禅と狐
「ネコ目(食肉類)イヌ科キツネ属の哺乳類。頭胴長70センチメートル、尾長40センチメートルほど。
イヌに似るが、体は細く、尾が太い。耳は大きく、顔は尖る。毛はいわゆる狐色で、飼育品種には銀・黒などもある。
北半球の草原から森林に広く分布、主に夜行性。餌はネズミ・小鳥などで、植物も食べる。日本では人をだますとされ、ずるいものの象徴にされてきたが、稲荷神の使いでもある。毛皮用に飼育される。」
と解説されています。
野生の狐を見ることは滅多にありませんが、ここにも「人をだます」「ずるいものの象徴」とありますように、あまりよく思われないことがあります。
「狐につままれる」というと、「狐にばかされた時のように、わけが分からなくなり、ぼんやりする。」ことを言います。
これが「野狐」というと、「野にすむキツネ。のぎつね。」「人や動物にとり憑つくという想像上の小動物。」ということだそうです。
「狐に小豆飯」という言葉もあって、これは「好む物を前に置けばすぐに手を出すことから、油断のならぬこと、危険なことのたとえ。」であって、「猫に鰹節」というのと同じことだそうです。
世の中には、まだ自分の知らないことがたくさんあるものです。
一日にひとつでも、知らないことを学ぶと有り難いと思います。
黒住教をよく学ばせてもらっていますので、黒住教の方から布教だよりを送ってもらっています。
このたび、その中に黒住教の第五代教主黒住宗和様の著書にある話が載せられていました。
ご紹介します。
「ある田舎の寺に有徳な和尚がいて、毎月、日を定めて檀家の人たちに説教をしていた。
その聴衆の中に所も名も告げずに参ってきて、話が終わるといそいそと帰っていく男がいた。
ある日、説教が済んだにも関わらず珍しくその男が残っていた。
やがて和尚の前に進み寄って、「私の正体は近所に住んでいる古狐です。末永くお話を賜って修行したいと思っていましたが、今後はこちらに参ることができなくなくなりました。お礼やらお暇(いとま)を申し上げにまいりました」としみじみ語るのであった。
和尚がその理由を訊ねると、「じつは里の人たちが私を捕まえようと、かねてから罠を仕掛けていました。
これまでは逃れていましたが、今度から餌に焼鼠(やきねずみ)を使うことになったと聞きました。
それではとてもではありませんが逃れることができません」と答えた。
和尚は、「お前さんほど、よくものの分かっているものが、罠にかかるとはどういう訳か?」と訊ねた。
すると古狐は、「焼鼠は私ども狐にとっては、最上の好物です。これを餌に使われますと、大切な命も何も考える余裕がなくなって、遮二無二それに飛びついてしまいます。これが畜生の浅ましさでございます」と悲しそうに答えた。
この話を人間社会に当てはめると、深く考えさせられるものがある。
世間には、自他ともにもの分かりがいいと認めている人が、往々にして道ならぬことをして取り返しのつかない羽目に陥ることがある。
このことは右の話における焼鼠のようなものであって、畢竟(つまるところ)その人の我情我慾が因をなしている。教祖神は、「我というわれほどおしき物ははなし おしむ我から我を失う」と固く戒められた。」
という話なのであります。
これは考えさせられる話であります。
焼鼠という好物なのですが、これがワナだと分かっていても、飛びついてしまう、そのことを避けられないというのです。
こうすれば、こうなると分かっていても、飛びついてしまうというのは、今の人間世界にも、よく見聞きすることであります。
狐は、「畜生の浅ましさ」と言っていますが、浅ましさは、畜生に限らず、人間も同じなのであります。
この話を読んで、最初の部分は、全く禅の語録に出てくる野狐の話と同じなので驚いたのでした。
禅には、「野狐禅」という言い方もございます。
この「野狐禅」という言葉は、『広辞苑』にも出ています。
野狐禅とは、仏教語して、「なまかじりの禅。似而非(えせ)なる禅。生禅(なまぜん)。」という解説がされています。
なんと、その言葉に関連して、「百丈野狐」という言葉も『広辞苑』には出ているのです。
「百丈野狐」の説明には、
「[無門関]禅の公案の一つ。ある僧が「悟った人は因果を超えている」(不落因果)と言ったために、五百生のあいだ野狐となり、百丈懐海の「因果は歴然としている」(不昧因果)という語で悟ったという話。これから、なまざとりの禅を野狐禅と呼ぶ。」
という解説があるのです。
『無門関』にある話を紹介します。
百丈和尚のお寺でいつも禅師がお説法をなさるときに一人の老人が聴講に来ていました。
なにやら普段見慣れぬ老人のようです。お説法が終わってみんなが帰ると老人も帰って行きます。
ところがある日のこと、お説法が終わってみんなが引き上げても、この老人だけが残って帰りません。
どうしたことかと思って禅師は、老人に質問をします。「お前さんあまり見かけないようだが、何処の誰ですか」と。
老人は答えます。「ハイ実は私人間ではありません」と驚くことを申します。
「昔迦葉仏というお釈迦様より前の仏さまの時代に、この山の住職をしていました。
そのときに一人の修行者が私に質問をしました。
修行して悟った人も、因果の法則に従いますかと。私はそのときにその質問に答えて、修行した者は因果に落ちない、原因結果の法則を超越して従うことはないと答えました。その答えが間違っていたために五百回も野狐に生まれ変わりました次第です。」
どうもこの老人、狐が化けたものだったようです。
因果に落ちない、原因結果に縛られない、因果を超越出来ると答えた、その答えが間違っていたために、五百回も狐に生まれ変わったというのです。
ここから誤った禅の教えを野狐禅と呼ぶようになったようです。
そこでこの老人、百丈禅師に対して「どうか一つの言葉を賜り私を狐の身からのがれさせてください」とお願いをして、前に自分が受けたのと同じ質問をします。
「修行して悟りを開いた人も因果の法則に従わなければなりませんか」と。
百丈禅師は答えました。「因果の法則は決してくらますことは出来ない」と。
この禅師の言葉を聞いて、老人は「おかげで私の迷いがはれました。ありがとうございました。」とお礼を表します。
更に老人は「私は既に狐の身を脱してこの山の裏におります。どうか亡くなった僧侶を葬る儀式で私のお葬式をしてください」と頼みます。
さて百丈禅師はお昼の食事の後に、みんなに「今日はお昼が済んだら、亡くなった僧の葬儀を行う」とおふれを出しました。
みんなは驚きました。
今誰も病気をして休んでいる者もいないのに、一体誰の葬儀だろうかと。
さて食事が終わった後、禅師がみんなを連れて山の裏に赴いて、杖で一匹の狐の死体を引っ張り出して火葬にしました。
というのが『無門関』にある話なのです。
禅の話が、黒住教の教主さまのお話に引用されているとは驚いたのでした。
原因と結果はくらますことはできません。
今良い種を播けば、必ず良い実が実ります。
目先の欲望にとらわれていては、破滅の道をたどります。
心しなければならないと、無門関の話と、黒住教の話と共に大切なことを説いくださっていると学ばせてもらいました。
横田南嶺