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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.04.23
今日の言葉

悲しみのままに

知人から、『私の昭和史』という本を送っていただきました。

辻光文先生の弟の奥様の本であります。

辻光文先生のことを以前小欄で紹介したことがあります。

この話は、YouTubeでは紹介していないものであります。

円覚寺のホームページにある管長侍者日記の二月七日に書かれています。

「沢木興道老師の教化」という題の文章であります。

その辻光文さんの弟さんが辻存之(やすゆき)さんという方で、その奥様である辻里子さんの書かれたものであります。

送ってくださったのは、夢工房だいあんの光田敏昭様であります。

光田さんが、この本の中で、わざわざ付箋を付けてくださったページがありました。

早速そのページを読みました。

東京大空襲のことであります。

昭和二十年三月十日のことであります。

たった一夜の空襲で、実に十万人以上の方が亡くなり、負傷者は十五万人以上、罹災した人は百万人にも上ったのでした。

今の時代の者には、想像を絶します。

里子さんの家族六人は命からがら逃げたのでした。

里子さんは、昭和五年のお生まれですので、その年には十五歳になるのでした。

まだ幼い二人の妹がいました。

火の中を逃げてきて、どうにか助かると思ったのですが、

「二人の妹はぐったりして眠ったまま時々苦しそうにもがいていた」と書かれています。

やがて二人の妹の容態が思わしくなくなります。

「妹二人の体は熱が出て熱いのか、火のそばにいるので熱いのかわからない。

そしていくら揺り動かしてもすぐに眠った。

夜が更けるにつれて硬ばってくる体を父母が必死にマッサージした。

母は二人を代わる代わる抱いて、「お山の杉の子」の童謡を歌ってきかせた。

……悲しい歌声だった」

と書かれています。

十一日の未明、二人の妹は息を引き取りました。

「二人ともにあどけない笑顔だった」と里子さんは書かれています。

そのあとの文章には、言葉を失います。

「死んだ子を連れて行くことはできず、残してゆくのも忍びないと言って、父は燃えさかる石炭の上にトタンをのせ二人の妹の亡骸を焼いた。

髪が燃えて顔が明るくなり、手足が動いた時には生き返るような気がしたと父は話した。

空き缶を見つけて二人の遺骨を入れ父はズボンのベルトに結びつけた。

妹たちが帰りたがっていた家は跡形もなく焼け落ちていた。」

というのであります。

冊子を送ってくださった、光田さんも「東京大空襲の様子は、広島の原爆投下に近いものだ」と書かれています。

そんな焦土と化したところから、今の日本は復興したのでした。

そんな空襲を行い、更に原爆まで投下した国と今は同盟国になっているのであります。

この冊子が届いた日の毎日新聞の夕刊にも心が凍るような悲しみを感じました。

福島第一原発事故で避難指示が出た福島県浪江町から福島市に逃れた小学生が、転入先の小学校で三年間いじめにあったという話です。

「放射線が付いている」と罵られたのでした。

その子の一歳下の弟もまた、トイレにこもるようになったのです。

弟もやはり、いじめにあっていたからだというのです。

記事では、ふるさとの浪江町が二本松市で再開した学校に身を寄せたことで、自分らしさを取り戻せたと書かれています。

記事の中には、ノートを取ろうとすると鉛筆を窓から落とされたり、ノートにフェルトペンで落書きされたり、体操着を真っ黒いバケツの水に浸されたりしたといういじめの実態が書かれています。

「お前は放射線が付いているから来るな」といじめられたというのです。

その小学生だった子も、この春高校を卒業して働くようになったという記事でした。

記者が、いじめた相手を恨む気持ちはないかと聞いたそうです。

「ずっと恨む気持ちがあった」と語っていますが、

「でも、周りの人たちが支えてくれて、自分の存在があると思えたとき、なんて小さなことで悩んでいたんだろうと思えた。

人が居て、人の支えられたお陰で立ち直れました」

といい、「もう恨む気持ちはない」

と書かれています。

七十六年前の大空襲の悲惨な話、そして焦土と化したところから復興し、未来のエネルギーと期待された原発のためにふるさとを奪われ、いじめにあう少年の話、ともに悲しみが募ります。

辻里子さんの『私の昭和史』には、辻光文先生が私淑していた南禅寺の柴山全慶老師の話がでてきます。

辻さん夫妻が、お互いの迷いから抜け出るにはどのようにしたらいいのか聞いたそうです。

柴山老師が答えられました。

「あんたは苦しんでいる世界と、悟りの世界は別やと思うとるのだろう。いいか、救いの世界は他にありはせん。

いま苦しんでいることから逃げんで徹底的に苦しんだらええ。
自分の至らなさを痛感し深く悲しんでいる中に悲しみのまんま救われていると感じる時がきっと来る」

今悲しみの底にある人も、きっと柴山老師が仰るように思える日が来ることを願ってやみません。

 
横田南嶺

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