主人公はいるか
何をするでも語るでもなし、ただ「毎に自ら主人公と呼び、復た応諾す」と書かれています。
毎日岩の上に坐って自ら「主人公」と、自分で呼んでおいて、自分で「ハイ」と返事をしていました。
主人公とは何でしょうか。
『広辞苑』で調べますと、
①主人の敬称。
②小説・脚本などの中心人物。
ヒーロー・ヒロイン。
③[無門関]禅で、自己の本来の主体。瑞巌彦和尚は、毎日自分に「主人公」と呼びかけ、「はい」と返事をしていたという。
という解説があります。
それでは「主人」を調べてみると、
①一家のあるじ。
②自分の仕えている人。
③人を貴んでいう語。
④妻が夫を指していう称。
⑤客に対して、これをもてなす人。
という意味であります。
一家の主人、主のことですが、これはいったい何を指すのでしょうか。
これは自分自身が本来持って具えている本心、仏心を指します。
本来の面目などとも表現します。本来の自己という意味です。
瑞巌和尚は、自分で「主人公」と呼んで「ハイ」と答えて、更に「惺惺著、諾」と言っていました。
惺惺の惺はさとる、しずか、はっきりこころが目覚めていることをさします。
惺惺著でしっかり目を覚ませよというほどのことです。
「しっかり目を覚ませよ」と言って、また自分で「ハイ」と返事をしていました。
更に又「他時異日、人の瞞を受くること莫れ、諾諾」と言っていました。
瞞とはあざむく、いつわることです。人の瞞を受くる事なかれで、人にだまされてはならぬゾという事になります。人にだまされるな、たぶらかされるなと言ってまた自分でハイハイッと返事をしていました。
『無門関』にあるお話であります。
山本玄峰老師の言葉に、
「自分の総大将たるものは何ぞ、自分の総大将はどこにおる。目が大将か、耳が大将か、口が大将か、手が大将か。
精神力、精神力というが精神力とは何じや。ある場合には憎いとなつたり、ある場合にはかわいいとなったり、ある場合には好きとなったり、ある場合にはきらいとなったり、腹が立つてみたり、ことによると、ときにはからだの置き場のないほど身を苦しめ、頭を苦しめる。」
というのがございます。『無門関提唱』にあります。
銘々がほんとうに自分の主になっているのでしょうか。
総大将が外にいて、それに振り回されていることはないでしょうか。
或いは自分自身の感情に振り回されていないでしょうか。
山田無文老師の『臨済録』のオビには、
臨済がみんなに求めるところは、人にだまされるなということだ。
学問にだまされるな、社会の地位や名誉にだまされるな。
外界のものにだまされるな。
何ものにもだまされぬ人になれ、それだけだ。
と書かれています。
茨木のり子さんの「倚りかからず」という詩を思い出します。
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
というのであります。
実に痛快な言葉です。
禅は更に、その椅子の背もたれにも倚りかからずに、腰骨を立てて坐るのであります。
おもえばブッダも『カーラーマ経』という経典のなかで説かれていました。
人から聞いたこと、古い言い伝え、世間の常識、あるいは文字になっているもの、そういうものを鵜呑みにしてはいけない。想像、推測、外見、可能性、あるいは師の意見、そういうもので教えが真理であると決めつけてはいけない。
自分が直接、「この教えは正しくない、間違っている、賢者も批判している。この教えを実行すると弊害があり、人々が苦しむ」とさとったとき、それを捨てればいい。自分が直接「この教えは正しい、間違いがない、賢者も称賛している。この教えを実行すると人々が豊かになり幸福になる」とさとったとき、それを受け入れ、実践すればいい。
と、説かれたのでした。
至道無難禅師が「人は家を作りて居す。仏は人の身を宿とす。家の内に亭主つねに居所あり。仏は人の心に住むなり」と仰せになっています。
主が居なければ家は治まりません。そうかといっても、わがまま勝手で傲慢な主ではこれまた却って、家中は混乱します。
主といって特別のものがあるわけではありません。
まわりの番頭さん手代さん丁稚さん、裏方のものまで皆含めて調和して成り立っているのだと気がついた者が本当の主です。
無難禅師はそのあとに「慈悲にものごとやわらかなれば、こころ明らかなり。心明かなればほとけあらわるるなり」と続けています。
慈悲のこころをもって、万事ものごとやわらかに接してゆくと心が明るくなり、仏の心が現れます。それこそ、本当の主人公です。
主人公はいるか、常にお互い自分自身に問いたいものです。
横田南嶺