かげにあるもの
「無月の譜」という題に、なぜか心惹かれて読み始めたのでした。
もう二百五十回を超えていますが、毎回読んでいるのです。
我ながら珍しいことだと思っています。
将棋のプロ棋士を目指して奨励会に入りながらも、プロにはなれずにサラリーマンをなりながら、大叔父が将棋の駒を作っていたことを知り、その大叔父のことやその駒の行方を尋ねてゆく話です。
大叔父にあたる方は、先の大戦で若くして亡くなったのでした。
駒作りに励みながら、将来を夢見て戦地で亡くなったのです。
その駒を探して、小説の主人公が、はるばるシンガポールを訪ねたのです。
そこで、現地の方との会話が、先日載っていました。
こんな会話に興味を持ちました。
「彼ら一人一人の死のおかげで、ぼくらの今のこの生活が可能になっている、彼らの死という礎石のうえに、ぼくらの生活が築かれている、と、何かそんなことをね……。
そう、戦後五十何年、日本はともかくずうっと戦争ってものを体験せず、曲がりなりにも平和を享受してきたじゃないですか。
まあアメリカの尻馬に乗っかって、間接的には手を汚すようなことも何やかやいろいろあったし、今もあるのかもしれないけど、戦後の日本人はとりあえず安穏と暮らしてこられた。
実際、ぼくも、それからたぶん竜介さんも、そりゃあいろいろ小さな苦労はあるとしても、けっこう好き勝手なことをやって、のんびり生きていける身の上でしょう。
幸運にも、そういう幸せな時代に生まれつくことができたということですよね。
でも、その安穏、その安楽ってのは、彼らが半世紀前に、自分の死という代価を払って、ぼくらのために獲得してくれたものなんじゃないのか。
ぼくには何かそんな気がしてならないんです。
彼らの死のおかげで、ぼくらの「今」がある。
いや、厳密にはどういう因果関係があるかなんて、ぼくは歴史家でもないし、わかりゃあしませんよ。
しかし、ぼくは直感的にそう思うんだ。
っていうか、そう思いたい。っていうか、そう思わなくちゃあ、ちょっとやりきれないんだ。」
という言葉でした。
今から二十年ほど前の話という設定です。
恐らく、この小説を書いた方の思いがこもった一文だと察しました。
確かに厳密にどんな因果関係があるのかというと、難しいものでしょうが、今を生きる私などにもそのように思わざるを得ない気がします。
金子みすゞさんの「大漁」という詩を思い起こします。
「大漁
大漁だ
大漁だ
おおばいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしのとむらい
するだろう」
浜で、大漁だといって喜んでいるということは、その背景に海の中の魚は、それと同じだけ無くなっているのです。
これは事実であります。
事実でありますけれども、浜で喜んでいる時には、そのようなことを思ったりしないのです。
毎日新聞の八月十三日の論点という欄で、法政大前総長の田中優子先生が書かれていました。
田中先生は、今回の五輪に触れて、
「ただ、今回の五輪をあまり見ることができなかった。
母の老老介護に加え、私の体調も良くなかった。
その時、今の日本に「五輪どころではない人々」がたくさんいることに想像が及んだ。
コロナ患者、対応する医療従事者。
コロナ禍で仕事を失って求職中の労働者や食料を配布する列に並ぶ人など。
賛否以前に五輪を楽しめるか否か。
ここに大きな分断があった。これが「五輪後」の日本で、どんな亀裂になるのか。」
と書かれていて、この文章にも考えさせられました。
あまり関心がないから見ないというのはいいと思いますが、見ようにも見られない方というのがいらっしゃるのであります。
もちろんのこと、そのような人々の事を考えていては何もできないと言われるのかもしれません。
しかし、それでも私たちは、何においても、そのかげにあるものを思うことを忘れてはならないと思います。
禅寺では、毎回の食事の時に、食材のそれぞれがどういうところから来ているのか、それにどれくらいの手がかかっているのか、自分にそれをいただくだけの仕事をしているか考えていただくように、唱える言葉があります。
そして、ご飯なりお粥なりをいただく前に、数粒の米を取りあげて、鳥たちに施します。
その時には、今自分たちは、こうして食事をいただくことができるけれども、日本はもちろん広い世界には、今も飢えに苦しんでいる方もいるのだということを思うのであります。
こういう心は大切だと思います。
目に見える世界と目に見えない世界とがあります。
目に見える世界というのは、目に見えない世界によって、成り立っているといえましょう。
私たちは、目に見える世界のみに心をとられがちでありますが、見えないところにも心を向けることが大切であります。
そして、こういう心こそが慈悲の心を涵養してゆくのだと思っています。
横田南嶺