うれしいこと -『坂村真民詩集百選』増刷 –
すでに四刷りであり、一万三千部になるとのことであります。
昭和五十六年(1981)、私が高校生の頃に、真民先生の『生きてゆく力がなくなる時』という本を読んで感銘を受けて、それ以来真民先生の詩を読み続けてきました。
今年で実に四十年になります。
この本を出版した時の思いが、本のあとがきに書いていますので紹介します。
「致知出版社から、坂村真民先生の詩を百篇選んで詩集を出したいという依頼がありました。百選というのは、入門書としてはふさわしく、少しでも多くの人に真民詩を知ってもらうには、とても良いことだと思い、その時は気軽に引き受けてしまいました。
自分自身、多年真民詩を読んできて、また法話や講演での資料としても用い、近年真民詩についての本も出しているので、少し時間をかけて選べばできるだろうと思ったのでした。
しかし、引き受けてからの二ヶ月は、そんな自分の憶測がいかに甘いものであったかを思い知らされることになりました。
まず、坂村真民全詩集から、百の詩を選ぶつもりで、ざっと選んだのが三百を超えてしまいました。
それを、先ず二百に減らすのに苦労しました。更に減らし減らして百五十にまで絞りました。
そこからが大変でした。どれを減らすか、どの詩も読んでいると、とても削れないものばかりなのでした。
そこで真民先生が「捨てる」ことの大切さを説かれていることを改めて思い知らされました。
百選を編むにあたってはじめは、「愛」、「道」、「花」、「和」の四つの章でまとめようと考えましたが、「愛」の一章に、母への思いや家族への愛をすべて収めることは困難であると気づき、もう一つ章を増やして、はじめに「母」の章を置くことにしました。
真民先生は「母」への思いを抱いて、「母」への恩返しの為に詩を作りました。そしてなにより家族を「愛」しました。「愛」することこそが、真民先生にとっては生きることそのものでした。
更に真民先生は、坐禅をし、一遍上人を慕い、生涯をかけて「道」を求められました。晩年に到るまで求道の生活を貫かれました。
そして、最後に到ったのは、一輪の花や鳥、露や虫たちに到るまで、この世のあらゆるものがお互いに調和して生きる「和」の世界でした。それを晩年に大宇宙大和楽と表現されました。」
という次第であります。
坂村真民全詩集八巻をくり返しくり返し読んで、「母」、「愛」、「道」、「花」、「和」という五つの章に、二十ずつの詩を選んだのでありました。
今までたくさんの本を出してきましたが、私が最も苦労した本でありますので、思い入れの深いものがございます。
出版が不況だと言われる中で、四刷りまで出して下さる致知出版社に感謝しますし、また一万人を超える方々に読んでいただいたことに感謝するばかりであります。
高校時代に真民先生と手紙のやりとりをさせていただき、個人詩誌『詩国』を送っていただいた、そのご恩に少しでもお返しができたように思います。
出版に際しては坂村真民記念館館長の西澤孝一様からは序文を賜り、身に余るお言葉をいただきました。
また真民先生の三女である、西澤真美子様からは、ご丁寧なお手紙を頂戴したのでした。
その一部を紹介します。
「いい表紙だなあと手にとっております。色も『はなをさかせよ よいみをむすべ』の一言も真民の人となりをしのばせてくれます。本当にありがとうございました。
私たち一般の者は得てして耳にやさしい目にもやさしい詩に感動もし、選んでしまいます。編集者は読者受けしやすい詩を選びがちです。
そんな中老師さまは、同じ道を進む者としての視点でお選び下さいました。そしてそれが真民の一番示したかった事であり、父の姿でありましょう。
老師さまでしか出来ないことであったと思います。
高校生のとき、お出し下さった手紙に父が返事を書きました折に、種がまかれ、『バスのなかで』の詩を紹介下さっている冊子が私の手元に届きました時点が蕾がふくらみ始め、真民記念館の開館にお言葉を下さいましたことが「はな」へ、そしてこの百選が「み」へと繋がったように感じております。
一連の時間をかけた流れが、静かに胸にせまってまいります。
めぐりあいのふしぎに手を合わせ感謝し心から御礼を申し上げたく存じます。」
というものです。
『バスのなかで』の詩というのは、私が東日本大震災の後によく引用していたものです。
そのことを書いた冊子を西澤真美子氏さんが御覧になって、私に手紙を下さったのでした。
そして愛媛県砥部町に坂村真民記念館が開館した折には、拙い書を送らせていただくことになったのでした。
そんな詩集百選が、このたび増刷四刷りを迎えたことを嬉しく有り難く感謝しています。
最後に百選の中から、「バスのなかで」の詩を紹介します。
バスのなかで
この地球は
一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない
そのような思いで
こみあうバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分よりも大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
その時
わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を
失わずにゆこうと
涙ぐましいまで
清められるものを感じた
いい匂いを放つ
まっ白い花であった
横田南嶺