死別の悲しみ
長年ご縁のあったお方のお葬儀で、ご遺族からのご依頼があって、務めさせていただきました。
コロナ禍ということもあって、家族葬というのか、ごくお身内だけの葬儀でありました。
建築家としても高名な方でいらっしゃって、ご自身が設計された素晴らしいご自宅での葬儀でありました。
今の時代に、自宅で葬儀をすることは珍しくなりました。
いくら身内だけの葬儀とはいえ、自宅に人を招き入れて、葬儀を催すことは、準備などたいへんなことであります。
たいへんではありますが、やはり、葬祭場などで行う葬儀とは違って、あたたかい心のこもったお葬儀となります。
人生百年と言われる時代に、まだ七十代の方でいらっしゃいましたので、悲しみはひとしおであります。
遺影をまのあたりにして、物静かで、聡明で、お優しい故人をしのびました。
引導法語の最後には、禅語や漢詩文の中の一句を、はなむけに捧げる伝統があります。
建築家であった故人を思い、私は少々異例ではありますが、黄鶴楼の漢詩から一句を選んで捧げました。
昔人已に黄鶴に乗って去り、
此の地空しく余す、黄鶴楼、
黄鶴一たび去ってまた返らず、
白雲千載空しく悠々
火葬場に着いて、いざ荼毘にしようかという時に、外から駆け寄る子どもの声が聞こえてきました。
故人の御孫さんが最期のお別れに駆けつけてきたのでした。
葬儀は、狭い場所なので密にならないように、参列者は絞りこまれたと聞いていました。そのため、お若い人や御孫さんは参列できなかったのでしょう。
それでも最期のお別れにと駆けつけてくれたのでしょう。
ご遺体に感謝の言葉を掛けている姿には心打たれました。
東京での葬儀を終えて、鎌倉に戻ると、次は前管長の一周忌法要を勤めました。
あれからもう一年になるのかと思うと、こちらも感慨深いものです。
一周忌の偈の始めに、
師翁、化を斂めて歳華遷るも、
三喚の声は猶、耳辺に存す。
と詠いました。
老師が教化を終えてから歳月が流れたけれども、老師が私を呼ぶ声は、まだ私の耳に残っていますという意味であります。
思えば、先代の管長は、葬儀がお嫌いでありました。
ご自身の葬儀も無用と御遺言なされていたほどであります。
お釈迦様は、ご自身の葬儀も弟子たちにはさせなかったのだと言って、葬儀を行うのは仏弟子ではないとお考えでいらっしゃいました。
思い出しますのは、私がご縁のある方の葬儀を務めて、そのことが当時管長であった老師のお耳に入ると、「なぜ葬儀などに行ったのか」と厳しくお叱りを受けたのでした。
長年お仕えしてきましたので、お叱りを受けるのは馴れておりまして、それでも大切な方のお葬儀を務めることは大事だと思っています。
師である前管長が、葬儀を否定されたのであるから、その弟子たる者も、その考えを踏襲すべきではないかと思われるかもしれません。
その点は、われわれ臨済禅の世界というのは、鷹揚なところがありまして、必ずしも師匠の言葉通りにする必要はないのです。
たとえば、朝比奈宗源老師は、世界連邦運動や日本を守る会など、社会活動に熱心でいらっしゃいましたが、そのお弟子の足立老師は、それらすべてを否定されていました。
馬祖の弟子から、すでに馬祖の教えを批判する者が出て、禅が発展していったということが、古く唐代からございます。
もう葬儀を務めても、叱られることはないのだと思うとホッとします。
先日、新聞のコラム記事に葬送習俗について書かれていました。
『お葬式の言葉を風習』という本について書かれていたのでした。
ほとんどが土葬だった時代に、日本人がどのように死者を弔ったのか、約百八十もの言葉を、切り絵と短文で紹介しているのだそうです。
「湯かん」「逆さ水」「野辺送り」などが書かれています。
戦前はみな自宅で家族や近隣の人たちに見守られて亡くなったのでした。
「添い寝」という絵もあって、妻や娘が白い布を顔にかけた死者の傍らに寝ている場面が描かれているそうです。
だんだん、そのような葬送の風習が無くなってきました。
葬送のコンパクト化が進む今の風潮に対して、記事では問題視しています。
「昔の日本人は亡くなった人に触れ、そばに寝て、死を身近なものとしてとらえてきた。あの感覚を取り戻してみたい」
と書かれていました。
「葬式仏教」という言葉は、批判的に使われるのですが、意味のあることだと思います。
たしかにお釈迦様の頃の教えでは、仏弟子以外の葬儀に関わることは無かったのでしょう。
しかし、時代が経て、今の日本のように、葬送の儀礼に仏教が関わることは、仏教の発展した姿と思うのであります。
死別の悲しみという、人生の大切な時に僧が関わることは尊いことであります。
心を込めて弔うことは大切です。むしろ誇りをもって勤めるべきでしょう。
葬儀のあと、私と同年代の知人が、「やっぱりお経っていいですね、意味は分からないけど、心にしみるものがある」と言ってくれました。
引導の法語にしても漢文ですので、聞くだけでは意味は分からないでしょう。
それでも一生懸命に作って、心を込めて唱えると、何か伝わるものがあるはずです。
火葬場のかまどの前でも心を込めて読経しました。
死別の別れに立ち会うことは、僧として大切な尊い行いだと改めて思ったのでした」
横田南嶺