出掛けては また立ち返る
一月の二十日から二十六日まで、大寒の時に大摂心という坐禅修行に打ち込んでいました。
それも無事終えて一月ももう終わりになります。
いろんなことを思う月末であります。
五岳上人という、明治時代の高僧がいらっしゃいました。
浄土真宗の方で、一生を九州の日田地方で活躍なされました。
お亡くなりになる前に
邪魔になる 自力を捨てて 今ははや
弥陀のみ国の 頼もしきかな
という歌を詠まれました。
五岳上人の仲間である雪叟という方が、お見舞いにきてこの歌に返歌を作りました。
行くときは 別れ別れに 違えども
流れは同じ 蓮の台に
というのです。
もう死ぬ準備はできていたのですが、五岳上人は一度回復されました。
そのときに詠った句が、
出掛けては また立ち返る 時雨かな
というのであります。
せっかくあの世にでかけようと思って出掛けたけれども雨が降ってきたのでまた戻ってきたというのです。
しばらくしていよいよ五岳上人も最期の時がきました。
筆と紙をもってこさせて、
いざ西に 向いてお先に 出掛けます
ゆっくりござれ あとの連中
という歌を書いたのでした。
この「出掛けては また立ち返る 時雨かな」
という句をこの頃思い起こすのであります。
昨年の暮れから、今年の正月にかけて、コロナの感染もずいぶん収ったようにみえて、穏やかに過ごしていました。
ところが、本日三十一日でありますが、わずか一月もしないうちに様子はすっかり変わりました。
もっとも、このコロナ禍というのも、ここまで長引いてくると、ただの風邪と同じだから気にしないという方と、やはり慎重にしなければという方と、新たな分断を生み出しているようにも思われます。
自宅療養者の対応にしても、五十歳未満で基礎疾患の無い方と、五十歳以上と基礎疾患のある方とでは対応が異なるようです。
私は、気持ちだけは若者のつもりでいますが、確実に後者に分けられているのであります。
私は生来楽天的にものごとを考えていますので、感染が減ってきて、もうこれでいいのかと思っていたところ、また最近諸行事が自粛の傾向になってしまいましたので、
そこで
出掛けては また立ち返る 時雨かな
という句を思うのであります。
もう雨もあがってだいじょうぶだろうと思ったら、また降ってきたという感じなのであります。
二十八日の毎日新聞の川柳にも
マスク下でもう三歳も歳をとり
ここ2年風邪引かぬのはマスクかな
という句を見てなるほどと思います。
同じ日の毎日新聞に、サラリーマン川柳の入選作百句が発表されたという記事もありました。
自粛中 まだ見ぬ孫が もう歩く
という句がありました。
本当に自粛も長くなったとしみじみ思います。
小さな御孫さんなら歩き始めているのでしょう。
二歳や三歳の頃の成長というのは大きなものがあります。
私などもここ二年風邪も引かないなと思っていると、川柳にもあるほどですから多くの人がそう思っているのだと分かりました。
これはやはりマスク、手洗い、うがいのおかげなのでしょう。
二月の半ばに、臨済宗各派合同の和尚さんたちの研究会がありまして、そこで基調講演をするように頼まれていました。
和尚さんたちに向けて、
「コロナ禍に思うー変わるものと変わらないものー」
と題して話をする予定でありました。
こういう和尚さんたち向けの話というのは難しいものであります。
それだけに昨年からあれこれと準備をしてきました。
それが、このたびこの会も、会場には集まらずにオンラインにての開催となりました。
以前に小川隆先生をお招きしての講演が中止になった話をしましたが、それは不特定多数の方が集まるので仕方ないと思いましたが、この研究会などは、広い会場で人数も三、四十名に限定して行うので、問題はないと私は思っていたのでした。
担当の方はいろいろと検討した結果判断されたのでしょう。
これも仕方なしと思っています。
オンラインを経験して思うことは、やはり何と言っても、実際に相手を見て話をすることの大切さであります。
同じ場で同じ空気を吸いながら学ぶことが一番であります。
そんな思いがありますので、大学の授業もオンラインでもいいですと言われながらも、京都まで行って話し続けてきました。
大学も一昨年の前半のみは完全オンラインでしたが、その後は人数を制限したり、大教室にして換気に配慮しながら、授業を行ってきたのでした。
今度の研究会も、何もせずに中止にするよりも、オンラインで学ぼうとすることは尊いことであります。
対面には及ばないものの、この頃はお互いに質疑応答もできますので、そのような機能も用いながら行う予定であります。
オンラインには、オンラインの良さというのもございます。
遠方の方も自由に参加ができます。
私も往復の時間が省けます。
果たしていつまでこのようなことを繰り返すのでありましょうか、さすがにここまで長引くと気が滅入るところでもあります。
出掛けては また立ち返る 時雨かな
という句を口ずさみながら次の晴れ間を待つのであります。
そうして一月も過ぎてゆきます。
横田南嶺