イライラをどうする
これには、「イライラするのは無駄なエネルギーを使うだけです」と即答しました。
それだけでは申し訳ないので、ではどういう時にイライラするのかを考えました。
たとえば、待っていた電車が遅れてなかなか来ない時。イライラしがちであります。
しかし、これは私がいくらイライラしても、それによって電車が早く来るということはありません。
電車は来るまでは来ないのです。
そうしますと、「イライラ」はエネルギーの浪費にしか過ぎません。
来るまで来ないのだから、来るまで本を読もうと気持ちを切り替えることです。
それでも、電車が遅れていたり、車に乗っていて渋滞に巻き込まれて遅れそうになって、先方に迷惑を掛けそうになると、これは「イライラ」するかもしれません。
これは、私などにも経験があるものです。
講演会に行くのに、時間にゆとりをもって出掛けますものの、予想以上の大渋滞に巻き込まれたこともあります。
そんな時には、私も一瞬「イラッ」くらいはします。
しかし、「イライラ」にはしません。
もうそうなったら、私が、「イライラ」しようが「ジタバタ」しようが、どうにもならないのです。
そんな時には、視点を変えてみます。
この広い地球で、私が時間に遅れてしまうことによって、世の中にどんな影響があるだろうかと。
そう考えると、それほどのことはないのであります。
こんな話を思い出します。
昔、ある修行僧が丘宗潭老師という方に参禅しました。
丘老師の部屋に入り、「一大事をお示し願います」と問いました。
老師はその修行僧を一瞥して「誰の一大事か」と聞きました。
「私のでございます」と答えた僧に対して、
丘老師は「貴様のか、貴様一人ぐらい、どうでもいいじゃないか。ウフフフ」と笑ったというのです。
沢木興道老師の本で読んだ記憶があります。
その傍にいた澤木老師も、丘老師の不気味な微笑に肝っ玉が縮み上がったそうです。
この広い世界、私が一人どうこうしたところで、どうってことないと思います。
それでも現実には困ることが起きますので、どういう風になってゆくのか、頭の中で思い描きます。
その時には私は、出来る限り最悪の事態を描くのです。
描いたら、あとはその通りにするだけです。
私はそんな風にしていますと、質問された方に答えました。
折から、PHP五月号の特集が、「心穏やかに生きよう イライラ、不安の鎮め方」という特集であります。
やはり思うようにならない世の中、イライラすること、不安に思うことが多いのでしょう。
須磨寺の小池陽人さんは、思うようにならないことがあって、イライラしそうになると、「一切皆苦」と自分で言い聞かせるのだと言っていました。
一切皆苦の「苦」とは、思うようにならないということを意味します。
PHPの特集には、毎回専門家からのアドバイスという文章があります。
今回も専門家からのアドバイスとして、一般社団法人日本アンガーマネジメント協会理事の戸田久美さんという方が執筆されていました。
まず、戸田先生は、「イライラしたり、不安になったり」という「ネガティブな感情をもつことは、悪いことではありません。どの感情も自分にとっては大切なもの」と書かれています。
そうです、まずはイライラしたりする自分を責めたりしないことです。
私のように、イライラは無駄と頭から言うよりも、こうして導いた方がよいと思いました。
さすがアンガーマネジメント協会理事の先生であります。
そして、戸田先生は第一に「怒りを客観視しよう」と説かれています。
これは、私の高いところから自分を見てみるというのに通じると思いました。
戸田先生は、「自分がイライラしていること、腹が立ったことなどを書きとめる」ことを勧めています。
それから、次には行動計画を立てようと書かれています。
これも私が、このあとどうなるかを頭に思い描くことに通じると思います。
そして、できることに目を向けようと仰っています。
世の中には、「私の力ではどうにもならないと見極めたことに対して、そこまで重要ではないことであれば、「イラッとするけど、ま、いいか」と受け流していい」と説かれています。
戸田先生は、「変えられることなら、そのための行動をする、変えられないことなら、必要以上の怒り、イライラにならないように、何ができるかを考えて行動するということです」と明確に示してくださっています。
自分に出来ることを明確に探して、出来ることをやってゆくのが一番いいと私も思います。
イライラしても「まあ、いいか」と受け流して、自分で今何ができるかということに意識を向けたいと思います。
そんな時に気持ちを切り替えるのには、姿勢や呼吸に意識を向けるのが効果的であります。
横田南嶺