心明るく
対談が終わって、写真撮影をしました。
私が翔子さんの隣に坐りました。
対談の間は、感染症のこともあって、お互いにマスクをして、しかもかなり離れて坐っていましたが、写真撮影となると、すぐそばに坐ることになります。
すぐそばに坐った翔子さんに対して、私のような法衣を着た者の近くに来て緊張しないようと、にっこり微笑みました。
すると翔子さんが、私の笑顔を見て、「かわいい」と言って喜んでくれたのでした。
もうこの年齢になって、「かわいい」と言われることはありません。
翔子さんの年齢などで人を区別しない心がよく分かりました。
笑顔は大事だなと改めて思ったのでした。
平素懇意にさせてもらっている龍雲寺の細川晋輔さんと須磨寺の小池陽人さんとが、お二人で語っている寺子屋ラジオ「はじめての般若心経」というYouTubeラジオがあります。
これが聴いていて実に楽しいのであります。
聴いていると心が明るくなのであります。
心が軽くなのであります。
ホッとするのであります。
仲のいいお二人の掛け合いが実に見事で、聴いているだけで心のこだわりがほどけてくる感じがするのであります。
金澤翔子さんの分別しない心はそのまま空の心を体現しているようですし、このお二人の対談は、そのまま空を語っているのであります。
しかし、もしも般若心経について、たくさんの解説書を読んで、知識を豊富に蓄えている方がお聴きになると、なんだこの程度の内容かと思うかもしれません。
そういう知的な理解のありようとはまた異なるものがあるのです。
「メラビアンの法則」というのがあると聞いたことがあります。
1971年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の心理学者であるアルバート・メラビアンが提唱した概念であります
「感情や気持ちを伝えるコミュニケーションをとる際、どんな情報に基づいて印象が決定されるのか」ということを検証したもので、その割合が示されました。
視覚情報、聴覚情報、言語情報という三つの要素についてです。
人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合だというのであります。
この実験を単に見た目が大事だというように安易に理解するのは問題なのですが、考えさせられるものであります。
細川さんと小池さんとのラジオ第七回の「菩薩とは?」でも、細川さんは小池さんの見た目の明るさを指摘されていました。
小池さんのことを思うと、なんといってもこの明るさ、光を感じるのであります。
一月の半ばに、小池さんが円覚寺にお越しになって、修行僧たちと布薩を体験していただきました。
円覚寺で行っている布薩を体験したいといって、わざわざ須磨寺からお越しになったのでした。
せっかくお越しくださるのですから、修行僧たちに少し話をしてもらって、お互いに対話もしてもらいました。
私は、そのそばで拝見していたのですが、やはりなんといっても小池さんは明るいのであります。
修行道場の本堂は薄暗いのですが、小池さんがいらっしゃると明るくなのです。
まるで小池さんのまわりだけは、光がさしているように感じるのであります。
これはいったい何なのだろうかなと考えていました。
お亡くなりましたが、方広寺の管長をなさっていた大井際断老師は、つねづね「お坊さんとして大事なのは、声、顔、姿だ」と仰せになっていたそうです。
声というのは、その人となりをよく表すものであります。
明るい大きな声というのは、相手に大きな影響を与えます。
声を聞いてホッとすることもあるものです。
顔というのは、その良し悪しというのではなく、明るい笑顔が大事だということでしょう。
どんな表情であっても、笑顔にまさるものはございません。
姿とは、「姿勢」でありましょう。
私はいつも腰骨を立てることの大切さをお話していますが。腰骨を立てていると、健康にもよろしく、気持ちも前向きになってきます。
思い返せば、大井裁断老師は、お声が大きく、笑顔がすばらしく、そして姿勢の美しい老師でありました。
百三歳までお元気にご活躍なさっていました。
明るい心を詠った坂村真民先生の詩を二つ紹介します。
明るい心で
明るい心で
明るい顔で
接してゆこう
暗ければ
暗いほど
元気を出して
明るい方を目指して
生きてゆこう
天に
星が輝いているではないか
道のべに
花が咲いているではないか
空に
鳥が飛んでいるではないか
しっかりしろ
しっかりしろと
せみたちが鳴く
けんめいに鳴く
真の人間であること
真の人間であること
人にも神にも
喜ばれる
人間であること
貧しくともいい
偉いことはできなくてもいい
人を傷つけたりせず
温かい心の持主である
人間になること
世の片隅にいても
明るい心を失わず
生きてゆく
人間であること
そんなことを思いながら
春の来るのを待つ
こんな心を持つことが世の中を変えてゆくのではないかと思うのです。
般若心経の文字の意味をひとつひとつ理解することも当然大切ではありますが、あまり文字の詮索にばかり心を使っていると、難しい顔になったり、いくら学んでも分からないとイライラしていると、心が暗くなったりしてしまいがちです。
そうなると、空の心は死んでしまうように思います。
般若はなんといっても無分別の心のはたらきなのです。
という次第で、細川さんと小池さんとの対話を聴きながら、明るい心にになって、心がほぐれてきたら、それが何よりかと思うのであります。
横田南嶺