心が軽くなるとは?
今月の特集は、「悩みすぎない、ひきずらない 心が軽くなるヒント」
というものです。
「心が軽くなりました」という言葉を使うことがあります。
ふと、心が軽くなるとは、どういうことだろうか考えてみました。
そもそも心に重さがあるのだろうかと、もちろん、秤で計量できるような重さは無いでしょう。
重さがないのなら、どうして軽くなるのだろう、など考えてみると不思議に思いました。
それでも何だか心が軽くなった気のする時があるものです。
毎月のPHPには、「心に禅語をしのばせて 生きるための禅の言葉」という一ページの連載を担当していますので、今月は、「一無位真人」を書いています。
もう九回目になるのであります。
禅語をわずか四百字で解説するので、難しいものです。
はじめにこんな風に書いています。
「臨済(りんざい)禅師が、ある時修行者たちに向かって、「この肉体には無位の真人がいて、常にお前たちの顔から出たり入ったりしている、まだこれを見届けておらぬ者は、さあ見よ!さあ見よ!」と説法されました。
無位の真人とは、何の地位や、名誉、財産、学歴などに決して汚されることのないすばらしい真の人間を言います。
顔から出入りするとは、顔にある感覚器官を通して出入りすることを指します。
目でものを見たり、耳で聴いたり、舌で味わったり、皮膚で感じたりするはたらきです。五感を通じて自由にはたらいているのです。」
これだけのことですが、実際に理解するのは難しいことです。
人生論的な禅語は理解しやすいと思いますが、こういう言葉は難しいと思います。
それでも時には、歯ごたえのあるものを噛まないと歯も弱るように、時には難しいものも大事かなと思ったのでした。
さて、今回の特集に、私が存じ上げている二人の先生が執筆されていてうれしく思いました。
お一人は、若松英輔先生です。
若松先生は、心が軽くなるヒントとして、
「ひたすらに音楽を聞く」という題で書いて下さっています。
「亡き父が愛した習慣は、若松英輔さんの心のよりどころになりました」と書かれています。
お父さまが、読書と音楽の鑑賞がお好きだったということです。
その中で、若松先生が、「今から考えると不思議なのだが、十六歳になり高校進学を機に実家を離れ、独り暮らしを始めるまで、本を二冊しか読んだことがなかった」というのです。
「もちろん、自分から文章を書くこともない」
と書かれていますが、あれほどの読書家であり、素晴らしい文章を書かれる先生ですから、これは本当かなと思いました。
お父さまの影響を受けて今も若松先生は、
「ある程度の文章を書く。すると必ず、しばらくのあいだは、書くことから離れ、音楽を聞く。五、六時間、渇いた心が、音楽という見えない水を求めるかのように、ひたすら聞いている。」というのです。
こういうことによって、心が軽くなり、そしてまた素晴らしい文章が書けるのだなと思いました。
上手に間を開ける、隙間を作ることが大切だと思いました。
もうお一方は、海原純子先生です。
毎週毎日新聞の「新・心のサプリ」を楽しみにしている、あの海原先生です。
今月号では海原先生は、「専門家からのアドバイス」として、「心の救急箱」を作ろう」という題で書いてくださっています。
海原先生は、「悩みを引きずらないようにするためには、いくつかの方法があります。その方法を学習することにより、かなりの割合で克服できると思うので、それをご紹介したいと思います」
と書かれて、五つの方法を紹介されています。
第一には、悩みの傾向を知ろうというものです。
それは「先ず自分が嫌な思いを引きずることはなにについてかを考える」ことだいうのです。
「自分がはまってしまう特徴があるはず」なのだそうです。
「自分の中で、『私はこれがあると衝撃を受けて落ち込む』というものがあることに気付く」ことが悩みの傾向を知ることになるというのです。
こうして自分の悩みを客観的に見ることができるようになるのでしょう。
そうすることによって、悩みの中に落ち込んでゆかないように歯止めがかかります。
それから次には「悩みを分別しよう」というのです。
その悩みが、「悩むことに値するものか」ということについて考えるのです。
そうすると、悩むに値しないこともけっこうあると思われます。
それから三番目には、「解決策を考えよう」です。
そして四番目が、「自分の味方になろう」ということですが、これは、「自分で解決できる内容なのか、そうでないのかについて、悩みを分類してみてください」と書かれています。
自分でどうにかできるようなことならば、自分で頑張ればいいのですが、「自分ではどうしようもないことで、人から心を傷つけられることも多い」のであります。
そんな時には、自分が自分の味方になるというのです。
それから、最後には「一対三の法則を実行しよう」というものです。
これは分かりやすくて、「嫌なことがひとつ起こったら、そのあと三つポジティブなことを思い浮かべたり実行したりします」ということです。
特別なことでなくても、おいしいお茶を入れて飲んでみる、猫をなでてみるなどでいいそうです。
とにかくそこでマイナスの心を一度区切ることだと思いました。
専門家らしい親切で具体的なアドバイスだと思います。
特集の中で、注目したのは、尾崎世界観さんという、ミュージシャンで作家の方の文章でした。
尾崎さんという方についてはどんな音楽をなさるのか全く存じ上げないのですが、「悩みは笑い話の前振りです」という題で書かれいてます。
「噛み続けたら味のなくなるガムのように、悩みも、そのうち色あせていきます」と書かれています。
作家さんだけに、よい言葉だと思いました。
尾崎さんは「『悩みがなくなれば心が軽くなる』というほど、簡単なものではないと思います。
第一悩みはなくならない。僕自身のことを振り返っても悩みがなかったことなどありません。」
と書かれています。
そして、
「悩みはいつも、影のようにそこにあるのがあたりまえで、解決することはありません。
ただ、悩みの質が変わっていくのは確かです。
あることをずっと悩んでいても、気がつくと別の悩みが大きくなっていて、前の悩みは薄れている。
悩みはガムなんだな、と思います。
いつもずっと噛んでいて、噛んでいる間に味がなくなっている。」というのであります。
文章の最後には、
「悩むのはつらい。でも、なくても困る。悩みって愛しいと、僕は思います」
と書いて下さっています。
悩みを煩悩ということもできましょう。
お互いに生きている限り、煩悩はなくならないものです。
私は草みたいなようなものだと申します。
草が生えるのは土が生きている証拠です。
除草剤でもまいてしまったら、草は生えませんが、土も死んでしまいます。
ほどほどに草が生えながら、生え過ぎたり、伸びすぎたら、抜いておくくらいでいいと思います。
それが自然でありましょう。
そんな風に思っていると、心が軽くなるのではないでしょうか。
横田南嶺