塵を払わん、垢れを除かん
鍵山秀三郎先生の教えを学んで、お掃除をなさっている方々の会であります。
その時に、なにか掃除について話をして欲しいと頼まれて、とっさに思い出したことがありました。
中学か高校生の時でしたか、もはや記憶が定かでありませんが、担任の先生から「そうじについて作文を書くように」と言われました。
私は、その頃生徒が登校する前に、学校の廊下などの掃除を日課にしていましたので、掃除が如何に大切であるか、人が生きるということは、その環境から如何に大きな影響を受けるか、心をきれいにするにはまず掃除からだと、一所懸命に書いて担任の先生に提出しました。
担任の先生は、じっと私の作文を読んで、笑いをこらえきれないようでありました。
私はいったい何がおかしいのかわかりませんでした。
すると、先生は、もうおかしくてたまらないという様子で、「掃除の作文ではないよ、こんどの卒業式に卒業生を送る送辞の作文を書いて欲しいと頼んだのですよ」と言われました。
在校生を代表して送辞を読むということだったのでした。
当時の私は、「そうじ」といえば「掃除」のことしか頭になかったのでした。
出家して禅宗の僧侶になってからというもの、掃除は朝起きて顔を洗うように日課となりました。それは今も続いています。
あまりにも日常になりすぎてしまうと、つい惰性になっていないかということを反省します。
仏教で、掃除というとなんといっても周利般得の話を思い出します。
周利般得の話は、いろんな方が使われるので、ご存じの方も多いと思います。
また出典によって、多少話が異なる場合もありますが、私は手元にある『仏弟子物語』(第一書房)という本を参照させていただきます。
バラモンの生まれで、摩訶般得と周利般得という兄弟がいました。
兄の摩訶般得は、とても聡明で、いろんな学問を修めて、あらゆる書物を読破して、智慧は海の如しと言われるまでになっていました。
ある日町に出てみるとたいへんな人だかりに出くわしました。
お釈迦様の高弟である舎利弗と目連の一行が来るのを皆が待っているというのでした。
夜になって、摩訶般得は林を歩いていると、一人の僧が樹下で坐禅をしていました。
それが舎利弗でありました。
摩訶般得は、舎利弗に教えを請いました。
舎利弗は、四諦、十二因縁などの教えを説きました。
感動した摩訶般得は、お釈迦様のお弟子になったのでした。
出家した後の摩訶般得は、昼は経典を唱え、夜は専ら思惟するという具合で、寸時も道を修めて日ならずして煩悩を離れて悟りを得たのでした。
ところが、摩訶般得の弟である周利般得は、兄とはまったく逆で、きわめて愚鈍で学問をさせてもすべてを忘れてしまうのでした。
ときには自分の名前さえも忘れてしまって、首に名札をさげて歩くという始末だったというのです。
こうした周利般得を父は深く憐れんで、亡くなる時に兄の摩訶般得を枕辺に呼び、愚かな弟のことをくれぐれも頼んで亡くなったのでした。
このようなことから、兄は弟の面倒をよくみましたが、兄の摩訶般得が出家してからは一人家に残されるようになって、貧乏になって哀れな生活が毎日続きました。
そこで兄の摩訶般得はお釈迦様にお願いして、とくにこの愚鈍な弟も出家させました。
そして兄は弟に一つの詩を教え、毎日これを唱えさせたのでした。
身口意の三業に悪を作らず
一切の生類を愍み
空を正念に観ずれば
貪瞋癡の苦悩を離る
というものでしたが、この周利般得は三箇月たっても、その一章さえどうしても暗誦することができなかったのです。
ところがその近くにいた羊飼いが、いつとはなしにこの偈を耳にして覚え、これを暗誦しました。
周利般得は驚いて毎日この羊飼いのところに通ってその詩を習ったのでした。
ところがやはりこの詩を覚えることはできませんでした。
さすがの兄の摩訶般得も呆れ果て、
「あなたのような奴は愚鈍の愚の極まれるもの、仏の法を学ぶ資格はない」
と言って、祇園精舎の門外に追放してしまいました。
兄にも見放された周利般得はただ泣くだけでありました。
己の愚かさに泣きながら、彼はその場に立ちつくしていました。
その姿を御覧になったお釈迦様は、彼の傍に立たれ、「自分が愚かであると知っているものはむしろ智者であり、愚かでありながら、智者を名乗るのが真の愚かである」
と言って周利般得の肩をやさしく撫でながら、彼に一本の箒を与えられました。そして毎日寺の庭を掃きながら、
「塵を払わん、垢を除かん」
の、ただ短かい二句だけを暗誦えるように訓されました。
この日から周利般得は怠ることなく庭を掃き続けました。
この二句の意味を深く知るところとなり、暇さえあれば、この二句を誦し続けてやまなかったのでした。
このようにして日を重ね、払うべき塵とは何か、除くべき垢とは何か、それはわが心のうちにある塵、わが心のうちにある垢であることを悟るようになり、ここに至って熱心に道を修め、まことの智慧を得て悟りを開きました。
これを聞いた兄の摩訶般得は喜びのあまりに駆けつけ、
「弟よ、汝もとうとう悟ったか」
と慰めたところ、周利般得はただ黙って、やさしく微笑むだけでした。
この周利般得の悟りはたちまちにして大きな驚きとなって教団の内外に伝わりました。
仏教以外の外道の人びとは、あの愚者が証悟できる仏教の底の浅さを謗り、また教団内においてもこれを疑う者もありました。
そこで釈尊は、比丘尼精舎において周利般得に説法させられたのでした。
ここにおいて彼は訥弁ながら教えの要諦を余すところなく理路整然と宣説してやまなかったので、その座にいた者のことごとくは深く感動し、さわやかに心の垢を洗われて、周利般得に師事する者が多かったというのです。
お釈迦様は
証りを得るに
多く学ぶを要せず
一偈といえど
真に意を注がば
道を修むべし
と仰せになったのでした。
何度学んでもいい話であります。
道を求めるには、なんといってもこのひたむきなところが大切であります。
横田南嶺