足を地に着けて立つ
「その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となる」ということです。
この「立処」というのは、その場、その場、どんな場においても、いかなる場においてもという意味ですが、敢えて「立つ」という言葉に注目してみます。
立つという字を漢和辞典で調べてみると、
「しっかりと両足を地につけてたつ。安定させてたてる」
「足を地につけて、しっかりと生活をする」
「組織・きまり、仕事の基礎などをしっかりと決める」
「位につく。取り上げて位につかせる。後継ぎに決める」
などの意味があります。
漢字の成り立ちは「人が両足を地につけてたったさま」を表しています。
足を地に着けて立つということは、大切なことであります。
腰を立てるにしても、まず足を地に着けて立つことから始まります。
足を地に着けるということは、足の裏が地面に接するということであります。
一番、私たちの体をささえているのは、足の裏であります。
そこで、坂村真民先生の詩を思い起こします。
尊いのは足の裏である
尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果してゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
頭から
光が出る
まだまだだめ
額から
光が出る
まだまだいかん
足の裏から
光が出る
そのような方こそ
本当に偉い人である
真民先生は、この足の裏を大切にされていました。
真民先生には、こんな詩もあります。
わたしは仏足に心ひかれる
しんみんが真民であるために
しんみん詩が真民詩であるために
わたしは仏足を礼拝し
仏足に帰命する
わたしは天下一品と思われる
天然の仏足石を持っている
それをわたしは額に当てて
わたしの願をとなえる
これはタンポポ堂の
タンポポだけが知っている
ああわたしは仏頂よりも
仏足に心ひかれる
年と共にその思いの
深まりゆくを覚える
仏足石といのは、あまり見慣れないものかもしれません。
岩波書店の『仏教辞典』によれば、
「仏足石。ブッダの足跡の形を石に彫りつけ、画いたもの。
菩提樹(ぼだいじゅ)・法輪などと共に、仏像が製作される以前からブッダそのものを表現したものとして、礼拝の対象とされた」
というものです。
今日では仏像を拝むことは当たり前のようになっていますが、もともとお釈迦さまのお姿を直接画や彫刻にすることをしなかったのでした。
そこで代わりに、菩提樹を描いたり、法輪を描いたり、仏足を描いたりしてお釈迦間を表したのでした。
坂村真民記念館には、真民先生が毎日拝んでおられた仏足石がございます。
ほんとうに自然にお釈迦様の足のような形をした石なのであります。
私たちが仏さまに礼拝する時には「頂礼」といって、両足を拝むのであります。
仏足頂礼とも申します。
それほどまでに足の裏は大切であります。
白隠禅師の内観の法にしても常に気海丹田腰脚足心に気を充たしめるのであります。
坐禅の修行を始めた頃に、老師から「畳みに足の指先がめり込むように歩け」とか、「公案を足の裏で工夫しろ」とか、「足の裏で呼吸するように」と言われたものでした。
足の裏で呼吸するというのは、立って行うとやりやすいものです。
大地から足の裏を通して気を吸い上げて、足の裏から吐き出すように意識して呼吸するものです。
しかしながら、坐禅の時に結跏趺坐という、両足を折り曲げて股の上にのせると、足の裏までは意識が届きにくくなります。
結跏趺坐をした場合には、お臍の下、丹田に意識を集中していればいいのかと思っていました。
最近になって佐々木奘堂さんとのご縁ができて、坐を組んでも足の踵はしっかりと意識できるようになってきました。
しかし、まだ十分に足の裏まで意識が届きにくい思いがしていました。
そんな思いを持っていた時に藤田一照さんのご縁で、西園美彌先生にご縁をいただくことができました。
西園先生に、足指のトレーニングを教わりました。
先日西園先生に円覚寺にお越しいただいて、修行僧達と共に講習を受けたのでした。
この足の指をしっかり意識することによって、はじめて足の裏、足心がはっきりと意識できるようになったのでした。
西園先生は、拇指球と小指球と踵の三点で立つのだと説明してくれました。
拇指球とは、足の親指の付け根、小指球は小指の付け根であります。
この三点で地面を押すことによって、立つのであります。
そうしますと文字通り足を地に着けて立つという感覚が得られます。
坐禅のときにも足の指先まではっきりと意識できるようになりました。
はっきり意識することによって、そこまで気が通うのであります。
坐禅するときには、「頭のてっぺんから足のつま先まで、気を充たして坐れ」と教わってきたのでした。
西園先生は昨年の十二月に、ご自身のトレーニング法をまとめられた本を出版されました。
『魔女トレ 足元にある動きの「素」』という題の本です。
これはよく分かりやすく書かれていました。
藤田一照さんがご紹介くださったおかげであります。
先日の講習の折にも藤田一照さんがお越しくださり、わたしたちと共に学んだのでありました。
どこまでも道を求める一照さんの姿勢には頭が下がります。
足の指、足の裏を地に着けて、大地を踏みしめて立ち上がるところに、はじめて腰がスッと立つのであります。
そこに意欲も湧き、主体性も確立されるのであります。
普段足の裏など気にかけないかもしれませんが、時にはゆっくりと足の裏をもんであげるとか、足の指を動かしてみるという運動をすると体が活性化し、姿勢も正されるものであります。
横田南嶺