感激の魂
という言葉があります。
訳しますと、
「自分自ら感激して、はじめて人を感動させることができる。自分が感激しなくて、人を感じさせることはできない」
ということです。
「人に話をする場合でも、自分自身が感激して話をすると、聞くほうも必ず感動して応えてくれる。
それにしても、人間は常に感激の魂を失わないことである」
とは、『人間学言志録』の越川春樹先生の訳と解説であります。
日々何か一つでも感動することを持っていたいものです。
そんなに感動することなどないと思われるかもしれませんが、これは特別感動する物事が現れるというわけではなく、こちら側に感動する心を持っていることが大切なのです。
感動する心があれば、じつにささいな事にも感動できるのです。
私なども、毎日このような文章を綴っていて、何か感動することがあるから、書くのであります。
こういう文章を書くということも、感動することを失わない為に訓練とも言えましょう。
最近、こんな感動することがありました。
私が手紙のやりとりをしている方がいて、先日いただいたお葉書の隅に、ご自身のまだ二十代のご子息のことが書かれていました。
私が今、月刊『致知』に、「禅語に学ぶ」と題して、禅語の解説を連載しているのですが、その青年も月刊『致知』を読んでいるのだそうです。
しかも、真っ先に、私の連載を読むのを楽しみにしているというのです。
『致知』というのは、人間学を学ぶための月刊誌で、決して易しいものではありません。
それを二十代の青年が読んでくれるというだけでもうれしいことですが、なんと私の禅語の連載を真っ先に読むというのですから、感激であります。
今の時代にも、そういう青年がいてくれるということは、有り難いことです。
そこで、早速その連載を集めて単行本にした『人生を照らす禅の言葉』を、送ってご子息に差し上げてくださいとお願いしました。
本の扉には、「形直影端」と書いておきました。
すると、すぐにその青年からお礼の葉書が届きました。
きれいに整った字を見るだけで、誠実なご性格がしのばれます。
そして更に
「形直ければ影端(ただ)し」は、今の私に最も必要な言葉だと感じました。
誰も見ていない場所でこそ、腰骨を立てて心身ともに正しくあれるよう努めていきたいと思います」
と書かれていました。
「形直ければ影端し」は、唐代の禅僧潙山(いさん)霊祐(れいゆう)(七七一 – 八五三)という方が、僧のあり方を正そうと『潙山警策』という書を著し、その中にある言葉です。
その文章の終わりに、
「伏して望むらくは、決烈の志を興(おこ)し、特達(とくだつ)の懐(おも)いを開き、挙措(こそ)他(た)の上流(じようる)を看て、ほしいままに庸鄙(ようひ)に随うこと莫れ」とあります。
意訳すると、
「私が望むのは、烈しい志をおこし、なみなみならぬ思いをあらわし、日常の振る舞いは自分よりも優れた人を見習い、いい加減な凡俗の人に随ってはならない」ということです。
その後に「熟々(つらつら)斯の文を覧て時々に警策せよ。強(つと)めて主宰と作って人情にしたがたうこと莫れ。
…声和すれば響き順い、形直ければ影端し」と続いています。
「よくよくこの文を見て常に自分に鞭打って激励せよ。つとめて自己の主人公となるべきで世間の情にしたがってはならない。
…声が和らげば響きも和らぎ、形が真っ直ぐなら影も真っ直ぐである」と胸打つ文章です。
そこから、姿形を正してゆけば、必ずこころも真っ直ぐに正されるという意味で、「形直ければ影端し」という言葉が使われます。
森信三先生は「もししっかりした人間になろうと思ったら、先ず二六時中腰骨をシャンと立てることです。
こころというものは目に見えないから、まず見える体の上で押さえてかからねばならぬのです」
とお教え下さっています。
また「腰骨を立てることはエネルギーの不尽の源泉を貯えることである。この一事をわが子にしつけ得たら、親としてわが子への最大の贈り物といってよい」
とも仰せです。
腰骨を立てるというただそれだけの事ですが、それによって、人の本来持っている素晴らしいこころが自然とはたらいてくるのです。
その青年の母親とは、寺田一清先生の勉強会でご縁をいただいたのでした。
寺田先生は、森信三先生の高弟であり、森先生のたくさんの書籍を編纂された方でもあります。
私が『致知』とご縁をいただいた始まりは、寺田先生と対談したことからでした。
それから、大阪中之島で開かれている寺田先生の会に、年に一度招かれるようになって、今もご縁が続いています。
『致知』の連載は、早くも七年になろうかとしていますが、一人でも、こういう青年が、私の「禅語に学ぶ」を読んで、人が見ていないところでこそ、腰骨を立てようと思ってくれたなら、こんなにうれしいことはありません。
感激であります。
横田南嶺