あなたの声が 今日もきこえる
なんだろうかなと思って、開けてみると立派な文箱が入っていました。
包装された新しい文箱ではありません。
文箱の蓋には、いくつかの墨のあとも残っています。
一見して、「これはもしや真民先生の使っていた文箱か」と思ったものの、そんな貴重なものが送られてくるわけもないので、何だろうかと思ったのでした。
西澤さんのお手紙を拝読して驚きました。
なんとそれは、もしやと思った通りなのでした。
真民先生がお使いになっていた文箱だったのです。
墨のあとが付いているところに、真民先生の息吹を感じることができます。
こんな有り難いことがあろうかと、しばし文箱を胸に抱えて感激していたのでした。
思えば真民先生とのご縁ができたのが、昭和五十六年のことでありました。
もう四十年以上前のことであります。
書店に、『生きてゆく力がなくなる時』という本を見つけて買って読んだのでした。
なんといっても、この題名に心惹かれたのでした。
私はたしか高校二年だったと思います。
当時すでに受験戦争という言葉もあって、受験に向けて皆が偏差値を気にして一喜一憂している頃でありました。
私はお寺に通って坐禅をしていましたので、そのような生き方にはなじめずにいたのでした。
まさにこの詩にある、
死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなることがある
という言葉に心打たれたのでした。
そして真民先生に手紙を書いたのでした。
二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事はかならず
書くことにしよう
と詠われた真民先生は、その言葉通り一高校生の手紙に丁寧なご返事をくださいました。
それからご縁が始まりました。
大学を卒業するまで、ずっと毎月詩誌「詩国」を送ってもらいました。
大学を卒業して修行にゆく時に、「詩国」を送っていただくことを辞退申し上げたのでした。
それから十数年の修行が続いて円覚寺の僧堂師家と黄梅院住職になってからは、毎月黄梅院の掲示板に真民先生の詩を書くようにしたのでした。
毎月詩を書き続けて二十年、一昨年の令和二年二月には、なんと坂村真民記念館で、「鎌倉・円覚寺黄梅院の掲示板の詩ー横田南嶺老師と坂村真民の心の交流ー」という特別展を開催していただいたのでした。
特別展の初日には、「ふかきをきわめ あさきにあそぶ」と題して講演をさせてもらったのでした。
忘れもしません、令和二年二月二十二日でありました。
この講演を最後に、コロナ禍となってあらゆる講演は中止または延期になったのでした。
そしてこんなことが機縁になって、円覚寺でも黄梅院だけでなく、いまや総門の下のところにも大きな掲示板を出して、北鎌倉駅に通う方たちにも見ていただくようにしたのでした。
五年前の平成二十九年には、『はなをさかせよ よいみをむすべ 坂村真民詩集百選』も出させてもらったのでした。
これは昨年増刷となって今も読み継がれているのであります。
真民詩を学ぶには、やはり『自選坂村真民詩集』がいいと思います。
また『坂村真民一日一詩』や『坂村真民一日一言』などもよろしいでしょう。
それからなんといっても私がお勧めしたいのは、坂村真民記念館館長の西澤孝一さんが書かれた『かなしみをあたためあってあるいてゆこう』と『天を仰いで 坂村真民箴言集』であります。
この二つの書によって、真民先生の詩がどういう時に作られたのかがよくわかります。
今ご紹介した本はいずれも致知出版社からの刊行で、今も手に入ります。
真民先生のお使いになっていた文箱を身近においていると、気が引き締まります。
それはなんといっても詩一すじに生きてこられた先生の息吹を感じるからであります。
西澤館長の『天を仰いで 坂村真民箴言集』の巻頭にあり、また私の詩集百選にも引用した六魚庵箴言を紹介します。
六魚庵箴言
その一
狭くともいい
一すじであれ
どこまでも掘りさげてゆけ
いつも澄んで
天の一角を見つめろ
その二
貧しくとも
心はつねに
高貴であれ
一輪の花にも
季節の心を知り
一片の雲にも
無辺の詩を抱き
一碗の米にも
労苦の恩を思い
一塊の土にも
大地の愛を感じよう
その三
いじけるな
あるがままに
おのれの道を
素直に
一筋に
歩け
この詩こそ、真民先生の生涯を貫かれたものです。
私は、詩集百選のなかでこの詩のあとに「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という詩を載せました。
エリ・エリ・レマ・サバクタニ
詩に生きよ
詩に生きよ
これよりほかに我れの生きゆく道なし
○
生きることや難し
生きることや苦し
子を抱きて夕暮れの道を帰る
○
四国に来て
わが縋るひと
釈尊のみ
釈尊ありて
わが生や明日あり
○
子と仰ぐ
夕焼けの雲よ
涙ぐましきまでの愛惜よ
○
死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなることがある
そんな時
大乗寺を訪ね
わたしはひとり
仏陀の前に坐ってくる
力わき明日を思う心が
出てくるまで
坐ってくる
○
エリ・エリ・レマ・サバクタニ
ああ
あなたの声が
今日もきこえる
六魚庵箴言の詩は真民先生四十歳の時の詩でありますが、この思いを晩年になっても抱き続けておられます。
八十四歳で「まだまだ」という詩を書かれています。
まだまだ
まだまだ
信仰が足らぬ
まだまだ
修行が足らぬ
まだまだ
愛情が足らぬ
しんみんよ
砥部の砥石で
己を磨け
というのであります。
八十九歳の詩は胸打つものがあります。
「しっかりしろしんみん」という詩です。
しっかりしろ
しんみん
しっかりしろ
しんみん
しっかりしろ
しんみん
しっかりしろ
しんみん
どこまで書いたら
気がすむのか
もう夜が明けるぞ
しっかりしろ
しんみん
というのであります。
九十歳を迎えても「しっかりしろ」とご自身を叱咤し続けて詩を作られているのです。
真民先生の詩を拝読すると、襟を正す思いがして腰骨が立ちます。
しっかりしろという真民先生の声が聞こえてきます。
真民先生の文箱をいただいて、拝見しているだけで今日も真民先生の声が聞こえるのであります。
横田南嶺