一大事
なにか抜き差しならぬ事態が生じた時に、「それは一大事ですね」と、言ったりします。
『広辞苑』で「一大事」という言葉を調べてみても、まず「容易ならぬできごと。重大な事態・事件。」という解説があります。
「お家の一大事」などという用例も示されています。
それから、もうひとつ、仏教の言葉として、
「仏がこの世に出現する目的である一切衆生を救済すること。」と解説されています。
さらに『広辞苑』には「一大事因縁」という言葉も載っていまして、こちらは、
「仏がこの世に出現する最も大事な理由。一切衆生を救済するという大目的。法華経に説く。」
という説明がなされています。
仏教の言葉であり、『法華経』も関わってくるとなると、岩波書店の『仏教辞典』を調べてみようと思います。
すると、
「一大事」という言葉がありました。
「ただ一つの重大な事がら、または仕事の意。
法華経方便品では、一切衆生にたいして仏の智慧(仏知見、如来知見)を開き示し悟らせ、その道に入らせることが<一大事>とされ、その目的のために仏がこの世界に出現するとされる。
同品に「ただ一大事因縁を以ての故に、世に出現す」とある経文から広く用いられるようになった。」
と解説されています。
更に「また、禅家では修行の眼目という意味で用い、<大事>ともいう。」という説明もあるのです。
禅宗で用いられるとなると、『禅学大辞典』を調べてみます。
すると「一大事」とは
まず「最も大切なこと。参禅弁道の一大事の意で、絶対の修行、即ち坐禅をいう。」と説かれています。
それから
二番目に「一大事因縁の略。一大事因縁もっとも重大な因縁。一大事のための因縁。例えば釈尊ならびに諸仏はみな等しく、成仏得道とか衆生済度を一代の使命として現世に出現されたという重要なる縁由のことをいう。」
と解説があります。
ついでに大事を調べると
「一大事、一大事因縁とも.仏の出世の本懐、すなわち一切衆生を仏の知見に悟入させるべきこと。」
更に二番目に「禅家では、衆生が仏知見を開悟する面が強調され、大悟という意に用いられ、「大事了畢」の語も生れた。」
と解説されています。
そこでこの「一大事」という言葉を整理しますと、一般的には、
「もっとも大事なこと」という意味であり、それは『法華経』にある言葉がもとになっているということです。
『法華経』にはどのように説かれているかというと、原文を参照しますと
「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。」
とございます。
どういう意味かというと、
「もろもろの仏は、すべての人びとが本来そなえている仏の智慧を開かせて、煩悩のけがれをとりさって清浄にするために、この世に出現なされた。
すべての人びとに仏の智慧を示そうとして、この世に出現なされた。
すべての人びとに、仏の智慧を悟らせようとして、この世に出現なされた。
すべての人びとを、仏の智慧の道に導き入れようとして、この世に出現なされた。舎利弗よ。これを、もろもろの仏が、ただ一大事の因縁があるからこそ、この世に出現されたというのである。」
ということです「。
そこから、『広辞苑』で説かれているように、
「仏がこの世に出現する目的である一切衆生を救済すること。」という意味なのであります。
それから、もうひとつ禅においては、佛の智慧を開くという面が強調されて、大悟すること、修行を完成させることを説くのであります。
それから、もうひとつ注目すべきことは、人々を救済するということは、人々に佛の智慧を開いてもらい、その佛の智慧の道に入らせてあげることだというのであります。
やはり仏教は智慧の教えでありまして、救うということは、人に佛の智慧を開いてもらうことなのであります。
佛の智慧を開いてこそ、苦しみから救われるということなのです。
江戸時代の禅僧に一絲文守という方いらっしゃいます。仏頂国師と申します。
慶長一三年1608年に生まれて正保三年一六四六年に亡くなっています。
かの沢庵禅師にも参禅された方です。
寛永二十年、永源寺に住しますものの、その三年の後、三十九歳でお亡くなりになっています。
しかしながら、学徳共にすぐれた禅僧であり、後水尾天皇から国師号も下賜されているのであります。
この方に「吟詠を誡む」という漢詩が残されています。
大事因縁、山よりも重し。
僧と為って了ぜずんば、又何の顏ぞ。
悲むべし、近世聰明の種。
老却す、推敲両字の間。
という詩です。
大事因縁は、山よりも重いものだ、僧となってこの大事を終えなければ、どの顔をしたらいいというのか。悲しいことに近世の聡明な輩は、漢詩文を作ることばかりに熱心で、漢詩の推敲をしている間に年を取ってしまうぞ。
という意味であります。
この頃の禅僧の間には、五山文学という漢詩文を作ることが盛んだったのでしょう。
漢詩の文章を推敲ばかりしているよりもしっかり参禅して、佛の智慧をまず開けということであります。
そうして更に多くの苦しむ人々にも佛の智慧を開いてもらうように務めるのであります。
というわけで、十二月は、一日から八日の明け方まで、外に出かけず坐禅に集中して、まずは禅宗の「一大事」と取り組むのであります。
横田南嶺