そのまた草鞋つくる人
「土木のこころ」という題に心が惹かれました。
水谷さんは、社説の中で、
只今の「コロナ禍であらゆる活動に自粛が余儀なくされる中、逼迫(ひっぱく)する医療現場の現状が報じられ、その大変さが伝わってきた。
だが、震災と違い、現場でボランティアをさせていただくわけにはいかないため、全国各地で医療従事者に声援を送る人たちが出てきた。」
と指摘されています。
まさしくその通りで、医療従事者の方々の、毎日懸命に治療などに当たってくださっているご苦労には、頭が下がるばかりなのであります。
私のように、暇になったお坊さんとは段違いであります。
尊いことであります。
どうぞ、ご無事でとお祈りするばかりなのであります。
そのあと、社説では、支援ということに関して、興味深い考察をなされています。
「『日経コンストラクション』という情報誌が2012年に「東日本大震災の被災地支援でより大きく貢献したと思う団体は?」というアンケートを実施していた」のだそうです。
すると「「それを見て愕然とした」と、福島市の寿建設社長・森崎英五朗さんが話していた。」というのです。
どういうことかというと、
「約9割の人が「自衛隊」と回答。二番目はその半数の割合で「消防団」と「ボランティア」。」だったそうです。
これくらいは、十分に理解できます。
あのような非常の時に、特別な訓練をされた自衛隊の方が救助してくださるのは有り難いことであります。
地元の消防団の方々も、余所から来てくれるボランティアの方々も、これまた有り難いことであります。
そのあと、「さらにその半数が「警察」と「自治体」。
そして「NPO団体」「外国からの支援部隊」と続き、その次に「建設業界」があった。その下が「国」だった。」
というのであります。
更に
「回答者を東北3県在住者に絞ると、7位までは同じだったが、「国」と「建設業界」の順位が逆転していた」というのです。
そこで「ここまで自分たちの活動は評価されていなかったのか」と福島市の建設会社社長の森崎さんは思ったというのであります。
たしかに、言われてみると、そうかなと思いました。
新聞などの報道を見ていても、地元の土木業者のはたらきが脚光を浴びることは少なかったように思います。
しかしながら、緊急時の自衛隊の支援も、ボランティアの支援も大切ですが、復興を支えているのは、地元の土木業者があってこそであります。
目立たないところで、復興を支えている、「縁の下の力持ち」というのがよろしいのかもしれませんが、もっと評価され、感謝されて当然だと思いました。
かつて五木寛之先生と対談した折に、私が夢窓国師のことについて話をした時に、興味深いことを指摘してくれました。
私が、夢窓国師は、足利尊氏や後醍醐天皇といった政権の中枢の人々と接点をもっていたことや、天龍寺舟という貿易船の派遣を通じて得た莫大な利益を天龍寺の造営に充てたことなどを話をして、しかし、五十歳になるまではひたすら山の中に籠もって修行してことを話しました。
五十歳になるまでは、山中にこもって修行してそこで積み上げた功徳によってあれほどの活躍ができたのではないかと思っていると五木先生に申し上げたところ、
五木先生は、すぐに「これも『十牛図』でいう「入鄽垂手」ですね」と仰せになりました。
自分の修行を完成させて満足するのではなくて、苦しんでいる人たちに、「垂手」という言葉通りに、手を垂れてあげるのであります。
五木先生は、この「垂手」という言葉がすごく好きだと言われていました。
それも夢窓国師などは、「自然体で」行われていたのだとも語ってくれていました。
更に五木先生は、夢窓国師の造園についても独自の見識を示してくれました。
夢窓国師というと、到るところに素晴らしい庭園を造って残されています。
山水に触れて、多くの人の心を和らげるようにというお慈悲の心だと思っていましたが、五木先生は、
「造園を通じて経済を刺激して、多くの人に仕事をもたらしました」と指摘されました。
「当時、造園作業に従事する人たちを「山水河原者」と呼んでいましたが、夢窓国師はそういう社会の底辺にあって蔑視されていた人たちに、造園を通じて自信と誇りを与えたんです。」
と言われました。
そして更に、
「昔、小倉の屋台でお酒を飲んでいた時に、傍にいた年老いた労務者の方々が、「あの若戸大橋は、俺が若い時建設に参加したんだ」「俺は黒部ダムの建設に行ったことがあるぞ」と自慢し合っていましたが、それが彼らの人生の誇りになっているんですね。」
と語ってくれたのでした。
それから五木先生は、
「蓮如という人は山城本願寺とか石山本願寺といった当時の大名の屋敷も及ばないような豪華な寺を建てるのですが、それは単に豪華なところに住みたいというのではなくて、ケインズの言うところの公共投資なんですよ。
それによって経済を刺激し、多くの人たちに働く場を与える。
と同時に「山城本願寺の瓦の一枚は俺が焼いたんだ」と山水河原者と言われている人たちに誇りを与える事業なんですね。
夢窓国師の造園も、単に芸術的感覚を発揮しただけではなく、多くの人々に生きる糧とプライドを与えたわけでしょう。
大きな入鄽垂手の実行だと思って、尊敬しているんです。」
というのでした。
そういう大きな効果もあったのだと私も学ばせてもらいました。
そういえば、私も田舎に帰って、車に乗っていると、よく父が、あのビルはうちが建てたのだとか、橋を渡ると、この橋もうちが造ったのだと自慢そうに言っていたのを思い出しました。
何気なく渡っている橋ひとつでも、多くの土木の方々の汗があってこそなのです。
古い和歌に
箱根山籠に乘る人乘せる人その又草鞋(わらじ)作る人
というのがございます。
世の中は、自分一人で生きているのではありません。
道を歩いても、電車に乗っても、家に住んでいても、多くの人たちの苦労のたまもので、歩かせてもらい、住まわせてもらっているのです。
そのようにみることでも、仏教の縁起の世界を深めることができます。
横田南嶺