がんばらない
十二月になると、私たち禅宗の僧侶は、気が引き締まります。
師走で、忙しくなるからではありません。
年に一度の臘八大摂心という修行期間になるからなのであります。
紅葉の葉が赤く色づいてくると、もうすぐ臘八だと思うのであります。
お釈迦様が十二月八日の明けの明星を見て悟りを開かれたという故事に因んで、十二月の一日から八日まで、一週間を一日と思って坐禅に集中するのであります。
この臘八の修行になると、毎年私が、修行僧に伝える言葉があります。
『森信三一日一語』(致知出版社)にある森先生の言葉です。
「人間の真価を計る二つのめやす―。一つは、その人の全知全能が、一瞬に、かつ一点にどれほどまで集中できるかということ。もう一つは、睡眠を切りちぢめても精神力によって、どこまそれが乗り越えられるかということ」の一語です。
一週間、坐禅の時には坐禅堂の窓を開けっ放しにして坐り抜きます。
これくらいの覚悟が必要なのです。
その道で生きてゆくならば、これくらいの気概が必要です。
『論語』にある「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」の一言も紹介します。
「何もかもなげうって死さえもいとわないほどの価値ある宝が見つかったときにこそ、人はほんとうの意味で生きる」(アントニー・デ・メロ『心の歌』より)という言葉が、この『論語』の言葉の精神をよく表しています。
人間一生で何を得るかは、何をかけるかにかかっているのです。
そんな次第で、十二月になると、がんばるぞと思うのであります。
そういいながらも本日の題は、あえて「がんばらない」なのであります。
このYouTubeラジオも今年の緊急事態宣言になってから始めて、もう一年近くになります。
この秋に緊急事態宣言が開けたので、もういいかなと思ったのですが、毎朝楽しみにしていますというお声をいただくと、やめるにも忍びず、続けさせてもらっています。
そこから、また新しいご縁がつながってきたのでありました。
なんと他の宗派のお坊様もご視聴いただいているようであります。
御念仏のお宗旨の方からも御礼のお手紙をいただいたりしました。
最近、そのお寺の教化誌を送っていただきました。
それが、実にすばらしいものなのでした。
まず表紙から拝見しても、仏教の冊子であるという感じがしないのであります。
時代に合わせてというのか、特集もコロナについて、たいへんな目に遭われている方々の率直な声が綴られています。
飲食業界の方は、自分たちは休業して協力金をいただくことができても、取引先の業者さんは、補償がないので、感染対策を徹底してお店を開かれたという話もありました。
それなのに飲食店が悪者扱いされるというやるせない思いが書かれていました。
京都のみやげ物店の店長さんは、観光客がなくなったので、お店で野菜を販売し始めたとか、劇団の座長さんは、本当に打つ手がないという苦悩を綴られています。戦中戦後の苦労をされた方からは、「戦後のほうがよかった」と言われたとか。
戦後は、たいへんだったのですが、まだ田舎を巡業すればなんとかやっていけたというのです。今回のコロナ禍は「集まるな」ということですから、劇団にとってはどうしようもないというのです。
そんないろんな方々の思いが書かれていながらも、それでいて、きちんと御念仏の教えも説かれているのであります。
読み進むうちに、仏教の教え、御念仏の心がしみこんでくるような冊子なのであります。
そのなかに、鎌田實先生の文章もありました。
「がんばりながら、がんばらない」というのです。
鎌田先生は、「生きていくにはがんばらないといけない」と思ってきたと書かれています。
患者さんにも「がんばりましょう」と声をかけていました。
ところがある四十代の末期ガン患者さんに声をかけたら、
「先生、もうこれ以上がんばれません」
と言われたのでした。
鎌田先生は、どんな人でもがんばれなくなる時があると知って、それ以来「がんばれ」という言葉は使わないようにしたというのであります。
そんな思いが、鎌田先生の名著『がんばらない』になったのだと思います。
京都の妙心寺の管長をお勤めになられた河野太通老師は長い間神戸の祥福寺僧堂の老師様でした。
この老師にうかがった話を思い起こします。
老師は神戸にいらっしゃった頃、あの阪神大震災を経験されました。
その老師が仰せになっていたのでした。
阪神大震災の時、老師のお寺で葬儀がありました。
あるお家でご主人と奥さんと息子さんと三人が家の下敷きになって即死だったそうです。
中学三年の娘さんだけが二階に寝ていて助かりました。
娘さんから見れば一瞬のうちにお父さんとお母さんと弟を亡くしたのです。
お寺でお葬式です。火葬場が混んでいて、三日間本堂に安置しました。
老師も「お父さんとお母さんと弟の分までがんばって生きていくんだよ」と声を掛けたそうです。
お嬢さんは歯を食いしばって涙もこぼさずにがんばっていたそうです。
いよいよお葬式、ご出棺という時になりました。
はじめに本堂からお父さんの棺が出て行きます。次にお母さんの棺が出て行きます。
最後に小さな弟さんの棺が出て行くときに、お嬢さんがその弟の棺にしがみついて大きな声を上げて泣き崩れました。
そのときに老師は思ったそうです。
「もうがんばれはいらない。その子はがんばったんです。ずっと涙ひとつ見せずに堪えて堪えて、がんばってきたんです。もうこれ以上何をがんばれと言うのか、がんばれはもう聞きたくない」
と老師は仰せになっていました。
がんばって、がんばって、もうこれ以上がんばれないというところまで、がんばることであります。
そこではじめてフッとお弥陀様のお光りの中に包まれるという体験があるのであります。
鎌田實先生の諏訪中央病院にお招きいただいて、今年も鎌田先生がおはじめになった「ほろ酔い勉強会」に出講しました。
そのときの内容は以前にもご紹介したことがあります。
このたび動画が公開されましたので、御案内させていただきます。
ご視聴いただければ幸いであります。
横田南嶺