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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.04.15
今日の言葉

目の施し

俳句というのは、いいもので、わずか十七文字で実に深い世界が味わえます。

四月六日の毎日新聞の朝刊『季語刻々』の欄に、

石畳つぎ目つぎ目や草青む

という小林一茶の句がありました。

石畳や石垣のつぎ目に、草が青く育っているのです。

坪内稔典先生は、「去年の春以来、散歩の際に道端の草を観察している。いちはやく草が育つのは、石畳や石垣のつぎ目、そして舗装路の割れ目などである。石やコンクリートは日を受けて温かくなる。それでそのつぎ目や割れ目は草にとって絶好の生育場所なのかも」

と書かれています。

そんな小さなところの、かすかないのちに目を向けるまなざしが有り難いと思います。

石畳つぎ目つぎ目や草青む

語呂のいいし、平易だけども奥深く、さすが一茶だなと思います。

知人で草花の写真を撮っている方がいて、この句を知らせてあげると、喜んで下さいました。

四月十日の読売新聞の『四季』には、

乾かしてまた雨を行く遍路笠

という野中亮介さんの句がございました。

長谷川櫂先生の解説には、

「どうしたことか、おりしも雨。濡れた菅笠の雫を拭ってはまた雨の道へ。万物の命をはぐくむ暖かな春の雨である」

と書かれています。

私は、遍路の経験はありませんが、托鉢ならば長年行って来ました。

雨の日の托鉢はたいへんなことであります。

草鞋もびしょ濡れ、笠も濡れてしまうのです。

濡れた笠を乾かしたと思ったら、また雨の中を行くのであります。

これもまた、お互いの人生を表しているようにも思います。

腰塚勇人(こしづか はやと)先生という方がいらっしゃいます。

一度私の講演会に来てくださっていて、その時にご挨拶させていただいたことがあります。

「命の授業」という講演活動をなさっている先生であります。

中学校の教師だった腰塚さんは、スキーで転倒したときに「首の骨」を折るという大けがをしました。

その時に、医師は奥様に、

「たぶん、一生、寝たきりか、よくて車いすの生活になるでしょう」

と告げたそうです。

手術は成功したものの、首から下は全く動きません。

その頃は、どうやったら死ねるかだけを考えていたと言います。

「何があってもずーっと一緒にいるから」と言ってくれた奥様や、

「代われるものなら、代わってあげたい」という母親や、

仲間や生徒たちの言葉、

事故で死んだ教え子の存在、

病気で死んだ友達の存在などなどを思うと、

「一人じゃない」「生きなきゃ」と思ったのでした。

越塚先生は、

「まったく動けなくても、『花』のように生きることはできるかもしれない。

今のすべてを受け入れて、いつも『笑顔』でいると決めました。

どんなことにも

『ありがとう』を言おうと決めました」

とご著書『命の授業』に書かれています。

そう思ってから、なんとだんだんと体が動き始めて、四ヶ月後に、「下半身の感覚はあまりないし、右半身はうまく動かせませんが」、学校に復帰できたのでした。

主治医の先生にも
「首の骨を折って、ここまで回復した患者は越塚さんがはじめてです」と言われたそうなのです。

そして越塚先生は、学校に戻るときに、ご自身で五つの誓いを作られました。

それは

口は……、人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう。
耳は……、は人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう。
目は……、人のよいところを見るために使おう。
手足は……、人を助けるために使おう。
心は……、人の痛みがわかるために使おう。

というものです。

数年前の講演会でご挨拶させていただいて以来、毎月越塚先生出されている『幸縁』というものを送っていただいています。

最近は、わざわざ円覚寺までお届けくださっています。

最近いただいた『幸縁』の一一二号に、

「コロナで得したこと」と題して、

「マスクをするようになって一つ得したなあ~とおもうことは、目で笑顔が作れることになったことです。

目が優しくなったこと。」

だと書かれていました。

これには頭が下がりました。

私などは、どうもマスクは不自由なものとしか思っていませんでした。

マスクをすると表情が分かりにくいので不便だとしか思っていないのです。

それで、目で笑顔が作れるようになったとは、恐れ入ります。

仏教で説かれる無財の七施を思い出しました。

無財の七施とは、物が無くてもできる七つの布施であります。

眼施。目の施し。

和顔悦色施(わげんえつじきせ)穏やかな表情で施すこと。

言辞施。言葉の施し。

身施。身を以て尽くす事。

心施。心配りをすること。

床座施(しょうざせ)。相手に座席を譲ること。

房舎施(ぼうしゃせ)。自分の家を一夜の宿として施すこと。

の七つです。

その中に、目の施しというのがあります。

穏やかな優しい目で微笑みかけるように見てあげる、これだけで大きな施しなのです。

これはなかなか難しいのですが、まずは足元に咲いている花を見つけたら、その花に優しい目を向けることからはじめてみたらいかがでしょうか。

だんだん優しい目になれるのではないかと思い、実践しようと思っています。

 
横田南嶺

目の施し

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