こちらから
という言葉があります。
禅語としても使われることがあります。
蛇は一寸だけでも見ることが出来れば、その大きさが分かるものです。
人は一言発したその言葉を聞くだけで、その人となり、長所や短所までわかるというのです。
もっといえば、一言発する以前に、その姿を見るだけでおおよその見当がつくものだともいえましょう。
たったひとつの行動で、その人の人格が分かるということがあります。
致知出版社の企画で、全生庵の平井正修和尚と対談させてもらうことがございました。
今北洪川と山岡鉄舟というテーマでありました。
その折に、山岡鉄舟について、私なりに改めて勉強し直していました。
山岡鉄舟居士は、大酒飲みで大飯くらいで、破天荒な一面があります。
お酒を七升呑んで平気であったとか、ゆで卵九十七箇食べたとか、信じがたいような逸話があります。
また貧乏ばかりしていて、暮れに借金取りがやってきても、
酒飲めばなぜか心の春めきて借金取りは鶯の声
と詠って平然としていたという逸話からも、豪放磊落な印象があります。
しかし、鉄舟居士という方は、実に裏表のない誠実な方だと思います。
そのことを物語る行動があります。
鉄舟居士はもともと小野家の生まれでした。
両親が早くに亡くなって、しばらく親戚の家に身を寄せていました。
それから二十歳の時に槍の師匠・山岡静山について槍術を学びました。
その山岡静山もすぐ亡くなってしまって、山岡家の養子となったのです。
鉄舟居士の人となりを表す行動というのが、山岡静山のお墓にまつわる話であります
嵐の日の晩になると山岡静山のお墓に幽霊が出るという噂がたったのだそうです。
高橋泥舟がそのことを確かめようとしました。
泥舟は、ある嵐の晩にお墓を見に行ってみたら、なんと鉄舟居士がいたのでした。
山岡静山は雷が嫌いだったので、嵐の日になると鉄舟居士は、お墓にお参りして自分の羽織を脱いでお墓に掛け、「先生、鉄太郎がおります。安心してください」と言っていたのだそうです。
自分がお世話になった師に対するまごころを裏表なく実践しているのであります。
こんなひとつの行動で、鉄舟居士が如何に誠実で裏表の無い人格であったかがよく分かるのであります。
そんな人柄だからこそ、西郷隆盛が鉄舟居士に会って、
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にし国家の大業は成し得られぬなり」と言ったのです。
一般に江戸城無血開城は、西郷隆盛と勝海舟とが会って実現したと言われますが、その前に鉄舟居士が命がけで、駿府の西郷に出会って談判していたからこそ実現できたのです。
月刊致知の一月号に松下幸之助の言葉がありました。
なんでも、松下政経塾の第一期生に町の電気屋で実習をしてもらうことになった時のことだそうです。
政治家を目指している塾生たちの中には大反対して、なぜ電気屋で研修するのかと食ってかかったというのです。
そして、ある塾生が電気屋のご主人とトラブルになり、
「自分は悪くないのでもう電気屋に行かない」と言い張りました。
その時に松下幸之助は、
「君な、相手が五歳の子供でも、自分に九十五%の正当性があっても五%の非があったら、土下座して謝れるような人間でなかったら、天下は取れんぞ」と言ったのだそうです。
こういう言葉も人となりを表していると思いました。
これは天下を取るための処世術として説かれたのかどうか分かりませんが、やはり誠実な人となりを感じるのであります。
今の時代は詫びることは難しくなりました。
下手にあやまると、責任問題になるということも耳にします。
しかし、まず素直に詫びることは大事だと思います。
唐代の禅僧である趙州和尚は六十歳まで修行して、さらに行脚を始めて、そのときにたとえ七歳の童子でも私よりすぐれた処があれば教えを乞おう、八十の老翁でも自分より劣ったところがあれば教えてあげようという志を立てて二十年の修行を積まれたといいます。
そして八十歳まで修行を積んでようやく住職されたのでした。
百二十歳で亡くなるまで教えを説き続けられました。
願いが大きかっただけに、活動も大きかったのだと思います。
童子であっても教えを乞おうという気持ちが尊いのであります。
禅では志は高く、仏祖の頭を踏んづけてゆくくらいの気概を持つことを説きながら、同時に実際の行いは、童子の足下にもひれ伏す謙虚さを持たねばならないと説くのであります。
坂村真民先生に「こちらから」という詩があります。
こちらから
こちらからあたまをさげる
こちらからあいさつをする
こちらから手を合わせる
こちらから詫びる
こちらから声をかける
すべてこちらからすれば
争いもなくなごやかにゆく
こちらからおーいと呼べば
あちらからもおーいと応え
赤ん坊が泣けばお母さんが飛んでくる
すべて自然も人間も
そうできているのだ
仏さまへも
こちらから近づいてゆこう
どんなにか喜ばれることだろう
なかなか実行は難しいと思いますものの、こんな気持ちで生きてゆきたいものであります。
横田南嶺