理不尽
新潟にある英岩寺で修行していた白隠禅師は、そこにやって来た宗覚首座から正受老人の話を聞きました。
愚堂国師の法孫であり、実に手厳しい指導振りであることを聞いたのでした。
白隠禅師は、その頃すでに悟りを開いたという自負があったので、是非ともそのような方にお目にかかりたいと思ったのでした。
はるばる峠を越えて、飯山にやってきたのでした。
宝永五年(一七〇八)、白隠禅師まだ二十四歳の四月でありました。
ちょうど正受老人は、その時たまたま柴を刈っていました。
宗覚首座がお目通りを願うと、老人はちょっと振り返って「うむ」と言いました。
宗覚首座が「これは駿河の慧鶴という者です。親しく翁に謁見したいとやって参りました」と言うと、老人はまた振り向いて「うむ」と言っただけでした。
そこで宗覚首座は白隠禅師を連れて庵に行きました。
白隠禅師は宗覚首座に向かって、「この老人は尊大な態度で、おれなど眼中にないみたいだ。いずれ近いうちに、一回親しく相見せねばならん」と言いました。
という風に、白隠禅師の『年譜』には記されています。
そのあと、宗覚首座が、正受老人に白隠禅師のことを、どうかご指導くださいとお願いするのであります。
そのはじめて正受庵に泊まった晩のことであります。
正受老人は、はるばる峠を越えてやってきた白隠禅師にお風呂を沸かさせました。
今日では、お風呂を沸かすなどというのは簡単なことでありますが、昔は重労働でありました。
まず水を汲まねばなりません。
今のように蛇口をひねれば水が出るのではないのです。
水を汲んで、お風呂に入れて、薪で風呂を沸かすのです。
普通であれば、旅をしてきた僧の方が、お風呂に入れてもらうのですが、正受老人のところには、お風呂を沸かす人もいなかったのでしょう。
そこで、白隠禅師は、疲れた身体であったと思いますが、山の麓の小川から水を汲んで、火をおこして風呂を沸かしたのでした。
正受老人にお風呂が沸きましたと申し上げると、正受老人はお風呂に入ろうとして手を浴槽に入れた途端に、大喝一声、こんなぬるい風呂に入れぬと言って、あろうことか湯船の栓を抜いて風呂の湯を流してしまって、もう一度わかし直せと命じました。
また小川から水を汲んで運び、湯を沸かして、ちょうどいい湯加減だと思って、正受老人に告げると、今度もまた大喝一声、こんな熱い風呂に入れるかと。そこでまた栓を抜かれてしまいました。
またも風呂を沸かし直します。
小川の水を汲みにゆくと、水は凍るほどに冷たく、柴は夜気にしめってしまって、思うように燃えません。
夜も更けて、疲れた身体でようやく三度目の風呂を沸かして正受老人に伝えました。
今度は正受老人も黙ってお風呂に入られたのでした。
こんな話が『正受老人集』にはございます。
弟子を鍛える為というのだと思いますものの、私はこの話が好きでなく、あまりしません。
飯山でもしませんでした。
ぬるければ、もう少し火を入れてもらえばいいし、熱ければ水を足せばいいのに、二回も栓を抜くなどという行為は理解し難いのです。
「理不尽」といえば「理不尽」そのものです。
今はこのような指導はありませんが、それに近いようにご指導は無きにしも非ずでありました。
しかし、「理不尽」に堪えることにもいくらかは意味があると思って参りました。
先日八月八日の毎日新聞の日曜くらぶに連載の『新・こころのサプリ』には、海原純子先生が「理不尽さを変容させる」という題で書かれていました。
「理不尽だと思い反論しても理解されない時がある。相手が自分は正しいと思い込んでいて、決して自分は間違うことがないと確信している人に対しては何を言っても通じない。」
とはじめに書かれていて、正受老人を思い起こして、そうだな、こういう方には何を言っても通じないから、辛抱してお仕えするしかないのだなと思っていました。
どこの世界にだって「理不尽」なことはあるなと思ったのでした。
そこから更に海原先生は、
「理不尽な目に遭うのはなぜなのだろう」と考察されていました。
そして「もしかすると、それは他者の苦しみや無念な思いを自分のものとして感じられるためではないかと思う。
苦い体験は他者への共感やいたわりをはぐくむものなのかもしれない。そう思うと、かなり納得がいく。」
と書かれていました。
そうかもしれないと思いました。
人は辛い目に遭ってこそ、人の辛さが分かって、思いやる心が育まれるのであります。
「理不尽」にも意味があるのだと思いました。
そして更に
「痛みは、過ぎてしまうとそのつらさを忘れている。
自分が時々そうした目に遭うのは、他者への共感を忘れないために必要な事なのかと思ったりする。」
というのです。
時に「理不尽」な目に遭うことで、思いやりの心を忘れないようになるのです。
「体験することは、他者へ手を差し伸べる力となる。
理不尽やつらさを他者への共感に変えて支援している方たちに敬意を表したい。」
と結ばれていました。
「理不尽」なことは世にいくらでもあることです。
自然災害などはそうでしょう。
何も悪い事もしていないのに、災難に遭うこともあるのです。
人が生きるということは、そのような「理不尽」をも受け入れていくしかありません。
しかしながら、「理不尽」な目にあって、それで意地悪になってしまっては何もなりません。
一層偏屈になってしまっても困りものです。
辛い目にあって、人の辛さも分かる「思いやり」の心を養うのであります。
その為に、「理不尽」な目にも遭うのかと思ったのでありました。
白隠禅師の人々の為に親切を尽くして指導された後半生は、そんな正受老人の「理不尽」に堪えて、慈悲の心に変容させたのだろうと思いました。
横田南嶺