師がお見えになっていました。
お偉いと思っていた、いかにも禅僧らいし牧宗和尚が実に丁寧に、頭を下げて絶海老師をお迎えになっているお姿に深く感銘を受けました。
敬うもののある世界というのは素晴らしいと感じました。
いまにしても思い出しますが、それは夏でしたので、茶色い麻のお衣で、小柄な老師が太鼓の合図で出て見えます。
その絶海老師がお話の前にご本尊に焼香して恭しく礼拝なされます。
そのお姿がなんとも神々しく思われました。
子供心に身震いするような感動を覚えました。
牧宗和尚や絶海老師のお姿に心引かれて、坐禅に通うようになりました。
生死の問題を解決する道がここにあると子供ながらに確信したのでした。
聖なる世界に触れた思いがしたのでした。
そうしている内に、牧宗和尚から、ただ坐っているだけではだめだから老師のところに行って独参して公案をもらってきなさいと言われて、由良の興国寺まで行って相見させていただきました。
まだ中学生だったかと思います。
こうして私の禅の修行が始まったのでした。
当時お聞きした話はすべて忘れてしまっていますが、忘れられない印象に残っている事があります。
老師は高座に上って手を合わして皆を見渡して、「今日お集まりの皆さまはみんな仏さまです」と合掌して拝まれました。
お偉い方だと思っていた老師と呼ばれる方が、合掌して拝まれたのは何と私たちでした。
これは不思議に思いました。
最初は、老師は何か勘違いをしているのではないかと思いました。
私たちは確かに少しばかり坐禅はしたけれども心の中は雑念ばかりで、仏さまにはほど遠い、それなのにどうして老師はみんな仏さまだといって拝まれるのであろうかと不思議に思ったのでした。
それから数十年来坐禅して、まさに老師の仰せの通り、銘々みんな仏さまであったというのが、修行の結論です。
目黒絶海老師は、私が高校生の頃には、病に伏せられるようになってしまい、長くご指導をいただくことができませんでしたが、初めて参禅させてもらった老師であります。
牧宗和尚には、長い間お世話になりました。
数年前に、地元の各寺院の檀信徒の方々と円覚寺にお越しいただきました。
そのときにはすでに車椅子でありましたが、私に頼みがあると言われました。
なにごとかと思うと、自分の葬儀の導師を勤めて欲しいというのでした。
返答に窮する依頼でした。
牧宗和尚は一昨年三月にお亡くなりになって、その密葬には駆けつけて勤めたのでしたが、和尚の本葬にあたる津送は、コロナ感染症蔓延のために行くことができなくなったのでした。
あれから二年経って、ようやく三回忌の法要の導師を勤めさせてもらうことができました。
和尚の頂相に拝をしながら、もう五十年近く前に、この本堂で和尚から坐禅を教わった小学生の頃を思い起こしました。
牧宗和尚のお声と姿、絶海老師の礼拝のお姿に感動して、この道に志したのでした。
ご縁というのは不思議であります。
もし和尚や老師にお目にかかっていなければ、坐禅にご縁は無かったのかもしれません。
めぐり会いの不思議に手を合わせるということが実感させられます。
ご恩に酬いるべく、更に精進をしなければと思ったのでした。
横田南嶺