花を見てほほえむ
人間学塾中之島で講演をしてきたのでした。
人間学塾中之島は、森信三先生の教えを学ぶ方々の集まりであります。
森先生の高弟であった寺田一清先生が始められた天分塾というのがその前身であります。
天分塾が人間学塾中之島となって、ただいま第十期であります。
私は、有り難いことに第二期から講師としてお招きいただいています。
はじめて講義した時には、今北洪川老師の禅海一瀾について話をしました。
そのときには最前列に寺田先生と鍵山秀三郎先生とが席を並べて聴講してくださって恐縮したものでした。
講演のテーマは一貫して「禅の教えに学ぶ」なのですが、内容について
一回目は今北洪川老師の禅海一瀾、
二回目が円覚寺の開山無学祖元禅師について、
三回目が夢窓国師について、
四回目が盤珪禅師、
五回目が坂村真民先生と河野宗寛老師について、
六回目が釈宗演老師の慈悲と寛容について、
七回目が怨親平等について、
八回目がコロナ禍にあって如何に身心を調えるか『天台小止観』
について講義をしてきました。
今回は、「拈華微笑、ほほえみの種をまく」ということで話をしました。
古来、禅の起こりは、拈華微笑の話にあると言われています。
まずその話をしました。
『無門関』の第六則にある話であります。
お釈迦様があるとき靈鷲山といういつもお説法なさるところにお坐りになっていました。
いつもであればお説法が始まるのですが、そのときには何もお話にならずにただ黙って一輪の花をとりあげて皆に示されました。
大変に珍しい事です。
このとき大勢のお弟子方は何の事やらさっぱりわかりませんでした。
「ただ迦葉尊者のみ破顏微笑す」と原文には書かれていまして、その大勢のお弟子の中でただひとり迦葉尊者だけが、破顏微笑されました。
にっこりとほほえまれたのです。
そうしますとお釈迦様は、私の大事な教えは今すべて迦葉尊者に伝わったと仰せになりました。
花をみてにっこりとほほえむ、ここに禅の始まりがあると話をしました。
後に不立文字、教外別伝と言われますようにまさにここには一文字も説かれていませんし、禅の教えという特別の経典が伝えられたわけでもありません。
ただ花をみてにっこりとほほえんだだけなのです。
ほほえみということから、笑うという字を調べると「花が咲く」という意味もあります。
花が咲くということから、坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」について語りました。
コロナ禍にあって、諸行事が中止または延期になるなかで、こうして感染対策を徹底し、人数も制限してリモートを併用しながらもこの会を開催するということは、学ぼうとという熱意があればこそであります。
心に強く願う心が、こうした会も実現してゆくことを話しました。
年に一度のことですが、九回も通っていると、顔見知りの方がかなりいらっしゃいます。
年に一度でも顔を合わせて学べることは有り難いことなのです。
坂村真民先生の詩の「念ずれば花ひらく」で説かれている「念」というのは、真民先生のお母様が、夫が急逝したあと、五人の子どもたちを命に代えても守り育てようとされた強い思いだということを話しました。
そのような母が我が子を命をかけても守ろうとしている心が仏様の心にほかなりません。
そこで、お釈迦様の「あたかも母が己が独り子を命を賭けても守るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし」という『スッタニパータ』にある言葉を紹介しました。
これこそがお釈迦様の教えの究極であります。
そんな心を人は皆生まれながらにもっています。
そのことを実証したのが、エルトゥールル号事故の話であります。
そしてエルトゥールル号事故における、串本の人達のわが身を省みずに行った救助活動のこと、そのことがトルコの国では伝えられて、九十五年経ったイランイラク戦争の折に、トルコの方はエルトゥールル号事故の折の日本人から受けた恩を忘れずに、自国民よりも先に日本人を飛行機で助けてくれたことなどを話をしました。
小泉八雲が『新編 日本の面影』のなかで、「日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。」と言われた通りなのです。
そこから何も特別な時の特別な行動でなくても、普段の日常の暮らしの中でも人のためにしてあげられることには、微笑みがあることを話しました。
最後に坂村真民先生の「バスのなかで」の詩を朗読しました。
バスのなかで
この地球は
一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない
そのような思いで
こみあうバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分よりも大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
その時
わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を
失わずにゆこうと
涙ぐましいまで
清められるものを感じた
いい匂いを放つ
まっ白い花であった
少女が、自分の体がどんなに押されてもこの花を守ろうした愛の心と、お釈迦さまが一輪の花を示された心と、迦葉尊者が花をみてほほえまれた心とが、ひとつに通じるものを感じるのですと話をして終わりました。
禅は難しい理論ではなく、花をみて無心にほほえむ心にある、それは命あるものを慈しむ心だと話をしたのでした。
人間学塾中之島の会の皆様はとても熱心で講演のあとの質疑応答の盛んでした。
寺田一清のご縁で招かれたのですが、寺田先生が昨年お亡くなりになったあとも、こうしてご縁が続くのは有り難いことであります。
横田南嶺