食を調える大切さ
鈴木秀子先生は、私が尊敬申し上げるシスターであります。
何度もお目にかかり、いろんな事を教わってきました。
野口法蔵先生のことは、ご著書で存じ上げているだけですが、たいへんな御修行をなされた方で、五体投地と断食坐禅をなさっている方だということを知っていました。
野口先生は、ただいま臨済宗の僧侶でありますが、もともとは、報道カメラマンだったそうで、インドでマザーテレサの施設を取材されたのだそうです。
その自らの命をも省みずに、献身的に病の者に奉仕されるシスターたちの姿に感銘を受けるのです。
そうして、厳しいことで知られたチベットの僧院で出家して修行されたのでした。
更にスリランカでヴィパッサナーの修行をなされ、インドのタゴール大学でも学ばれたのでした。
日本に帰ってからも全国の禅堂を歩き回ったそうです。
世界の宗教の修行を経験されてきて、日本の禅寺の道場で感じたことを次のように書かれていました。
「日本の禅寺に来て感じたのは、みんな眠いということです。
坐禅しながらも眠い。
それで、寝る、叩かれる、寝る、叩かれる。
その上で食べる。食べる、寝る、叩かれる、食べる、寝る、叩かれる。
正直言って、これで悟りは訪れないでしょう。
食べなければ良いではないかと私は思うのですが、食べることが重要な修行であるというわけです。
箸をどういうふうに上げて、どういうふうに食べるか、ということが修行だというわけですね。
それで実際はどういう食べ方をしているかというと、ものすごく早く食べるのです。
ほとんど嚙まないで呑み込みます。
ですから消化に悪い。
それでいて坐っていて運動不足なので太っていきます。
一汁一菜などと言いながら太っていくのです。
健康にも悪いです。
禅堂で修行していて糖尿病になるのはどういうことかと思います。」
というのであります。
恥ずかしながら、我々の禅堂の欠点を見事についてくれています。
残念ながら、まさしくその通りなのです。
私もずっと疑問に思いながら、長年そのようにして禅堂で過ごしてきました。
ようやく、この頃食について考えて、僧堂でも改めることにしました。
昨年から、大摂心の間に一日乃至二日の断食を取り入れました。
食べる瞑想なども教わって、ゆっくり食べるようにしました。
禅堂で修行して悪い食の習慣を身につけて、成人病の原因を作っては、せっかく修行にきてくれた方に申し訳ないと思うからであります。
今回も断食を取り入れて行いました。
摂心の中日を断食にして、希望するものは、その前の日から行ったり、そのあとも一日乃至二日自らの意志で断食する者もいます。
各自の体調がありますので、期間などは本人の判断に任せています。
今年も新しい修行僧が入りましたので、新しい人にとっては、人生で初めての断食であります。
どんな感じがしたのか、聞いてみますと、とても良かったというのであります。
何がいいかというと、朝眠たくなく、気持ちよく起きられた、よく坐れるようになったというのであります。
また断食の次の日は、補食といってお粥などのごく軽いものをゆっくり食べてもらうようにしています。
そのお粥が体に染みわたるように感じられたとか、普段如何に食べ過ぎているかわかった、少量で足りるのだとわかったなどというのでした。
そして、夕方の食事を抜いた方が坐禅しやすいので、断食のあとも夕食をとらずに坐禅したいというのであります。
まだ大学を出たばかりの青年ですから、食べ盛りであります。
断食は辛いかなと思ったのですが、意外な反応でありました。
若いからといって、軽くみてはいけません。
彼らも純粋にからだで何がいいか、感じているのです。
という次第で、野口先生が、著書の中で述べられている通りだった、僧堂の食事をこの頃ようやく改めることができたのでした。
それにしても、改めるまで何十年もかかるというのは考えものであります。
ゆっくり食べるようになどといくら言っても、長年の習慣は改まらなかったのでした。
ようやく風穴を開けることができました。
私も皆と一緒に一日半ほどの断食をして、次の日に一椀のお粥と梅干しをゆっくりいただいて坐禅しています。
実によく坐れるのであります。
私はまた、近年夕食をとらずに、具の無い味噌汁を飲むだけにしているのです。
これも体が快適だからなのです。
そういうわけで、坐禅というと、体と呼吸と心を調えましょうと説明されますが、その前に食事と睡眠を調えるということも大事なのです。
僧堂に来た者には、食事のあり方から指導できるお坊さんになって欲しいと願っているのです。
皆さんもせめて、食べる時には、テレビ新聞スマホを見ないで、今よりもゆっくり咬んで味わってみることを勧めます。
食べ物を一口入れては、お箸をおいてゆっくり咬むのです。
それだけでも少量で足りることが分かるはずであります。
横田南嶺