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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.12.31
今日の言葉

今がいちばん

年末に上京する所用もあって、相田みつを美術館を訪ねることができました。

毎年の暮れには、美術館を訪ねるようにしているのですが、今年は和歌山での講演などもあって、諸事に追われて年末ギリギリになってしまいました。

ちょうど相田一人館長もいらっしゃって、親しくお目にかかって、ご挨拶もさせていただくことができました。

カレンダーをはじめ書籍、ノートやペンなども購入してきたのでした。

何度訪れても、美術館は静かな空間で、心安まります。

普段お寺にいるのに、何を言うのかと思われるかもしれませんが、寺は確かに自然が豊かで、静かなところでありますが、私の場合は寺にいると、いろんな仕事に追われてしまうものです。

特に年末は、来客、到来物、迎春の支度などに追われて暮らしています。

そんな次第で、時に仕事場を離れるのもいいことなのです。

相田館長とは、いろいろとお世話になってきました。

二度ほど対談もさせてもらっています。

一度は、坂村真民先生の三女である西澤真美子さんと共に三人で、「坂村真民と相田みつをが目指したもの」というテーマで、致知出版社の企画で鼎談をしました。

それから同じく致知出版社の企画で「相田みつをの残した言葉」というテーマでも対談させてもらっています。

また円覚寺の夏期講座にもお越しいただいこともあります。

坂村真民先生と相田みつを先生と、似ているようで、異なる面もあります。

まずお二人の年齢ですが、坂村真民先生は、明治四十二年のお生まれで、相田みつを先生は、大正十三年のお生まれです。

真民先生が十五歳年上でいらっしゃいます。

真民先生が、平成十八年九十七歳でお亡くなりになっている長寿なのに対して、相田みつを先生は、平成三年六十七歳でお亡くなりになっています。

このお二人が生涯にただ一度出会っているのが、円覚寺なのであります。

昭和四十五年の夏に紀野一義先生が主催されていた真如会という会で、坂村真民先生が講演なされて、それを相田みつを先生も聴講されていたのでした。

時に真民先生六十一歳、相田みつを先生四十六歳であります。

この時の写真も残っているのであります。

相田みつを先生は真民先生のことを尊敬し慕っておられたようで、対談した折に相田館長から、よく相田みつを先生は、結婚式の司会などを頼まれていらっしゃったらしく、その折には決まって、真民先生の「二度とない人生だから」を新郎新婦に朗読しておられたとのことでした。

また真民先生から送ってもらっていた個人詩誌『詩国』を自分だけ読むのはもったいないと、二百名くらいの方に薦めていたそうなのです。

お二人の残された詩を比べてみると、真民先生は、

狭くともいい
一すじであれ
どこまでも掘りさげてゆけ
いつも澄んで
天の一角をみつめろ

という詩にありますように、天の一角を見つめて歩まれた感があります。

それに対して相田みつを先生は、あの「にんげんだもの」という言葉に表れているように、大地のようにあたたかく私たちをささえてくださる感があります。

実は私も長年部屋では相田みつを先生の「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」と書いたマグカップを愛用しているのであります。

この言葉に触れて、この字を見ていると、なにかホッとするのであります。

お二人の相違というと、やはり真民先生はどこまでも徹底して詩人でありました。

相田みつを先生は、書家であり詩人なのであります。

相田館長がよく分かりやすくシンガーソングライターに喩えてくださっていますが、自分で詩を作ってそれを書になさるのであります。

相田みつを先生は、やはり書の人なのであります。

もともとは書家としても十分に通用するだけの実力を具えておられたのでした。

美術館には、お若い頃の実に謹厳な書も残されています。

しかし二人のお兄さんの戦死に遭うことから命の問題と真剣に向き合って、自分独自の書を自分の言葉で書かれるようになっていったのでありました。

分かりやすい言葉で親しみやすい書で書かれていますものの、相田みつを先生の書に対する姿勢というのは、実に厳格で、鬼気迫るものがあります。

たとえば、色紙など依頼されて書くことを嫌われたそうです。

はじめからサイズの決まった中に書こうとすると、その中に収めようとしてしまって字が萎縮するというのです。

大きな紙に書いて切り取るのだそうです。

ですから、相田館長からうかがった話によれば、美術館にあるたくさんの作品で同じ大きさのものは一点もないそうなのです。

本のサインなどもその場ではなさらずに、仕事場に持って帰って書かれたというのです。

今回も美術館にうかがって、相田みつを先生の原稿を拝見することができました。

原稿用紙に書かれた字もまた、一字一字が素晴らしい作品になっているのであります。

いかに書の専門家として書かれていたかが伝わってきました。

お二人に共通しているのは、やはり禅の教えです。

真民先生は、臨済宗の禅を深く学ばれました。

相田みつを先生は、武井哲応老師を通じて道元禅師の禅を深く学んでおられるのであります。

禅の心が、それぞれの言葉によって、独自の表現がなされているのであります。

さて、何度も足を運んでいる美術館でありますが、訪れるたびに発見があり、新たな学びがあるものです。

既に何度も見ていた書であってもその時に受ける思いが異なります。

またはじめて出展される書もあることには驚きました。

今回も初めて出したという書を拝見することができました。

もう没後三十年も経ちますので、新しいものはないのではと思いましたが、まだまだあるのだそうです。

相田みつを先生の書と言葉を拝見するのと同時に、私はそのそばに書かれている相田館長の短い解説も楽しみに拝読しています。

今回も心打たれた解説の言葉がございます。

相田一人館長のお母さんの言葉なのです。相田みつを先生の奥様でいらっしゃいます。

昨年お亡くなりになったのでした。

「一人が生まれた時、今我が家で一番いい時だ」と言っていたというのです。
そして「はいはいするようになって、こんなにかわいくなった、今我が家で一番いい時だ」と、それから「一緒におしっこができるようになった、今我が家で一番いい時だ」と、「小学校に通うようになると一人で学校にいけるようになった、今我が家で一番いい時だ」と、

「いつでも今が一番いい時だと言っていた、だからうちはとんでもなく貧乏だけど、そのおかげでやってこられた」という言葉なのです。

相田みつを先生は、教師をしたり書道教室を開いたりして定収入を得る事をなされませんでした。

それで展覧会を開いて自分の書を買ってもらって生活してゆくのですから、奥様やご家族はたいへんなご苦労をされただろうと察します。

今でこそ相田館長は私たちのために笑い話のように語ってくださりますが、当時の苦労は察するにあまりあるのです。

それでも、相田みつを先生は、家族のささやかな喜びを大切にして、「今が我が家で一番いい時」と言って暮らしてきたというのです。

そしてそれだからこそ、奥様はやってこられたというのです。

「今が一番いい時」と言われると、苦労も苦労でなくなるのでしょう。

「今を大切に生きる」禅の教えを学んで、その教えを日常の中に溶かしきっって生きておられた相田みつを先生のお姿が実に尊く思われるのであります。

毎回来て良かったと思う相田みつを美術館なのです。

今年も大晦日、私たちは、この一年「今が一番いい時」と思っていた時は、どれほどあったろうかと反省するのであります。

 
横田南嶺

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