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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.07.16
今日の言葉

パワハラ講習

七月十日の神奈川新聞にパートナー紙からという欄で、岐阜新聞の記事が紹介されていました。

見出しが、「先生叱責、認識にずれ」「ショックで登校できず『子どもの言葉耳傾けて』」と書かれていて、読んでみました。

記事の冒頭に、「小学校の先生の叱責でショックを受け、子どもが登校できなくなった」という保護者からの声が岐阜新聞オンデマンド調査報道「あなた発!トクダネ取材班」に複数寄せられている」

と書かれています。

学校側は、不登校の要因は、教諭の叱責ではないと否定。こうした子どもと学校の間の認識のずれを問題視しているのでありました。

記事には、岐阜市内で小学校低学年クラスに通っていた生徒が、昨年十一月から学校に通わなくなった事例をあげています。

学校に行かない理由をなかなか言わなかったらしいのですが、二ヶ月ほどしてようやく、「任されたばかりの係活動で失敗をした際に担任の教諭にきつく叱られた」というのです。

それから、「先生が怖い。初めてのことで分からなかったのに、あんなに怒るなんておかしい」というのだそうです。

そのクラスには他にも二人登校拒否になったそうなのです。

クラスは二十数名だそうです。

学校側は、三人が学校に来られなくなった要因は、教諭の指導だけではないとしています。

「いずれも必要な場面で適切な指導が行われている、しかし、中には、子どもにうまく伝わらなかったこともあり、その点は教諭とも話をした」と書かれています。

名古屋大学教育学の内田良教授は、

「子どもは全く違う認識を持っているということに、教職員が気が付いていない」

「まずは児童の言葉に耳を傾け、本人が何を感じたのかをフラットに受け止めなければならない」と指摘すると書かれていたのでした。

考えさせられる問題であります。

ひょっとしたら、その先生は熱意ある先生だったのかもしれません。

記事にも「この教諭は指導は厳しいが、児童の学習の達成度が高いとの評価がある。「子どもが成長できた」と感謝する保護者もいた」と書かれいてます。

このあたりをどう受け止めるかは問題であります。

もっとも、個々の事例によって差がありますし、またこのように小学校低学年の場合と、大学や社会人の場合と、或いは社会人であっても、警察や自衛官のような特別な任務に就く場合と、人の命を預かる医療に携わる場合などによっても大きく異なってきます。

優れた指導をしてくれるのに、一人や二人の落伍者が出るのは仕方ないという捉え方もあるかもしれません。

しかしながら、これが小学校の低学年となると、やはりもう少し真摯に向き合わなければならないように思います。

修行道場にしても、似たような問題が起きるので、新聞記事に興味を持ったのでした。

注意したり叱った方は、そんなに強く言ったつもりは全く無いのに、注意された側、叱られた側は、強く受け止め過ぎてしまうことがあるのです。

私もかれかれ二十数年、この仕事をしてきましたので、いろんな修行僧に接してきました。

修行道場の指導者である老師によっては、高い専門の修行をしてるのだから、落伍者が出ても仕方ないとお考えになる場合が多いように感じます。

もちろんことを、それも一理あります。

小学校低学年のような義務教育とは異なり、厳しいと分かっている禅の修行に敢えて挑みたいという意志があって来るのですから、厳しく指導するのは当然と言えましょう。

ただしかし、そのために、生涯心に傷を負うようなことになるのは避けないといけないと私は考えています。

修行道場の立場から言えば、そんなのは、十分の一かそこらだと思うのでしょうが、修行僧の側から見れば、一生涯の大問題になるのです。

そこで、かねがね考えていたパワハラの講習を修行道場で行いました。

問題になる前に、どういう事が問題になるのかをあらかじめ学んでおこうと思ったのでした。

パワハラなどを専門に扱っている弁護士の先生に講義をしてもらいました。

一般の社会における場合と、宗教法人における場合とについて勉強したのでした。

そんなことなどする必要は無いという声もあるのですが、私は今の社会に生きる為には必要だと思って皆と勉強したのでした。

パワハラの被害はいろいろあります。

「人格や尊厳を傷つけられる」「仕事への意欲や自信を失う」「心の健康の悪化」などであり、それがひいては、休職や退職につながることもあり、更には、生きる希望を失うことにもなりかねないのです。

パワハラにも色々あると学びました。

まずは、身体的な攻撃。物を身体に投げつけられるなどです。

それから精神的な攻撃、同僚の前でささいなミスを大声で叱られることなどです。

それから、人間関係からの切り離し、職場で挨拶しても無視されるなど。

過大な要求というのもあります。一人でできない量の業務を押し付けられることなどです。

それに対して、過小な要求というのもあって、これは研究職なのに電話番だけさせられるようなことだそうです。

それから個の侵害といって、個人の手帳を勝手に見られるなどだそうです。

確かにこういうことは気を付けないといけません。

ただ厳しい叱責というのは、たとえば医療に従事する人などの場合、わずかなミスが人の命に関わることなので、かなり厳しく叱られたとしても、それはパワハラにはならないこともあると学びました。

また修行道場の修行僧の場合は、雇用者とは異なるということも改めて認識したのでした。

ともあれ、修行僧の立場からみればたった一度しかない人生の経験なのですから、お互いに向上するように努力すべきであります。

こちらはだいじょうぶだろうと思っていても、生活環境などが異なると受け止め方が全然違ってきます。

やはり相手の立場を慮って言動に注意することが大切なのです。

この頃は、修行道場でも身体的な攻撃はありませんが、言葉で注意する場合は気を付けるべきであります。

そこで、何を基準にするかと考えると、今の法律や範例などよりもやはり仏弟子でありますので、仏陀の言葉をより所とするべきだと思うのであります。

お釈迦様は仰せになりました。

「自分を苦しめず、他者を傷つけることもない、そんな言葉だけを語れ。
それこそが「正しく語られた言葉」というものである」

これをしっかり意識して言葉をかけることが大切だと修行僧たちと学んだのでありました。

 
横田南嶺

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