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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.09.23
今日の言葉

箱の外に出る

ある日の寺務所でのことです。

寺には法務部長という役職があって、円覚寺において行われる仏事法要の一切を取り仕切る部長さんであります。

余所のお寺から、円覚寺の管長に依頼された仕事が入って、その法務部長に確認をします。

私が、「何月何日、寺にいなくてもだいじょうぶですか」、と確認します。

法務部長が、すぐに手帳を確認して、「その日はだいじょうぶです」と答えます。

また、別の日の調整になって、私が更に「あと何月何日もいなくてもだいじょうぶですか」と確認します。

すると法務部長が、また確認して、「その日もだいじょうぶです」と答えてくれます。

ついでに私が一言余計に、「そのうち、いつもいなくてもだいじょうぶということにならないかな」と、
そう言っては皆で笑っていたのでした。

いなくてもだいじょうぶなくらいが、お寺も平和な証拠でもあります。

もっとも、只今はコロナ禍で、様々な行事ができなくて、暇であることもあります。

組織などというのは、多くの人の力が合わさって保たれるものでありますから、自分がいなければ駄目だなどと思い込んでしまうと、かえってよくないものだと思っています。

いてもいなくても分からないくらいでいいという気持ちで務めているのであります。

そんな会話をしたあとに、毎週送られてくる『日本講演新聞』に興味深い話が載っているのを読んでいました。

九月十三日号の社説であります。

社説を書かれた水谷もりひとさんが、「週末に『しんがり』という、全6話のドラマを観た」そうなのです。

そのドラマの「サブタイトルは『山一証券 最後の聖戦』」というものだそうです。

「日本四大証券の一角を担っていた山一証券が、長年にわたり巨額の損失隠しをしていたことが明るみに出て、幹部が次々に逮捕。1997年11月に自主廃業するまでの半年間をドラマにしたものだ」そうです。

そんなことがあったのを思い起こします。

「創業100年を誇る山一証券がなぜ廃業に追い込まれたのか、その真相を究明する社内調査委員会のリーダーで、ドラマの主人公・梶井が山一証券のドン・有原元会長に迫るシーン」があるそうです。

 「なぜ約8000人の社員と顧客を裏切るような不正をしたのか」と問い詰められて、「私は誰よりもこの会社を愛していた。この会社を守るためだった」と答えたのでした。

このドラマの一幕を紹介して水谷さんは、「アメリカの経営コンサルタント会社が出している『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(大和書房)という自己啓発系の小説」を思い出したそうなのです。

この本には「箱の中にいる」「箱の外にいる」、「自己欺瞞(ぎまん)」「自分への裏切り」等々という言葉が出てくるというのです。

「「自己欺瞞(ぎまん)」とは、自分の問題に自分が気付いていないこと。だから自分は常に正しく、自分に起こる不都合なことは誰かのせいだと思っている。その状態に陥ることをこの本では「箱の中に入っている」と呼ぶ」のだそうです。

自分のやることは正しい、自分は組織の為に必要だなどと思い込んでいるのは、箱に中に入っていることなのです。

水谷さんは、

「「箱の中」に入ってしまうと、相手を責めるようになる。その結果相手も「箱の中」に入ってしまう。」と指摘されています。

自分が正しいと思い込んでいるのですから、相手がおかしいと責めるようになるのです。

山一証券元会長の「会社のためにやったんだ」というのも、箱の中に入っているのです。

水谷さんは、

「「会社のため」「子どものため」「あなたのため」と言っている時、その人は自分のことしか見えていないというのである。

 さて、どうしたら「箱の外」に出ることができるのか。この本を監修した金森重樹さんは言う。「まず自分が今箱に入っているのではないかと疑ってみることです」と説かれています。

「会社のため」だと言いながら、自分の都合を考えているのが人間です。

「あなたのため」だと言いながら、自分の都合を考えているのです。

そのことに気がついていないのが、「箱の中にいる」という状態であります。

円覚寺の開山仏光国師の語録を読んでいると、国師が二十二歳の頃に夜通し坐禅をなさっていて、朝方の板木を打つ音を聞いて、本来の自己に目覚めた体験が書かれています。

本来の自己とは、「なんとこんなにも広大であったか」と感動されたのでした。

そして、その折りに、「歴劫以来螻蟻窟中に坐地す。」と述懐されています。

遠い昔から今まで自分は蟻の巣の中に坐っていたのだと気がついたというのです。

このように気がついた時に、「箱の外」に出ることができたのであります。

黒住教の黒住宗忠師は、

海あれば山もありつる世の中にせまき心を持つな人々

と説かれました。

自分の都合ばかりでものを見ている狭い世界にお互い閉じこもりがちであります。

広い心に目覚めたいものであります。

そのためにも、自分は箱の中にいるのではないかと、常に自分自身を見つめて点検することであります。

 
横田南嶺

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